第5話 夕方のショッピングセンター
数日後の夕方、また俺は藍島と二人になったが、その日は部室ではなく学校から少し歩いたところにある太田川駅のすぐ隣のショッピングセンターにいた。
太田川駅は十年ほど前に高架化を完了した小綺麗な駅で、再開発された周辺の土地には劇場ホールやビジネスホテルなどの真新しい建物が立ち並んでる。
鉄鋼業で愛知のものづくりを支える東海市の玄関口である太田川駅前には、街を刷新するための潤沢な予算が与えられているのだ。
「どんでん広場」と名付けられたやたら面積のある広場を横切って、俺が藍島に連れて行かれたのはスーパーや家電量販店、百円均一ショップやドラッグストアが入った商業施設のフードコートで、地元ラーメンチェーン店と天丼専門店の二店舗しかないものの子連れ客や学生でそれなりに席が埋まっていた。
子供の甲高い声やそれを静止しようとする親の声、そして歓談にいそしむ他校の女学生の話し声がやや低い天井に反響して、ざわめきを作り出している。
そうした若干の騒音に包まれたフードコートの中央の席で、俺と藍島は向かい合って座っていた。
「モツヒサくんが出ますように……!」
藍島はソフトクリーム付きのプリンパフェを前にして、件の男アイドルとラーメンチェーン店のコラボ特典であるコースターが入った袋を手にしている。
プリンパフェとコースター入りの袋は俺の手元にもあり、元々は甘味処を営んでいた地元ラーメンチェーン店の期間限定の甘味メニューは、値段のわりに豪華で見栄えが良かった。
つまり俺は、ラーメンチェーン店と推しアイドルのコラボメニューを一緒に食べようと言い出した藍島に付き合って、フードコートにいるのである。
(学校の誰かに見られても多分、あの二人は付き合ってるとか噂されずに、藍島の布教活動の被害者扱いされるんだろうな)
ソフトクリームが溶けないうちにプラスチック製の容器の中のパフェをスプーンですくって食べながら、俺は妙に俯瞰した感覚で自分を客観視する。
一方でパフェよりもまずコースター入り袋の中身を重視している藍島は、鮮やかな開け口で封を切っていた。
だがその種類は思ったものではなかったらしく、藍島は肩を落としてため息をつく。
「んん、ヤタロウか。残念。明日、隣のクラスのヤタロウファンにあげるか。与村は、コースター何だった?」
「モツヒサって書いてあるな」
藍島に聞かれてやっと、俺は一切の興味がないままコースターの袋を開ける。
その中に入っていた柄は藍島の求めていたものであったらしく、ひと目見た藍島は羨ましそうというよりは獲物見つけた鷹のような眼差しで反応した。
「え、モツヒサくん!? ヤタロウと交換してもらってもいい?」
藍島はいわゆる「箱推し」という気持ちはそれほど持ち合わせていないようで、わりとぞんざいな扱いで推しではないメンバーのコースターを俺に差し出した。
だが俺はどちらのコースターも普通に不要だったので、二枚とも藍島のものにしてもらうことにする。
「交換じゃなくていいから、やるよ。それはヤタロウ?ファンの友達にあげてやれ」
「いいの? ありがとう」
俺が渡されたコースターの袋に自分の袋を重ねて丁重に押し返すと、藍島は猛禽類から人間に戻って頬をゆるめ、スマホで中身の写真を撮った。
そして二枚のコースターを大事にファイルにしまうと、今度はリュックから得体の知れない簡易ケース入りのDVDを取り出してきた。
「じゃあ最近お世話にもなってるし、お礼にこれ。この前テレビで放送されてたジャパナイのコンサート密着特番。ダビングしてあるから返さなくて大丈夫だよ」
藍島は大真面目に感謝の気持ちを表しているつもりで、俺にそのDVDを手渡す。
それはちゃんとレーベルも画像付きで綺麗に印刷してある手焼きのDVDで、俺は強力な呪物を手にするように
「ああ。ありがとう」
DVDを鞄に入れた俺は、再びパフェのスプーンを握る。ほどよい大きさに砕かれたプリンとソフトクリームを合わせて食べればくどさの少ない冷たくさっぱりとした甘さを楽しむことができた。
(学校帰りに女子とフードコートで過ごす経験は小説の参考になるに違いないはずなんだが、ちょっと変人に寄りすぎた相手だ)
俺が黙ってパフェを食べていると、やっと藍島が数日前の続きを進めるために会っているのだということを思い出して口を開く。
「それでえっと、この前はたしかラジオを聞いてもらって終わったよね」
「藍島の小説の方向性を、決めたところだったな」
ラジオは目的ではなかったはずだと、俺はやんわりと訂正を入れた。
だが藍島はその意図をたいして汲み取ることなく、話を進める。
「そう、六人の裏社会の住民の中の、一人か二人分のエピソード」
そして机の上に置かれていたスマホを手に取りメモ帳アプリを開いた藍島は、人に伝わるように言葉を選んでいる様子を見せつつ書き留めたアイディアを説明した。
「いろいろ考えたんだけど、普通の少年に見えて実は学級崩壊の原因になっている謎めいた男子小学生だったっていう、詐欺師キャラの過去エピソードはどうかと思ってるんだ」
その度を越えたドルオタぶりはともかく、藍島の書こうとしているものはアイドルが元ネタの妄想からオリジナルの創作に着実に近づきつつあった。
そのスムーズな変遷に、自分の指導が功を奏した結果ではないだろうかと俺は自画自賛したい気分になる。
「学級崩壊の原因になる男子か……。『ワケもなく悪い男』っていうコンテストのテーマにもあってて、いいんじゃないのか」
スプーンについたソフトクリームを舐めながら、俺は自分のスマホでコンテストのページを確認して頷いた。
一方で藍島は、ソフトクリームの溶けたプリンパフェを飲み物のように口にしていた。
「テーマはこれで、ばっちりだよね。でもなんかあんまり、ちゃんと始まってちゃんと終わるようなストーリーが考えられなくて」
藍島はアイディアには自信があるようだが、小説としてまとめられるかどうかは不安な様子で、プラスチックの器に入ったパフェを飲み干す。
だが数多くの小説を書いてきた俺は、短編にしろ長編にしろ、物語はポイントさえ抑えれば案外かっちりとしたストーリーが存在しなくても雰囲気でまとまるということを知っていた。
もちろん、本気でコンテストや公募での受賞を狙うならそんなことは言ってられないかもしれないが、藍島が書こうとしているものをひとまず完成に導くのが今の俺の役割であると俺は考えていた。
だから俺は創作活動における
「下限なしの短編を募集するコンテストなら、別にそこまで整ったストーリーがなくても大丈夫だと思うぞ」
「え、でも起承転結とか、そういうのが必要なんじゃないの?」
ドルオタとしての行動はともかく、シナリオ作りに関してのイメージはごく一般的なものを持っているらしい藍島は、不思議そうに俺の方を見る。
そこで俺は物でたとえて説明しようと、最後にとっておいたパフェの丸いミルククッキーに、残ったプリンをなるべく綺麗に載せて藍島に見せて食べた。
「数百文字とか数千字の話なら、こうふわっと印象的な一場面を劇的にまとめるだけでも十分形になるはずってことだ」
プリンの欠片でもクッキーに載せるという一工夫があれば様になるように、ほんの小さなアイディアでも上手に活かせば一つの作品になるということを俺は伝えたつもりだった。
プリンの載ったクッキーは言うほど立派には見えなかったかもしれないが、藍島は俺のアドバイスを理解したようでメモ帳アプリをスクロールしながら質問を返した。
「じゃあ今考えてたのは、彼のことが好きでじっと見てる女の子がいて、その子だけが彼が学級崩壊の原因になってるって気づいてるいう物語のはじまりなんだけど、これだけでも短編小説になるの?」
「女の子だけが気づいてるっていうのを、ちょっとしたオチにつなげれば十分可能なんじゃないのか」
そのちょっとしたオチを作るのが難しいのだが、結局考えるのは自分ではないので、俺は無責任で楽観的な提案をした。
「ちょっとしたオチか……。どんなオチだろう」
空になったプラスチックの容器を弄びながら、藍島は考え込む。
俺はそこで先日に見た小説投稿サイトの新規作品の作成ページを、結局未記入のままにしていたことを思い出した。
「もしかすると、ここらへんで投稿サイトに戻って、仮でいいからタイトルと、あとキャッチコピーをつけてみると上手くまとまるかもしれんな」
「キャッチコピーって、このあらすじとは別にあるこれのこと?」
最終目標である小説投稿サイトに立ち返って考えることを俺が勧めると、藍島はスマホでその新規作成ページを開いて指をさす。
「それがキャッチコピーだ。例えばランキングでは、こうやってタイトルの上に表示される」
俺は自分のスマホでさらにそのサイトのランキングページを出して、藍島にキャッチコピーが実際に投稿した場合にどう見えるのかを説明した。
「たいていの小説投稿サイトではこうやって、タイトルやあらすじとは別に内容を端的に表す短い文章をつけることができるんだ。もちろん書き上げてから考えてもいいが、俺は作品の内容を練るときにあらすじと一緒についでに仮で考えてみてる」
そのまま俺は、自分が小説を書き始める前に行っている作業について藍島に話す。
物語の始まりから結末までの筋書きをプロットと呼ばれる形にまとめることも必要だが、何を物語の中心に置きたいのか改めて考えたいときには、キャッチコピーやタイトルについての思案が役に立つことが多かった。
「タイトルと、キャッチコピーと、あらすじだね」
思ったよりもずっと飲み込みが早い藍島は、俺の話の要点をすぐに掴んで新規作成ページの入力を始めた。
不慣れなことに取り組みつつも藍島には余裕があるように見えたので、俺はさらに一歩踏み込んだ助言をする。
「それとあとジャンルとタグだな。一人でも多くの読者に読んでもらいたい場合は、サイトの傾向をよく見て考えるべきポイントだ。だが藍島の場合はまずコンテストが目的だし、今回の審査にはPVやブクマは関係ないみたいだから、ある程度は好みで決めちゃってもいいと思うぞ」
「なるほど。ジャンルはこの中なら恋愛かな? タイトルはどうしようか」
藍島は恋愛と書かれたボタンを押して、ジャンルを選択した。画面を見るとあらすじやキャッチコピーは何かしら書いた形跡が見られるが、タイトルはまだ空欄のままにしてある。
俺は他に何か言えることを考えて、藍島が参加したいコンテストが行われる小説投稿サイトのTOPページに並ぶタイトルをざっと眺め、自分が使っている別の小説投稿サイトと比べながら雰囲気を探った。
「俺の使ってるサイトだと作文みたいなタイトルが多いが、ここのサイトはキャッチコピーも含めて結構ポエミーな雰囲気だな」
今見ている小説投稿サイトは表紙画像を設定できることもあり、説明過多なタイトルは少なく表面上の文字情報もサイトの外観同様のお洒落さを保っている。
藍島も俺に倣ってTOPページを開き、他の作品のタイトルやキャッチコピーを参考にしながら、相づちをうった。
「そうなんだ。ちなみにジャパナイのデビュー当時のキャッチコピーは『死ぬまで守り通す。俺だけのユアハイネス』っていうわりと恥ずかしいフレーズなんだよ」
おそらく藍島は俺の考察を真面目に聞いて、真面目に返事をしているはずだった。
しかし同時に藍島は真面目に常にアイドルオタクであるので、その受け答えはだんだんと脱線し始めた。
「一人一回全員このセリフを言う動画が存在するんだけど、これがまた甘酸っぱいノリで直視するのがなかなか難しいやつなんだ。まあ頑張って何回も見たんだけど。モツヒサくんは真面目で純度が高い仕上がりで、守り通される前に尊さで死ぬかと思ったね。ファンネームのハイネスはもちろんここから来てるんだけど、呼ばれるのはともかく自称するのはちょっと恥ずかしいから困ってて……」
スイッチの入った藍島は軽快に直進し続ける暴走機関車で、レールの存在しない遥か遠くまで走り続ける。
(この流れはまずいぞ)
人並みの学習能力がある俺は、先日と同様の藍島の語りの加熱具合に危機感を覚えた。
しかし俺が危険を察知したときにはもうすでに手遅れで、藍島は優秀な聞き手であることをやめ、完全に推しの布教モードに入っている。
藍島は件の男アイドルのデビュー時の思い出話をひとしきり話すと白くて形の良い両手を合わせ、素晴らしいことを思いついたという表情で提案をした。
「そうだ。カラオケでちょうどそのデビュー当時のライブ映像の配信を期間限定でやってるから、今から行こうか。一時間くらいならそんなに帰り遅くならないし、ここはそんなに長居するところじゃないからね」
そう言って微笑んだ藍島の背後には「長時間のご利用はご遠慮いただきます」という文言に勉強をする学生のフリー画像を添えた張り紙が見えた。
フードコートの席を不当に占拠してはいけないという社会的なルールを守る藍島は、礼儀正しい女子高生の見本である。
しかしそれはそれとして、俺は藍島の良識では覆いきれない突き抜けた部分に付き合いたくはなかった。藍島には正しさはある程度あっても、まともさは足りないのである。
だから俺は藍島から逃れたい一心で、鞄から小銭入れを出して開いて、中身がないふりをした。
「行ってもいいけど今俺、所持金残り数十円だし無理だな」
数十円は嘘だが、パフェを食べて残金が数百円しかないのは本当だった。
しかしそのささやかな抵抗も、藍島の前では無駄になる。
「じゃあお金は私が出すね。この時間の学割で一時間なら、そこまで高くはないし」
藍島は机の上に両手をついて身を乗り出し、ただの女子高生のはずなのになぜか言葉に宿る権力で、強引に主導権を握る。
「それはありがたいが、藍島にお金を使わせるのは悪いだろ」
「いいよ。メンズハイネスが増えてくれて、私も嬉しいから」
俺は必死に逃げ道を探して遠慮の姿勢を全力でとったが、藍島は笑顔でさらりと退路を塞いだ。
(俺はその、メンズハイネスってやつになった覚えはないんだが)
Japan Knightsのファンネームがハイネスであり、中でも男性のファンのことはメンズハイネスと呼ぶという知識を藍島のおかげで得てしまっていたが、俺は断じてファンになったわけではない。
しかし藍島は、ただ単に流れに抗う強い意思を持てないまま唯唯諾諾と従い続けているだけの俺の態度を、布教が功を奏して仲間になりつつあると完全に勘違いしていた。
もしも俺がもっと話し上手で人付き合いが上手な人物だったのなら、それとなく笑いをとりつつ藍島の熱心な誘いを断ることができたのかもしれない。
だが現実には俺は、藍島のようなバイタリティあふれる変人をいなして適度な距離を保つ技術を持ち合わせていなかったので、コミュ障というほどではなくてもその圧には負けるしかなかった。
「それじゃ、行こうか」
気づけば藍島は、俺の分の食器も一緒に片付けたトレイを手に、凛と立っていた。
テーブルは綺麗に拭いてあって、正に立つ鳥跡を濁さずということわざの通りである。
「ああ」
俺は力なく微笑みつつ、暗い気持ちで椅子から立ち上がり、満員ではないものの少々混み合ったフードコート内で席を空けた。
空いたテーブルには早めの夕食にやってきたのかもしれない老夫婦が座って、藍島の行動の半分の正しさを証明していた。
もしかするとラジオ番組よりはライブ映像の方がまだマシなのしれないが、それでも俺は見知らぬ美男子がふざける様子を
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