第6話 侵入

ほどなくして、アリスが目を覚ます。

伸びをして半開きの瞼を何回か擦ると、不敵な笑みを浮かべて蓮を見つめはじめる。


「今度は私の番です」


と言って、交代で見張りをするのかと思うと、ペタンと女の子座りをして手招きをしている。


「なんだ?」


「だから、今度は私がお兄さんを寝かせてあげるんです」


太腿を手のひらでパンパンと叩く。


「いやなに、必要ないが……それに、そんなふしだらなこと……うわっ!」


蓮は逡巡する間もなく、悪魔の膂力で無理矢理に膝に寝かしつけられた。 自分がしてやったように、額を優しく撫でられる。


不本意ではあるが、次第に疲れが溜まっていたのもあり瞼が重くなってくる。 抵抗しようとした手にあまり力が入らない。


もっとも、悪魔であるアリスの力を押し負かすことなど不可能なのだが。


「ふふ……お兄さん、赤ちゃんみたいで可愛いです」


もう蓮はアリスが何を言っているのかも聞き取れこそすれど、言葉の意味を咀嚼できていなかった。 既に片足が夢の世界に入り込んでいる。

実に五時間は思考回路を稼働させていたのだ、仕方ないだろう。


いけない……アリスにこんなことをさせては……


しかし、そんな意思もすぐに疲労に塗り潰され、蓮は完全に眠りに落ちる寸前。 幼児からする独特の優しい香りに、柔らくて暖かい太腿━━驚くべきか、人間だったら十は歳が下の少女の膝枕は想像以上に寝心地が良い様子。


蓮は幼女に膝枕されて眠ることに、満更でもない自分がいるのが悔しい気持ちも程々に、久しぶりの充足感に満たされた眠りに落ちる。



俺はアリスと二人で遠くに雲に山頂が隠された富士山を眺めながら、湖にテントを張って、その外で火を焚きながらコーヒーとココアを飲んでいた。

していたのは他愛ない会話だが、それ以上に至高なものはないと思う。


また、そんな会話の中、文脈を無視して「悪魔に心はあるのか」という質問が飛んできて、回答に困ってしまった。 なので、人間の心だって脳の電気信号が作り出したものなんだ、心の有無なんて、気にすることじゃない。 と、茶を濁した。


彼女が望んでいた回答はそんなものではないのは、分かっていたが、極度の緊張感に当てられて、何か言わないといけない、と急かされた結果なのだ。 仕方ない。


それを聞いたアリスは下手くそな笑いを浮かべて、何かを言っていた。


それを見て、俺は悪魔にも、いやアリスにだけは間違いなく、心があるものなんだと思うことができた。

心のない者に、こんなフォローができるだろうか。 心のない者に、仲間の死を悲しむことができるだろうか。


答えは否だ。 仮に悪魔に心が存在しなくても、これらが俺を何らかの理由で丸め込むための姦策の一部だったとしたら、騙されてしまっていいかとも思った。


俺はそれほどまでにアリスを……大切に思っているのだと思う。


一日でも早く、こんな日々が送れるようになればいいのに。


そう願ったら、夢は覚めてしまった。



蓮が目を覚ましたのはアリスの太腿の上ではなかった。 目を開けて最初に入ってきた情報は、視界いっぱいに広がる金銀財宝━━━━


アリスはどこだろう。 考えて、後ろから音を聞いた。


すぅ、すぅ、という音がする。


振り返ってみると、アリスは蓮にもたれかかる形になって、眠っていた。 スマートフォンを開いて時間を確認すると、朝の十時を過ぎた頃だった。 アリスが目を覚ましたのが五時頃だから、五時間は眠っていた計算になる。


やっぱり、子どもだな。 と、蓮は笑みを浮かべてアリスの額を撫でてやった。


すると、しばらくしてアリスは目を覚ます。


「おはようございます。 お兄さん」


言って、大きく伸びをしたあとに大きな欠伸をする。


「あぁ、おはよう」


「あっ、私……途中で眠ってしまっていたんですね……申し訳ないです」


アリスは心底、申し訳なさそうな顔をして謝罪をした。

その顔は、怒られることを懸念して、というよりは、本当に申し訳ないと思っている顔だった。


「結果的に、何もないんだからいいんだよ。 気にすんな、宝物を詰めたら飯でも食いに行くか」


「はい!」


アリスは満面の笑みを浮かべると、地面に置いていたリュックサックを引ったくり、宝物の山に駆け出す。

蓮も遅れて山に向かって、見るからにグレードの高い武器と、大きな金塊をリュックサックに詰めていく。


作業が始まって三十分くらい。 二人のリュックサックはパンパンになった。

また、その中で蓮は宝物の中でもとびきりグレードの高いであろう武器を見つけていた。 性質(スキル)持ちの、鍔のない脇差だ。 鋼色の刀身に、漆黒の持ち手と鞘をしている。


性質持ちとは、例えば刀であったら切れ味や耐久性以外に"人間の創造物では有り得ない、非科学的な性質を宿しているもの"のことである。 その大半が人の手には余り、質屋に流される性質持ち。


しかし、蓮はその脇差を携帯しておくことにした。 例の店では、やはり大した額にならないだろう、という考えと、なんとなく役に立ちそうな予感からだ。


二人は収穫物を肩に背負って、日が落ちないうちにと、足早にアビスを出ていった。



アビスを出る頃には、夕方になっていた。


二人はそのまま最寄りのファーストフード店でセットメニューとデザートを平らげると、例の身分証明の必要のないグレーの質屋で宝物を売って、カラオケに入った。 スマートフォンの充電を入れるのと、明日に備えて睡眠をとるためだ。


明日は目黒区の後藤邸を特定、侵入し、ここ最近の連絡記録を盗む。 それにはスマートフォンが必須だった。

グレーの質屋の二階に入っていた、ハンターショップで見つけた、何の技術もなしに情報を抜き取る特殊なUSBメモリ。 これを使って、後藤のメインPCから情報を抜いて、図書館のPCを介し、スマートフォンに転送する。


カラオケでは、閉店時間までフリータイムを予約した。 四時間ずつ交代で眠る予定である。


アリスが腹が減ったというので、サバイバルナイフで深めに左腕を何ヶ所か切って、いつもより多めの血を与えた。 明日は彼女に、普段とは違う、気を使うであろう仕事をしてもらわなければならないからだ。


貧血気味で久しぶりの柔らかいソファーにもたれかかると、蓮はすぐに眠りに就くことができた。



アリスを起こすと、会計を済ませ、二人は足早に最寄り駅へと向かった。


満員電車に揺られて、目黒駅に着いた。 なぜ、この時間帯に、わざわざ満員電車に乗る必要があったのかというと、時間に余裕が欲しかったからだ。

目黒駅を出て、青葉台まで向かいブログやSNSの写真の風景から家を特定。 そのあとは後藤の妻「後藤 夏美」がSNSで発言していた、今日の午後からのお茶会で家を空けるタイミングに邸内に侵入しなければならない。 何事に関しても、時間に余裕を持っているに越したことはないだろう。 朝早くに電車に乗ったのは、そのためだった。


目黒駅を出て、マップアプリに従い青葉台に辿り着く。 運が良かったのか、それからほどなくして後藤邸と思しき大きな家の前に辿り着く。


スマートフォンを開いて、時間を確かめる━━十二時三十六分。 まだ、早い。

お茶会は十三時半から、近所の喫茶店で開かれる予定だ。 用もなく家の付近を歩いていて、怪しまれて通報されないように、二人は住宅街を歩いて、時間を潰すことにする。


ラジオを流しながら犬の散歩をしている、酷く痩けた白髪の老年男性が前から歩いてくる。 ラジオでは「少女の姿の悪魔を連れた、逃亡中の殺人犯らしき人物が、都内の監視カメラに映っていた」という旨のニュースが流れていて、頬に冷や汗が伝った。 老年男性は心做しか、こちらに意識を向けているような気がする。

ウィリントンのサングラスの奥の目が緊張でどこを向けばいいのか、老年男性から目を逸らして周辺を舐め回すように見ている。


「こんにちは」


結果、蓮は先手を取ることにした。 アリスの身長は百二十センチ弱、そして今日は土曜日━━若い父親と仲のいい娘が、散歩をしている風に装うと考えた。


「こんにちは。 あまり見ない顔ですが、ここら辺の人ですか?」


老年男性が食い付いてくる。 一見すると、訝しんでいる風には見えないが……

緊張感で蓮の心臓が激しく鼓動を打つ━━


「あっ、あの……」


平生を装うとするあまりに、かえって不審がられるようになってしまう。


「あの……近くでトイレのあるコンビニを知りませんか? お兄さ……お兄ちゃんが漏れちゃいそうだって……」


蓮はよくやった! と思い、すぐさま設定を変えて、アリスの兄になりきる。


「そうなんですよ……ハハ」


アリスの名演技っぷりに比べて、蓮は大根役者のようであった。 自責の念と、羞恥に包まれる。


「あぁ、それでしたら……えーと、あそこを右に曲がって、真っ直ぐ行って、二つ目の信号を曲がったところにありますよ。 お気を付けて」


老年男性は笑顔を浮かべながら、両手を使って道案内をしてくれた。


「あ、ありがとうございます! 行くぞ、アリス」


不審がられていない様子。 蓮はそう言うと早歩きでアリスの手を繋ぎ、コンビニの方へと向かって行った。


「さっきは危なかったな……助かったよ」


さっきの老年男性が見えなくなった辺りでアリスの頭を撫でてやる。


「いえいえ、どういたしまして」


んふふともえへへともつかない笑い声を漏らして、アリスは深々とお辞儀をした。


そのまま時間を潰すために例のコンビニに向かって、アリスに少し高いアイスを買ってやる。 蓮は緑茶を買い、店を出ると一気に半分くらい飲んでしまう。 緊張で喉が痛いくらいに乾いていたのだ。


さっき来た道を戻って、再び後藤邸の前に立つ━━時間は十三時半に満たないくらい。 喫茶店までの距離を考えると、もう後藤妻はここにいないだろう。


蓮はまだ見ぬ仇敵と退治した時のように、後藤邸を睨めつける。 この中に自分達の無実を証明する、何者かの工作の形跡が残っていることを信じて。

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