第16話 終演後の夕食
会場を出たときには外はもうすっかり暗くなっていて、白い街灯の光に照らされた
「ここは混んでるから、夕ご飯は金山でいいよね」
藍島はドームに隣接するショッピングモールの方へ向かっていく人々を横目で見ながら、俺に訊ねた。
「ああ。そんなに高い店じゃなければ、俺はどこでもいい」
どうしてもエスコートされる側になってしまう俺は、何の案も出せない自分に男として少々葛藤しつつも結局藍島にすべて任せた。
この場所は藍島のフィールドなのだから、藍島に頼るのは当然の帰着なのである。
「そうだね。そんなに高くない店が良いね」
このライブのためにそれなりにお金を使ったらしい藍島は、笑って自分も金欠であると告げた。
「でも最高のものが見えたから、お金がなくても幸せだけどね」
藍島がステップを踏むような軽快な足取りで歩くと、褐色のスカートの裾がふわりと揺れる。
ライブの興奮で頬を紅潮させた藍島は、いつもにも増して可愛くて健全な色気をまとっていた。
(熱を上げている相手が男アイドルであることを忘れれば、藍島は見た目は俺の理想の女子なんだが)
人混みの中でも絶対に埋もれることのないその輝きは、俺が今日払うことになったチケット代以上の価値がある。
しかし推しのことしか見ていない藍島は、自分のふとした瞬間の一挙一動が俺を魅了していることに気づかないまま、
「資本主義社会のアイドルとして消費社会を批判することの意味とか、複雑なメッセージを受け取らないといけないって最初は思ってた。でも何と言うか、やっぱりただモツヒサくんと彼らがそこにいて、格好良くて素敵なのがすべてなんだなって」
ライブ前は考察を並べていた藍島だったが、実際のライブを見た結果、思考停止して楽しむのが正解であると判断したらしい。
スポーツウェアの衣装の場面がコミカルで可愛かっただの、客降りしてきたモツヒサに天使のような光が見えただの、藍島は目にしたものすべてを肯定して褒め称えている。
「ああ。
俺は適当に話を合わせながら、藍島がまだ夢の中にいるように瞬きするのをちらちらと横目で見た。
暖冬明けの初春とはいえ夜は気温が低かったが、ライブを見終えた人々の熱気で肌寒さはなかった。
それから俺と藍島は、満員の地下鉄に乗ってまずは金山駅まで戻った。
金山駅にはいくつかの商業施設があり多様なカフェやレストランがあったが、俺たちはそれほど予算があるわけではない高校生なので、名鉄の改札前のエスカレーターを上ったところにあるハンバーガーチェーン店に入る。
比較的に最近にリニューアルオープンしている店内は広く真新しく、流行りのフェアトレードコーヒーなど扱っていて格安というわけではないが小綺麗で雰囲気は良かった。
「ご注文はいかがいたしますか?」
「ダブルチーズハンバーガーとLサイズのポテトのコーラのセットを一つ。それから単品でグランドミートソースバーガーとチキンナゲット、あとチュロスをお願いします」
金が無いと言いつつ決して少食ではない藍島は、ハンバーガーを二つにサイドメニューも追加というわんぱくな注文をカウンターの女性店員に伝えた。
「てりやきバーガーのセット。ドリンクはホットコーヒーで」
反対に、特別食が細いわけではないはずだが藍島の注文を聞いただけでお腹いっぱいになった俺は、隣のカウンターでごく普通の量を頼む。
それぞれ会計を済ませて商品を受け取ると、藍島と俺はちょうど空いていたボックスのテーブル席に座った。
ぎっしりと商品が載ったトレイをテーブルに置き、藍島はさっそくハンバーガーの包装紙を開けて食べ始める。
「うん。アメリカンドリームなモツヒサくんを見た後だと、ハンバーガーもより美味しい気がする」
藍島は豪快に二種類のチーズと二枚のパティが食べ応えありそうなハンバーガーにかぶりつき、目の前の事象を推しと結びつけることを忘れず感想を述べた。
あのモツヒサという男のおかげで旨さが増すかどうかはともかく、パンに甘辛いソースを絡めた肉を挟んだ料理が不味くなることはあまりなく、俺の頼んだてきやきバーガーも当然それなりに美味しい。
(舌は肥えてないほうが、人生得してるよな)
ファストフードを美味しいと思える幸福を噛み締めながら、俺はからりと揚げられたポテトにも手を伸ばしてよく味わって食べる。
一方で気づいたときにはもうすでにハンバーガーを一つ平らげている藍島は、包装紙についたチーズをチキンナゲットのソース代わりにしながらつぶやいた。
「あとはもっとたくさんの人がジャパナイとモツヒサくんの魅力に気づいて、ドームが満席になるくらい人気になると良いんだけど」
藍島はライブの内容には満足しつつも、空席の多さには危機感を抱いているようだった。
「そうは言っても、チケットを取るのが難しいグループを応援するのも疲れないか?」
人気がないからこそ応援しやすいこともあるだろうと、何事も人気が出たら離れるタイプの俺は藍島の見解を探ってみた。
すると藍島は一瞬、俺を敗北主義者として咎める目つきで捉えたが、すぐに冗談めかした笑い顔になってほおづえをついた
「確かにファンの中には、あまり売れすぎず、苦労せずに会える存在でいてくれること願う人もいるけどね。でも私はジャパナイはもっと上へ行ける実力があるって信じてるから。簡単に会えなくなっても、世界に認められて大人気になってほしい」
ものすごい言霊の力が宿っていそうなはっきりとした声で、藍島は推しの未来についての希望を語った。
俺の耳には、それは願いというよりは世界に対する命令に近い呪文に聞こえた。
それから藍島は、残ったチーズも綺麗に食べ終えた包装紙を畳んで、もう一つのハンバーガーを開けた。刻んだ生玉ねぎの白とたっぷりとパティにかけられたミートソースの赤のコントラストが食欲をそそる、少し大きめのハンバーガーである。
「ジャパナイの皆だって売れるためにたくさんの努力してるわけだし、私も小説の書籍化作業頑張らないとな」
藍島は推しの努力について語ることで、自分が取り組むべきことと向き合い、自主的に啓発している。
それ自体は藍島の話の中でよくある言動なのだが、ある一つの言葉が俺の心をざわつかせた。
「書籍化作業?」
突然苦くなったつばを飲み込みつつ、俺は反射的にその言葉を繰り返して意味を訊ねる。
大きな一口でハンバーガーを食べていた藍島は、コーラを一口飲んでから軽く事情を説明した。
「あ、正式な発表前だからまだ言ってなかったけ。私、もうすぐ最終結果発表がある投稿サイトでやってた出版社主催の長編小説コンテストで、書籍化確約の賞をもらってるんだ」
知らないうちに藍島は長編作品もコンテスト受賞の内定をもらっていて、書籍化の準備を進めていた。
藍島が小説を書いているのは推しの男が関わていたコンテストがきっかけであり、藍島にとって小説の執筆は推しの存在と密接に関わっている行為である。
しかし今回の受賞は前回と違って推しと直接関係のあるものではないからか、藍島は本当になんでもないことのように話していた。
そのためかえって、俺はその藍島が成し遂げた事柄の高度さに思いっきり刺されて深手を負った。
俺にとってはよくわからない朗読動画の製作が賞典だった前回よりも、出版社に作品の価値を認められて書籍として売ってもらえる今回の受賞のほうがずっとずっと羨ましい。
「藍島は、朗読動画のやつとは違うコンテストにも応募してたんだな」
推しの男アイドルが審査員のコンテストにしか藍島は参加していないだろうと考えていた俺は、声を震わせて状況を確認する。
もちろん俺の動揺には気づかない藍島は、朗らかに受賞までの経緯を語った。
「うん。最初の短編書き終わってから、なんとなく書いてた作品がコンテストの規定文字数になったから応募してみてたんだよね。宣伝は全然してなかったんだけど、審査員の人に運良く選んでもらえたみたいで」
どうやら藍島は、推しが出演しているドラマに夢中になってSNSに長文感想を上げているだけの日々を送っているように見えた夏頃も、裏では実は長編のコンテストに応募できる長さの小説を書いていたらしい。
だから速筆の人間は嫌なんだと、俺は歯ぎしりしたくなるのを我慢して味がしなくなったハンバーガーを噛み締めた。
彼女のドルオタとしての一面ばかりを見ていた今日一日はすっかり忘れていたが、藍島は推しの男の方ばかりを見て俺をもやもやさせるだけの可愛い女子ではなく、書いた小説の上手さと評価の高さで俺に劣等感を抱かせ心を折ってくる可愛い女子なのだ。
「すごい実力だな。おめでとう。藍島の小説なら、書籍化も成功するんじゃないか」
「ありがとう。Webと書籍は違うって言うからどうなるかわかんないけど、そう言ってもらえるとうれしいよ。モツヒサくんにも褒めてもらえたことを無駄にしないためにも、絶対うまくやるつもりだけど」
なんとか俺が無難な祝辞を述べると、藍島は最初は謙虚に答えつつも、最後は結局推しに褒められたことについての強い自負を見せて成功を誓った。
そこから先、藍島が何を話して、俺がどう自分を取り繕ったのかはあまり覚えていないし、思い出したくもない。
ただ一つ確かなのは、俺が藍島のくちびるに残ったミートソースの肉片を見つめながら、藍島に今後約束されているであろう未来を脳裏に思い浮かべていたということである。
藍島は若くて美人だから出版社は美少女女子高生作家として売り出せるし、書いてる小説の内容も一般文芸寄りの実写化しやすい内容だからメディアミックスもすぐに行われるかもしれない。
SNSでバズりやすい作風である一方で、Web小説出身らしからぬ実力もあるから文学賞のレースに関わる可能性も十分にあるだろう。
そうして藍島は新聞やテレビに大々的に顔出ししつつ、一流の作家の仲間入りをするのだ。
身内だから過剰に評価しているとかではなく、悲しいほどまでに冷静に考えて、俺は藍島がどこまででも高く出世することを確信していた。
「じゃあ、私はここで乗り換えるから」
気づいたときには、俺と藍島は夕食を食べ終えてハンバーガーチェーン店を退店していて、中部国際空港行きの電車に乗って太田川駅に着いていた。
「ああ。じゃあまた月曜日に」
俺は力なく手を上げて、河和線に乗り換えるために降車する藍島を見送った。
暗い夜の駅のホームに立っていても藍島に寂しげな雰囲気はまったくなく、むしろ闇の中でこそ彼女の凛とした強さは際立っていた。
電車が発車し、今はもう俺ではなくスマホを見ている藍島が遠ざかる。
明るく人の多い車内の席に残った自分がむしろ一人ぼっちになった気がして、俺は冷たい窓ガラスから離れた。
そうしてどうしようもなく藍島ではない誰かと話したい気分になった俺は、スマホを取り出してメッセージアプリを開き、アニメ絵の少女の画像が使われた古賀のアイコンをクリックして短文を送った。
〈今、ライブ見終えて家に帰ってる〉
たいした用もないのに、古賀に連絡を取るのは俺としてはめずらしい。
しかし古賀は休日のほとんどの時間をスマホでWeb小説を読んで過ごしているので、すぐに反応は返ってきた。
〈お、初デートが終わったね。楽しかったかな?〉
絵文字にまみれた古賀のメッセージが、デフォルメされたアニメキャラのスタンプとともに送られてくる。
顔を合わせて話しているときにはどちらかというと無愛想な古賀だが、VTuberとしての活動している影響もあるのか、SNS等の文章では顔に騙された女子の百年の恋も冷めるであろうレベルのおじさん構文の使い手になっていた。
(楽しいと言えば楽しいし、辛いと言えば辛いし、そもそもこれはデートじゃないし……)
返信の内容に迷った俺は、藍島と一日過ごした結果再確認することになった抱負を書いて送った。
〈俺、小説を書くのをもっと頑張ろうと思う〉
書籍化確約の賞を受賞した藍島は遥か遠くにいて、手を伸ばしても届かないことはわかっている。
しかしそれでも俺は、もっとずっと昔から小説を書いていた作者として藍島に負けたくなかったし、少しでもその差を埋められるように努力しなければならないと思った。
〈もしかして、ふられたとか???〉
事情を知らない古賀は勘違いして、茶化しつつも心配する文面を送ってくれる。
その返信に対して俺は、否定しつつも微妙な表情を浮かべているように見えるアニメキャラのスタンプを選んで送った。
ふられるよりももっとひどい傷を負った俺は、ここまでずっと混乱した焦燥感の中にいた。
だが俺の藍島への屈折した想いを、古賀にほんの少しだけでも打ち明けてやっと、ちゃんと呼吸ができた気がした。
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