第7話 小説を書く勉強
二人でカラオケに行ったそのすぐ翌日、藍島は文芸部の部室に姿を現した。
「与村の言ったとおり、タイトルとキャッチコピーとあらすじを埋めてみたら、だいたいの話がまとまったよ」
藍島は前回よりもさらに我が物顔で部室の中まで入ってきて、スマホを小型のワイヤレスキーボードにつないで自分の小説を書こうとしていた俺のすぐ隣に座った。
「へえ、どんな感じになったんだ?」
わりと進捗が早いなと思いながら、俺はさり気なく藍島との間に距離を置きつつ顔を上げた。
「じゃあちょっと、スクショで送るからよろしく」
藍島はスマホを取り出して、俺のメッセージアプリに小説投稿サイトの作品情報設定場面とメモのスクリーンショットを送る。
いつの間にか俺と藍島は、メッセージアプリでつながりいつでも連絡が取れる仲になっている。
(タイトルは「綻ぶ日常と君」、キャッチコピーは「6年3組が学級崩壊しているのは、夢原くんのせいらしい」か……。それなりに目を引く、良い字面だな)
俺は自分のスマホの通知から、藍島から送られてきた画像を開いて読んだ。
そこに書かれていたのは、とある小学校のクラスを舞台にした不穏な恋愛物語である。
主人公の女子小学生は、学級崩壊したクラスの中で一人本を読んでいる同級生に恋をしており、彼を常に見つめている。
彼を毎日見ていた結果、彼女は彼の何気ない一言が他の児童たちをいがみ合わせ、学級の崩壊へと導いていることに気づく。
日常が綻んでいく原因に彼がいることがわかったそのとき、彼はそっと彼女の方を振り向き、静かに人差し指を立ててくちびるに当た。彼は彼女の視線も好意も、すべてを知っていたのだ。
クラスメイト全員について深く理解しながらその関係を壊し続ける彼の意図を、彼女はまったく掴めない。だが、彼女は彼のことが好きなので、彼の要望通り何もかもを黙って見て見ぬふりをすることにした……というのが、藍島が書こうとしている短編の内容であるらしい。
学級崩壊しているクラスのやりとりを書くのがなかなかハードルが高そうではあるものの、話の流れ自体は興味深いのではないかと俺は藍島のアイディアを冷静に評価した。
「うん。面白そうなプロットなんじゃないか」
「プロットって?」
「小説を書く前に用意する設計図みたいなものだ。長編を書くときにはキャラクターの設定表を用意したりもっと詳しく書いたりすることもあるんだが、短編ならこれくらいで良いだろう」
首を傾げてプロットの意味を訊ねる藍島に、俺はざっくりとそれがどういうものかを説明する。
藍島は適当な相づちをうち、ここからを本題にしたがっている様子で、さらにまた俺に詰め寄った。
「じゃあ次は本文を書くってことだね。小説って、作文とかと書き方が違うと思うんだけど、どうやって書くの?」
明るく曇りのない藍島の声が、ただのWeb小説投稿者に過ぎない俺には大きすぎる問いを、無責任に投げかける。
「小説の書き方は本当に、人それぞれ違うからなあ」
気恥ずかしくなった俺は、藍島から目をそらして頭をかいた。
俺には俺なりの文章作法があるが、それをそのまま藍島に伝えるのは、しがないアマチュアの分際では憚れる。
だから俺は、藍島には小説の書き方ではなく、小説を書く勉強方法を教えることにした。
「結局、小説の書き方を掴むなら、自分が書きたい文体に近い作家の小説を書き写して学ぶのが一番だと思うぞ」
これは俺も、かつてやったことがある勉強方法である。俺は以前、文章が読みやすいと評判の書籍化作家のWeb小説をノートに書き写して、一般的な読者が好む文体を学ぼうとした。
その結果に大勢の人に読まれる小説を書けるようになる未来があったわけではないが、俺が小説を書けるようになるために必要な学びであったのは確かである。
「でも自分が書きたい文体って言っても、特に憧れの作家さんとかはいないんだけど」
「そういう場合は、芥川龍之介とか今読んでも違和感の少ない文豪の短編とかが良いかもしれないな。著作権が切れてればネット上で読めるし、短い作品を最後まで写せば構成の勉強にもなる」
真似がしたくなるくらい好きな作家はいないらしい藍島が少々困った顔をしたので、俺はネットのどこかで読んだ知識を頭の奥から引っ張り出す。
俺がスマホで「芥川龍之介 短編」で検索していくつか適当に選んだアドレスを藍島のメッセージアプリに送ると、藍島は自分のスマホでそれを開いて興味深げに画面をスワイプした。
「確かに、こういう短い文章なら勉強しやすいかも」
藍島が納得した表情になったので、俺は安心して補足の情報も伝える。
「書き写したあとは句読点や文末表現、主語述語関係に線や印をつけるとより勉強になるぞ。あとは、背景や人物の外見の描写、状況の説明とかの情報の出し入れをよく見るのも大事だし、会話文の入れ方もチェックしておくと良いな」
「なるほど。何だか国語の授業みたいだね」
藍島はスマホで俺の説明のメモをとり、すべての文字を打ち終えると、軽く息をついた。
それから藍島が顔を上げたとき、藍島の瞳の色が何かのスイッチが入ったように変わったので、これまでの経験を踏まえて俺は不安を覚える。
その予感は残念ながら当たっており、藍島は俺の講義を男アイドルの話にずらす糸口を無意識のうちに探り当てていて、うっとりとした眼差しで虚空を見つめて語りだした。
「ちなみに文豪と言えば、ジャパナイは古典文学の朗読劇のシリーズをやったことがあるんだけどね……」
終点がまったく見えない藍島の話の切り出し方に、俺は思わず目をつむって途方にくれた。
(うっ、今日は一体俺は何を押し付けられるんだ……!?)
だが俺がすべてを諦めて、その朗読劇の音源を長々を聞かされる覚悟を決めたそのとき、部室の扉が開く音がした。
「ちょっと入るぞ」
続けて聞こえてきたのは、聞き慣れた親友の声である。
俺が目を開けて扉の方を見ると、古賀がのっそりと熊のように立っていた。
「あ、古賀」
彫りが深くしっかりとした造りなのに表情に覇気のない古賀の顔はごく普段通りだったが、藍島のドルオタとしての熱意に脅かされていた今この瞬間には、俺を救いに来てくれた
俺と親しげな人物の来訪に、藍島は話を中断して礼儀正しく挨拶をする。
「お邪魔してます。藍島まほあです」
部外者である自分の立場を思い出したらしい藍島は、若干茶化した敬語で笑みを浮かべていた。
「一応、ここの部員の古賀昭弥だ」
藍島の噂は聞いていても初対面である古賀も、まずは自分の名前を名乗る。
文芸部の部室はほぼ物置の狭さなので、背が高く大柄な古賀と藍島の二人がいると、挟まれた俺はより自分が小さくなったような気がして少し悲しくなった。
(だけど古賀がここにいてくれるのは、かなり心強い)
俺は藍島のジャパナイの朗読劇についての話を確実に終わらせるために、積極的に古賀に話しかけた。
「今日は読みたい本があるから、図書室に行くって言ってなかったか?」
「それはもう読み終わってて、同じ作者の本がここにもあるから次はそれを読む」
部室を圧迫する大きな金属製の本棚の前で屈み、古賀は歴代の部員が残していった蔵書から何冊かの文庫本を抜き出しはじめる。
古賀は普段から本を読むのが非常に速いので、その発言は驚くべきことではなかった。
「じゃあ、オレの用事はこれだけだから……」
丈夫そうなビニールのショップバッグに手早く本をしまうと、古賀は立ち上がりすぐに部屋を出ていこうとする。
そこで俺も慌てて古賀に便乗し、こちらも話が終わりかけていた雰囲気を装って藍島の方を見た。
「俺たちももうそろそろ、帰ろうと思ってたところだよな?」
「うん。そうだね。聞きたかったことはだいたい聞けたから、もう大丈夫だよ」
古賀が来たことによって、自分が今ドルオタとして長話を始めようとしていたことを忘れた藍島は、今日は素直に帰宅を決めてくれる。
こうして俺たちは流れで三人一緒に下校し、学校の最寄駅である名鉄の高横須賀駅まで歩くことになった。
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