第6話 いわゆる推し活カラオケ

 ショッピングセンターを後にした俺と藍島は、高架下を抜けて線路を挟んで反対側にあるカラオケ店に向かった。

 居酒屋などが入った雑居ビルの上階にあるカラオケ店は、学生割引もあるので高校生の客も少なくはない。


「行こうと思えばすぐにカラオケがあるんだから、東海市はやっぱり都会だよね。阿久比あぐいじゃこういうことはできない」


 階段を上りながら、藍島は爽やかに地元を卑下して声を弾ませた。

 どうやら藍島は、ホタルが生息しているくらい田舎の土地である阿久比町から通学しているらしい。


(まあでも確かに工場はあっても大型ショッピングセンター以外に行くところがない阿久比あぐいよりは、俺の住んでる大野町おおのまちの方がイメージは街っぽいか。東海市ほど開発はされてないけど、世界最古の海水浴場もある港町だし)


 俺は何も言わなかったが、藍島の地元と自分の地元を比べてかすかな優越感を抱く。

 名古屋などに比べればそもそも知多半島全域が田舎として扱われるのであるが、田舎の内部にも都会と田舎の区別があり、それぞれ見ている景色は違った。


 やがて三階まで階段を上がった俺と藍島は、ガラスの扉を開けて入店する。

 大理石調のイミテーションの床材や、高級感の演出を意図した照明が逆に親しみやすい受付カウンターには、マニュアル対応的ではない素朴な女性店員が立っていて、「いらっしゃいませ」と大げさではないトーンで声をかけた。


「学生で一時間、お願いします」


 藍島は学生証を手に、はきはきと希望時間を伝える。


「はい、ありがとうございます。そちらの方も、学生証の掲示おねがいします」


 バインダーに挟まれた記入表を藍島に差し出しながら、女性店員は俺にも学生証の掲示を求めた。

 俺は鞄から学生証を出して、おずおずとそれを見せて入店手続きを済ませる。


(俺は今から一時間、本当に藍島と二人っきりでカラオケで過ごすのか? 付き合ってもないのに?)


 典型的な非モテ男子である俺が藍島のような美少女と二人でカラオケできるのは、考えようによっては僥倖ぎょうこうなのかもしれない。

 だが心は正直で、わくわくするというよりも戸惑いや恐怖が勝っていた。


「最新機種の部屋が空いてて良かったね」


 マイクや伝票の入ったかごを店員から受け取った藍島が、伝えられた番号の部屋に向かって歩き出したので、俺はその後に続いた。


「古い機種だと、本人映像が少ないもんな」


 古賀やその他の友人とアニソンカラオケをすることはたまにあるので、俺にもカラオケの知識がないわけではない。

 だがドルオタの女子と二人で来た場合、何をすれば良いのかはまったく知らなかった。


(映像を見てるだけならともかく、自分の曲を入れてもいいよって言われたらどうするんだ? 俺はちょっと古めのアニメの主題歌しか歌えないんだぞ)


 確かもう社会人になっている兄が好きだった特撮の巨大変身ヒーローの主題歌は、今は解散した昔の男アイドルのグループが歌っているものだったと思い出しながら、俺は藍島と一緒にドリンクバーに寄ってから個室に入る。


 ピンクの柄物の壁紙の部屋に女子と二人になるのは俺にとっては心理的抵抗があったけれども、ありがたいことにグループ客向けの個室は二人密接して座る必要がないほどに広く、俺は少なくとも藍島との距離は十分にとって座ることができた。

 大型モニターには曲を入れていないときに流れる映像が映っていて、大音量と光が客を急かして行動を促す。


「じゃあさっそく期間限定のジャパナイデビューライブの映像を流そうか」


 藍島は慣れた手つきでタッチパネルを操作して、件の男アイドルの期間限定の本人映像を選んで入れた。

 画面が切り替わり、黒字に白で描かれた紋章風のロゴマークとJapan Knightsの文字が映し出されて、チカチカと照明が眩しい映像が始まる。

 藍島は姿勢を正して拍手をして、その映像を迎えた。


(さすがに大手事務所のアイドルなだけあって、演出は凝ってるな)


 俺は藍島と違って、冷静に批評する視線で画面に映るライブの様子を眺めていた。

 ホリゾントライトに照らされる宮殿を模した真っ白なセットに立つ六人の男たちは、騎兵風の黒い軍服を着てマイクを握っている。

 大音量のスピーカーから流れてくるのは甲高い女性客の歓声と、エレクトロミュージックの要素があるラウドロック、つまりピコリーモと呼ばれるジャンルの音楽だった。


 徐々に高まっていくイントロに合わせてレーザー演出が明滅し、前髪の長い猫背の男が発する耳障りなシャウトが重なる。

 ある程度盛り上がったところで、ハイトーンボイスを担当する男によるAメロが始まり、他のメンバーは勢いに任せた珍妙なダンスを踊りだした。

 実力がまったくないとは言わないが、身の丈に合わない借り物の音楽をごまかしながらやっているという感じで、俺はあまり良いとは思えなかった。


(正直見てられんのだけど、何か感想を言ったほうが良いのか?)


 共感性羞恥心によるいたたまれなさに耐えつつ、俺は正面の席に座る藍島の様子を伺った。

 藍島は真剣に音楽に耳を傾けているらしく、普段のあの重機関銃のような喋りは鳴りを潜め、身体全体でビートを刻んで瞳は食い入るようにモニターに向けられていた。俺の存在は、今この瞬間にはまったく気にされていなかった。


(とりあえずまだ、お世辞を言わなくても良いようだが)


 信仰心の深い藍島の横顔に怯えつつ、俺は再び批判的な視点でモニターを眺めた。

 皆背が高く手足の長い画面の中の男たちは、フォーメーションを変えながら、音楽に合わせて跳んだり跳ねたりしている。


 激しくもキャッチーでEDMのようなところもある曲調は国産のハードコアではよく聞くものだが、令和初期の男アイドルとしてはめずらしいのかもしれないし、量産型のK-POP風ボーイズグループよりは好感が持てるのは確かである。

 どんな人物が作曲したのかは知らないがイントロは格好良かったし、メロディーも耳に残るものだった。


 しかし、男アイドルに比べて多種多様なグループが存在する女子アイドルの世界ではラウドロック系のアイドルは珍しくはないし、新規性がそれほど感じられるわけではない。


(まあ俺も、女子アイドルはアニメのタイアップがあったグループしか知らんけど)


 曲の方向性がだいたい理解できたところで、間奏部分に入って各々のメンバーの台詞めいたトークがあった。

 ファンではない俺にとっては真面目に取り合うのが難しい内容であったが、どうやら客席にいる観客を主君に見立てて騎士として愛と忠誠を誓っているようだった。


 一人ひとりの顔がアップになっている映像を見てみると、顔は確かに全員それなりに男前なのだがソシャゲのコスプレのような軍服の衣装が無駄に華美で、独自性があっても生身の人間が着るには厳しい痛々しさがある。


(好きな人は好きなのはわかるんだが)


 俺は藍島には気づかれないほど微かに息をつき、芝居がかった呼びかけの後にはじまるラストのサビに耳を傾けた。

 改めてよく歌声を聴くと、難しげな歌詞のわりに舌足らずな英語で滑っているのがきつかったし、やはり男がこうした音楽やるなら楽器もやらないとダサいのだという感想を俺は抱いた。


 だがすべての歌唱が終わって後奏とともに照明が消えたとき、藍島は立ち上がって一人で万雷の拍手をした。

 座ったままの俺が見上げると、藍島の眼は涙で潤んでいた。


(え、今ので涙ぐむほど感動すんの?)


 俺と藍島では見えているものが違いすぎて、すぐそこにいるのに宇宙の果てくらいの距離を感じる。

 しかし藍島は俺にも同じ星が見えていると信じて疑わず、この映像をすでに何度も繰り返し見ているとは思えないほど感動した様子で話しかけてきた。


「今のモツヒサくんももちろん最高だけど、やっぱりデビュー当時はそのときにしか出せない雰囲気があるよね……。危うさに心を奪われるっていうか」


 藍島は感極まると言葉が少なくなるらしく、普段よりもずっと話が短かい。

 危うさとは素人臭さのことだろうかと解釈しながら、俺は頷いた。


「ああ。途中のテンポが変わるところとかがなかなか、格好良かったな」


 歌っている人物ではなく、あくまで曲の作りを俺は褒めたつもりだった。

 だがそこはちょうど藍島の推しが担当している部分だったらしく、藍島は両手を合わせて目を閉じ、長いまつげを震わせて深く息をつくように声を出した。


「でしょ? あそこのカメラワークも本当に神がかって、モツヒサくんの声と視線で毎回心臓止まりそうになる」


 あの程度の映像で生死の境目に立っているとは、難儀なことである。


 それから藍島は「デビューライブと言えばここも必見だよね」と言って、メンバー六人が歌い継ぐ自己紹介ソングの動画も流した。

 小っ恥ずかしい胸キュン系の台詞や笑えない一発ギャグ、そして初見には通じない内輪ネタが盛り込まれた自己紹介ソングはそう面白いものではなかったが、わかりやすくまとまってはいたのでメンバーの名前と特徴はある程度おぼわった。


 その後はまたさらにいくつかのPV付きの楽曲が流され、音声が入っていないカラオケ音源の場合には藍島の詳細な映像についての解説が付随する。

 やっと普通に藍島がマイクを握ったのは、予定された一時間のうち四十分ほど過ぎたころだった。


「じゃあちょっと次は、モツヒサくんがカラオケで絶対歌ってるらしい曲を歌うね」


「ジャパナイの曲は、歌わんでいいのか?」


「できれば歌いたいんだけど、私はデス声得意じゃないからさ。クリーンボイス以外のところはメンバーが歌ってくれる音源があれば良いんだけど」


 なぜ推しのアイドル本人の歌を歌わないのか疑問に思って訊ねると、藍島は残念そうに肩をすくめて答えた。

 では何を歌うのかと思ってモニターを見ると、デスボイスが苦手らしい藍島が端末で選んで映し出された曲名は、FALL OUT BOYのThe Last Of The Real Onesであった。

 FALL OUT BOYは、エモ・ポップの有名どころの海外バンドである。おそらく音楽のジャンルとしてのエモを意識しているらしいアイドルグループのメンバーが好むアーティストとして、誰かがそれなりに計算し考えて選ばれているのだろう。


(モツヒサとやらの本来の趣味じゃないかもしれないが、方向性としては悪くはない)


 俺は軽快なピアノの音色が印象的なイントロを聞きながら、脱アイドルを懸命に図る男アイドルの努力を想像して感心する。

 だがそれ以上に感心しなければならなかったのは、熟れた英語の発音で始まる藍島の歌声だった。


(いやちょっと待て。こいつ、そこらへんの歌ってみた動画の歌い手よりも歌が上手いぞ)


 原曲は力強い男性ボーカルが印象的なアップテンポな勢いのある曲だが、藍島は藍島は淡々と綺麗に歌い上げていた。

 威圧感のある普段の話し声とは違う、藍島の透き通った歌声によってそれは原曲とは別のニュアンスを持って成立していて、聴き手である俺はそのとき夕暮れの空に光る遠い一番星を幻視する。


 手の届かない存在へ恋した狂おしい気持ちを、太陽に焦がれながら周囲を回る惑星に例えた詩的な歌詞を、藍島はきっとそのモツヒサという男アイドルのことを想って歌っているのだろう。

 遠い太陽を求めて回る惑星が藍島なら、俺はその星をまたさらに遠いところから眺める地上の人間だと思った。

 俺は藍島のことを好きではないけれども、マイクを両手で握って歌う藍島の切なげな眼差しは、夜空の星が輝くのと同じようにごく普通に美しい。


(そう。ヤバいドルオタであることに目をつむれば、藍島は可愛くて歌が上手いんだ)


 きらきらときらめくように響く藍島の歌声に、俺は画面の中で歌い踊る化粧臭い男たちを見ていたときにはまったく感じなかった高揚感を覚えた。

 細かい趣味は何であれ、とりあえず俺は絶対にホモじゃないので、眼の前の女の子が可愛いならそれは間違いなく良いことなのである。


 やがて最後に「君だけが本当の本物なんだ」という意味のタイトルを繰り返すコーラス部分を終わって、藍島の静かな熱唱は終わる。

 俺はじんわりとした余韻をもって聞き終えたが、藍島はマイクを下ろすとすぐにまた普段通りの表情になっていた。


「与村も何か入れたら?」


 藍島は俺にマイクを差し出していたが、俺は気恥ずかしさから気づかないふりをして、藍島が使ったものではなくもう一本別のマイクを手に取った。

 自分が完璧な歌声を披露した直後に人にマイクを勧めてくる行為には感謝しづらいものの、それは親切心からのことなので誘いを断ることはできない。


「じゃあ俺も、英語の曲を歌おうか」


 俺はタッチパネルで曲名を入力して、やや哀愁のある調子のスーパーユーロビートの楽曲を登録した。

 藍島が洋楽を歌った流れを受けた、俺なりに空気を読んだ選曲である。


 やがてユーロビート特有のややダサいもののインパクトのあるイントロが流れて、画面には特徴の薄い使い回しの風景が映る。

 俺は下手なりに歌い切る度胸は持っているので、顔を上げて真っ直ぐに画面に表示される歌詞を見つめて歌い出した。

 英語の歌詞の歌であっても、ユーロビートの楽曲はカモンベイベーやアイラブユーのような簡単な英語ばかりが使われていて、単純な繰り返しが多いので俺でも歌いやすいのだ。


(何とか流れを壊さずに歌える曲があって良かった)


 藍島と比べるとかなり下手だが、場違いではない自分の歌声を聞きながら、俺は何とか課題を達成してほっとした。


 ちらりと藍島の方を見ると、藍島は非体育会系の女子にしては大柄な身体でビートを刻んでいて、穏やかな笑顔で音楽に耳を傾けていた。

 同じフレーズを何度も繰り返し、古めかしいフェードアウトでユーロビートの曲は終わる。

 俺の歌を聞き終えた藍島は、軽く頷いて俺の選曲を褒めた。


「ユーロビートも良いよね。ジャパナイもアルバム収録の曲にはこういう八十年代の曲のカバーもあって、ライブのときにはすごく盛り上がるんだよ」


 藍島が静かな聞き手であったのは束の間のことで、藍島はすぐにもうすっかりドルオタの早口に戻っている。

 エモコアのジャンルを意識して活動していると言いながら、八十年代のユーロビートのカバーも歌うとは、Japan Knightsというグループは節操がないように感じられる。

 しかしもちろん俺はその感想は伏せて、無難に同意した。


「ディスコ・ミュージックの人気再燃はこれからも続くってマイケル・フォーチュナティも言ってたし、一周回って新しいジャンルとして定着するのかもな」


 俺はアイドルの曲ではなく、流行そのものを肯定する。


 それから藍島がそのライブで盛り上がるという八十年代の曲のカバーを歌い、最後にまたもう一度デビューライブの映像が流されて約一時間のカラオケは終わる。

 ありがたいことに電車の路線は別だったので、俺と藍島は太田川駅で別れてそれぞれの家に帰った。

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