第4話 コンテストの応募要項とラジオ
終礼の後、古賀と軽く別れの挨拶を交わした俺は、重い足取りで部室に向かった。
ほどほどに広い校舎の中でも外れに位置する文芸部の部室につながる廊下は人影が少なく、平穏だった昨日と同じように静寂に包まれている。
部室の前にたどり着いた俺は、恐る恐る引き戸を開けた。
ここはもう藍島の出没スポットになってしまっていて、安寧は失われているように思われる。
しかし半ば物置に近い狭さの部室には、ひとまず誰の姿もなかった。
古い部誌や文庫本が詰め込まれた金属製の本棚や鍵がかかったまま開かないチェストなど、あまり役に立たないものに囲まれた椅子に座り、俺はガラス窓から薄い雲に覆われた青空を見上げた。
(もしかすると藍島は、今日もまた何かしらの推し絡みの用事があって来ないのかもしれないな。それなら今日は昼寝せずに、自分の小説を書こうか)
淡い期待を抱いて、両手を組んで背伸びをする。
しかし腕を下ろして鞄からスマホを取り出した瞬間、やかましい音を立てて扉が開いた。
「与村いる? いるね。昨日の続きなんだけどさ」
我が物顔で悠々と部屋に入ってくるのは、可憐に凛々しくセーラー服を着こなした、俺を含むそこらへんの男子よりも背の高い藍島である。
藍島はまったく迷うことなく俺のすぐ隣の場所にある椅子を机の下から引き出し、背負ったリュックを下ろして座った。
四、五人分の席しかない小さな部室では藍島の存在はほとんど巨人の侵略者で、俺は思わず身を縮こませる。
(ある日突然失ってみると、自分一人の時間の価値がより重く感じられるなあ……)
おそらく一生慣れることない他人の気配に心を乱されながら、俺は曖昧な笑顔で取り繕ってうつむいた。
しかし藍島は俺の返事や反応を気にすることなく、さっさと本題に進み始めた。
「昨日家でプロフィールページの設定は終わらせてきたんだけど、これでどうかな」
藍島はリュックのポケットからスマホを取り出し、ブラウザを開いてアカウントを作ってあった女性向け小説投稿サイトのプロフィールページを俺に見せる。
ペンネームは「
日本史の用語集に載っていた四十八茶百鼠という言葉を思い出させる、江戸時代のような地味な色彩に心中では疑問を抱きつつ、俺はまずは講師役として藍島を褒めた
「そうだな。豆のアイコンが可愛くていいんじゃないのか」
「でしょ? ココアブラウンはモツヒサくんのメンカラなんだ。私はちゃんとルールを守るファンだから、アイコンもヘッダーもきっちりイチから自作した画像だよ」
藍島は誇らしげにアイコンをタップして、カカオ豆の画像を拡大した。ペン画風のタッチのイラストはこなれていて、アイドルを追うのをやめて真面目に描き続ければそれなりに評価されそうな才能を感じさせる。
マサヒサだかモチヒサだかよくわからない男アイドルのメンバーカラーが奢侈禁止令を出されたに違いない栗皮茶なのは、俺にはどうでも良い情報だった。
しかし少なくとも藍島がアイドル本人の写真をアイコンに設定したり、アイドルが映ったバラエティ番組の切り抜き画像を無断転載してSNSの投稿に使う
「規約をきちんと確認しておけばフリー画像でも問題はないが、著作権や肖像権は大事だよな」
SNSのアイコンは地元のショッピングモールにある巨大な招き猫の写真にしてある俺は、ごく一般的なネットマナーを添えて相づちをうった。
(高校生であることや、件のアイドルのファンであることをプロフィールでアピールするのアリかもしれないが、強調しすぎるのも寒いし小説関係の受賞歴とかがないならこれくらいで良いのかも)
リンク欄にSNSのアカウントがあることで素朴な自己紹介を補強していることを確認して、俺は机の上に置かれた藍島のスマホに触れる。
「で、小説の投稿についてなんだが」
「うん」
藍島は言葉数が少なければ普通に愛らしい表情で、長いまつげを震わせて俺の指の先にあるスマホの画面を見ていた。
条件反射で鼓動を高鳴らせ、俺は思わず顔を伏せて説明を始める。
「マイページからこのBOOK管理に入って、ここの新規作成から作品が作れるらしい。まずはタイトルとジャンルを決める必要があるようだが、藍島は何ていうタイトルの小説を書いてるんだ?」
タップに合わせて画面は軽快に遷移し、若干場所がわかりづらい新規作成ボタンを押せば、新しい小説を作成する画面が現れる。
まずは必須の入力項目を埋めさせようと、俺は藍島の前にスマホを移動させた。
しかし藍島はきょとんとした様子で、首を傾げた。
「タイトル? 決まってないよ」
「じゃあ、本文の書き出しは?」
「まだ一行も書けてないから、与村が書き方教えてよ」
本文の冒頭を仮題にしてはどうだろうと思って俺が尋ねてみると、藍島は過大な要求を笑顔で軽々と突きつける。
こちらの事情は、何ら
小説投稿サイトの使い方だけではなく、小説の書き方の指導も求められるのかと、俺は薄っすら予感していたものの皮肉めいた気分になって、ぼさぼさの頭をかいた。
だが一方では、俺はたとえ相手が藍島であったとしても、小説を書く方法論を語る正当な理由を得たことには正直わくわくしてもいた。
俺も自己顕示欲にまみれたワナビの一人だから、自分の創作論を語りたい気持ちは常にある。聞かれてもないのに語るのはみっともないから黙っているだけなので、尋ねられたら嬉々として答えてしまうだろう。
そうなるのが格好悪く思えたのも多分、藍島の頼みに応じたくなかった理由の一つなのだが、ここまで来てしまったからには受け入れるしかない。
「しょうがないな。それならまず、書こうと思っていた内容を聞こうか」
矜持を守るためにあえて恩着せがましく、俺は藍島に質問する。
俺は一瞬だけ無意識のうちに、自分がごく普通のワナビであるように、藍島もごく普通に小説を書こうとしているのだと錯覚した。
しかし男アイドル界隈という異世界よりも遠い場所の住民である藍島は、俺とはまったく思考回路が違う、異様で理解しがたい人物である。
だから俺が尋ねた瞬間、よくぞ聞いてくれたという様子で剣術の達人のように間合いを詰めて怒涛の勢いで話し出した藍島に、俺は圧倒されることになった。
「私が『ワケもなく悪い男の小説大賞』に応募しようと思っていたのはね、裏社会を生きる六人の男たちが、組織の主導権を争って殺し合いをする話だよ。ジャパナイ全員出演で映画を撮るならって妄想で考えたストーリーなんだ。ジャパナイのサード・シングルは学園ラブコメドラマとタイアップしてるのに、なぜかMVの衣装が全員黒スーツのノワール映画風で特にサビの歌詞が超エモいんだよね。マシンガン乱射してるモツヒサくんの映像を見てたら、殺伐とした世界を生きて死ぬモツヒサくんが見てみたいなって思っちゃって……。あ、ちなみにエモっていうのは元々はアメリカを中心にハードコア・パンクから発展した音楽のジャンルのことを指した言葉で、つまりスクリーモやメタルコアの影響を強く受けたジャパナイの楽曲におけるエモはそこらへんの学生が使う単なる流行語じゃなくて、そういう歴史を踏襲した本質的な意味も持っていて……」
終着点が一向に見えないまま、藍島は疲れや躊躇を少しも見せることなく話し続ける。
(オタクは語りだすと止まらないって言っても、限度ってものがあるだろう)
ジャンルは違えどもオタクであるという点に関しては共通点があるはずの俺も、藍島の止まることのない強い語りには恐怖を覚えた。
確かに俺も、ゼロ年代のロボットアニメの系譜について話すときにはこれくらい威勢がよいのかもしれないが、それでも藍島よりは常識的な範囲で生きているはずだと思う。
「いやいや、ちょっと待て。その『ワケもなく悪い男の小説大賞』は、下限なしの一万字以内の短編小説を募集するコンテストだよな。六人の男の殺し合いじゃ、一万字じゃ収まらないだろ」
俺は何とか勇気を振り絞って藍島の執筆計画の短所を指摘して、コンテストに応募するための小説を書くというところまで話を引き戻した。
二次創作の枠からはみ出して行きそうな脳内キャスティングの熱はすごいが、話が脱線してくのは修正しなければならない。
「え、一万字ってすっごい長い気がしたけど、そうなの?」
話せば聞く耳を持たないわけではない藍島は、やや冷静になって不思議そうに聞き返す。
「一万字は描写の濃さにもよるが、だいたいSNSに投稿されるひとつの平均的な短編漫画くらいの長さだな」
俺は自分のスマホでSNSのタイムラインを開き、流れてきた短編漫画を適当に表示させて藍島に説明した。
模試で書く八〇〇字の小論文に慣れているとわからなくなるが、小説投稿サイトでは一般的に数万字は短編から中編で、十万字前後から長編であると考えられている。
「そっか、じゃあ別の話を考えない駄目か」
自分の認識にズレがあることを知った藍島は、当初の想定にこだわらずあっさりと方向転換しようとする。
一方で俺は最初に書きたかったアイディアを捨てるほどではないと考えて、助け舟を出した。
「いや、そうでもないぞ。裏社会が舞台の話を書くために、藍島は六人分のキャラクターの設定を考えたわけだろ」
「うん。元球児とか、潜入捜査官とか、大雑把には考えた」
「そのキャラクターの内の一人か二人を選んで、さまになりそうな過去のエピソードについて書けば、だいたい一万字以内の小説になるんじゃないのか」
六人組アイドルグループのMVを下敷きにしたパロディはあくまで発想の起点に留めておくことで、ドルオタの妄想っぽさが薄れてそれらしくなるのではないかと、俺はちょうど良く有用なアドバイスを思いついて伝える。
その提案を聞いた藍島は、感心した様子で頷いた。
「確かにそうかも。それなら書けそうな気がする」
藍島は何かを思いついた表情でスマホのメモアプリを開き、何かを書き留める。
考えたことを記録する習慣をすでに持っている藍島の姿に、思ったより自分は必要ないのではないかという疑念を抱いた。
その記入が終わるのを待って、小説投稿サイトの新規作品の作成ページの話に戻ろうと俺は声をかける。
「じゃあとりあえずこのページのタイトルには、コンテスト用(仮)とか入れておいて……」
その言葉の「コンテスト用」くらいまでは、ちゃんと藍島の耳に届いていた。
しかしそのときまた再び、藍島のスマホに通知が表示されて、藍島は素早くポップアップバナーを開いた。
「あ、もうすぐラジオ『第六ジャパ騎士学園』の時間じゃん」
今回はスケジュールアプリのリマインダーだったようで、藍島は通知を読み上げて確認する。
(もうそろそろ帰ってくれるのか)
昨日の出来事を思い出し、俺は藍島がこのまま帰宅するのだろうと先を読んだ。
しかし藍島は帰るそぶりを見せず、おもむろにリュックの中からWi-Fiのモバイルルーターを取り出し、窓際のチェストの上に設置した。
そしておそらく件の男アイドルのロゴマークが入っているのであろう栗皮茶のポーチのチャックを開けて、ワイヤレスイヤホンのケースを手にして俺の方を向く。
「ちょうどいい機会だから、休憩のついでに与村にも聞かせてあげるね」
藍島はイヤホンの左側を自分の耳にはめ、右側を俺に差し出した。
尖鋭さと可愛らしさの同居する色白な顔に浮かぶのは、素晴らしくまぶしい笑顔であるが、俺がその好意を受け取る理由はなかった。
「いや、俺はラジオとかあんまりよくわからんから……」
俺は椅子を引いて立ち上がり、藍島が帰らないなら自分が帰ろうと、部屋の時計を見て適当な理由をでっちあげようとした。
だが藍島はそこまで関係が深くない異性が相手であることを気にも留めずに、ものすごく強い力で俺の肩を掴んで再び座らせた。
「大丈夫だよ。ジャパナイは話し方がみんな個性的だから、誰が何を話してるかすごくわかりやすいと思う。声も特徴的だし。でも歌うときは六人の声が渾然と響き合って素晴らしい一体感を生み出すのがジャパナイのすごいところで、特にやっぱりモツヒサくんが低音を響かせることで全体の音が引き締まって……」
和やかで優しい、しかし激情をはらんだ声色で、藍島は俺を捉えて支配下に置く。
藍島の長く冷たい指が俺の右耳に触れて、ワイヤレスイヤホンをはめている間も、俺は耳垢がついたらついたら恥ずかしいな、と何となく思いながら黙って震えないようにするしかなかった。
(こういうイヤホン片方ずつ、みたいなラブコメ風のシーンを書いたことはある。だけど相手が藍島の場合は)
過去に執筆した異能学園ラブコメの内容が、走馬灯のように頭の中を駆け巡って逃避しようとするけれども、目をそらすことのできない藍島の存在感が現実に俺を引き戻す。
「音量はこれくらいかな」
スマホを操作する藍島が、最小音量から徐々に上げて丁度よい音の大きさにすると同時に、片耳ににぎやかなラジオの前番組の音が入ってくる。
「音量が合わなかったら言ってね。イヤホンの本体のボタンだと細かい調整ができなくて、スマホで上げ下げしてるから」
俺の鼓膜を気遣って、藍島がスマホを片手に微笑んだ。
しかし俺は耳の健康も大事だけれども、好きでもなんともない男アイドルの会話を長々と聞く虚無の時間に精神が耐えられるかどうかの方が心配だった。
つい先程までWeb小説を書く話をしていたはずなのに、どうして二人でネットラジオを聞くことになるのかがわからない。
「この部屋、電波状況がわりと良い気がする。学校にいるときは、またこうやって使わせてもらおうかな」
藍島は窓際に置かれたモバイルルーターを眺めて、恐ろしい思いつきを口にする。
その声があまりにも明るく楽しげなので、俺は藍島に否定的な返事をすることができなかった。
(そいつらは実はトーク力があって、思ったよりめちゃめちゃ面白いラジオ番組だったってことはないだろうか)
椅子の背もたれに無気力な身体を預けて、俺は根拠もなく願った。
だがその数分後に始まった男アイドルの番組はやはり、知らん若い男たちがつまらないお悩み相談と、下ネタで騒いでいる音声でしかなかった。
そして俺は愛想笑いでやりすごした結果、彼らは世界で一番面白い話をしていると信じている藍島によって、アーカイブも含めてがっつり一時間以上そのラジオ番組を聞かされた。
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