第13話 不良少女宛の便箋

 この時期の雨は、さすがに堪えた。

 ほんの少し濡れただけだと思っていたが、あの雨量だ。一瞬で濡れ鼠になった。

 特に授業に価値も見い出していないから、私はそのまま帰って着替え、夜まで適当に自分の部屋の本棚にある本を読み漁る。

 本が好きなわけではない。読書が好きなのだ。


 全てにおいて、静と動のメリハリが大切だと教わって以来、何か気持ちが治まらない時は強引に読書をして落ち着かせるようにしている。

 だから、本棚に置いてあるいくつかの小説は、何度も読んでいるが内容は殆ど覚えていない。私にとって、小説を読むのと素数を数えるのは同義である。

 部屋に響くのは、時計の秒針の音と、小説をめくる紙の音。そして、止まない雨の音だけ。

 そして、私の中で湧き上がる怒りの鼓動だった。

「くそが」

 小説を枕に投げ、ベッドに倒れこんだ。思い出すのは、喧嘩に水を差したあのバカの顔だ。


 あの顔が、私は何よりも嫌いだった。正義を胸に抱いた狂人が浮かべる、覚悟と蛮勇をはき違えた表情が。

 自分の行動が、そんなに崇高なものだと、なぜ思い込めるのだろう。

「お気楽なバカは羨ましいわ」

 後悔を知らない。挫折を知らない。屈辱を知らない。無念を知らない。


 知らないことが、羨ましい。

 そして、可哀想だ。


 本棚に目を向ける。小説以外の本も沢山並んでいる本棚は、自分の趣味や思考が面白いくらいに反映されていた。

「そろそろ片付けないといけないな」

 毎日思うことを今日も噛みしめ、夜が更ける前に眠りについた。


 ☆


 早起きは得意だった。自堕落に思われることが多いが、起きようと思った時間に必ず起きることが出来る。目覚まし時計も、数年前から一切使っていない。昔は毎朝ジョギングなどするために起きていたが、ここ最近は起きる必要性がないのでゆっくりだ。

 学校の登下校だって、私にとってはどうでもいい。どうせうちの高校は変わっている。成果さえ出せば文句は言われない。

 逆をいえば、いくら努力しようと成果を出せなければ簡単に捨てられる。

「朝から勉強とは、私には想像できない生活だ。よくやるよ、皆」

 受験の時もそうだ。寝る時間を削る者、好きな人と会う時間を削る者、自由を削る者。クラスのみんなが何かを犠牲にして勉強をしていた。

 それを教師も喜んでいた。応援していた。


 その光景が、私には気持ち悪くて仕方が無かったのだ。

 教師は努力を誉めていたのではない。あくまでも勉強をしていることを誉めていた。

 学生の本分だからなのか、自分の評価に繋がるからなのかは知らないが。

 

 皆が勉強して夢を追う姿を、私は見ることしか出来なかった。

 努力という言葉に裏切られ、砕けた心じゃペンすら持てなかった。


 そんな私が、あんな高校に入学したのだから、お笑い種なのだ。


 冴えた頭と裏腹に、身体は動こうとしなかった。布団の上で何度も寝返りを打ち、スマホでゲームをしたり、動画を見たり。

 何時間もそうしていると、遠い所で学校のチャイムが聞こえた。

 うちの高校のものだ。

 こんなに学校が嫌いなのに、チャイムが小さく聞こえるほどには近い所に家がある。無視をしようとすると、チャイムの音量が大きくなったかのように錯覚してしまうくらい聞こえてくるから、たまったもんじゃない。


 そして、チャイムと共に浮かぶ、あの顔。

 布団に顔をうずめても、耳を塞いでも、あの憎たらしい顔が私に説教をしてくるのだ。

「駄目だ……あの顔を一発本気で殴らないと、腹の虫が収まらない」

 全身を掻きむしりたくなる感情を抑えながら適当な小説に手を伸ばす。意味を持つ文字たちを、何も考えずに延々と目で追った。そこにある意味を一切汲み取らず、この本に何文字あるのか、ずっと数を数えていく。


 二千を超えたあたりで、私の携帯が揺れた。電話だ。

 すぐに手に取り、着信先の名前を確認した。

「うわ……」

 一度、衝動的に電話を切った。

 着信先は、一秒と待たずにかけ直してきた。


「……もしもし」

『なぜ一度切った』

「偶然だよ」

『また前みたいに脳天を打たれたいみたいだな』

 電話の相手が、物騒なことを言ってくる。その言葉に、昔の痛い記憶が蘇った。

「それだけは……」

『なら学校に来い。サボりは許さんぞ』

「うちの高校は成果さえ出せば欠席日数すら関係ないんだろ?」

『成果を出すために来いと言ってるんだ』

「嫌だ」

『ほう、それはあれか? 私に家まで来てほしいと言うことか? マンツーマンで指導してほしいと?』

「…………分かった、行くから家に来るのは辞めてくれ」

『訪問が嫌なら、学校で待ってる。早く来いよ』

 好き勝手言い終わると、電話の主は一方的に電話を切った。

 のんびりとしていたはずの朝が、一気に嵐の後の呆然とした雰囲気に変わった。

「…………行きたくないんだけどなぁ」

 細やかな抵抗として布団に寝ぞべりながら、電話の着信履歴を睨んだ。


 そこに掛かれた名前は『霧島』だった。



 結局、私が学校に着いたのは昼休みの後半だった。

 本当は放課後だけ顔出して帰るつもりだったのだが、そのためだけに外出するのも馬鹿らしく感じたから、この時間に来てしまった。

 特に勉強するつもりは無かったが、教科書は全て机に入っているから、手ぶらでも全く問題は無かった。


 唯一の問題は、席順だ。

 あの憎らしい顔を見ないといけないからだ。

 あれを殴って黙らせるのは簡単だ。でも、あの目で見られること自体が不愉快だから、そもそも会いたくない。

「ま、無視してればいいか」

 怒りを抑えるために、適当な文庫本を一冊ポケットに入れて、賑わう廊下を通り、教室へと向かった。


 教室に入ると、私の席の近くには男子生徒が一人いるだけだった。

 自己紹介し合った、あの陰キャだ。

「おい、陰キャ」

「え、猪川さん……!」

 いちいち怯えた反応するのも鬱陶しい。なよなよした男は根本的に嫌いなんだ。

「他の2人はどこだ?」

「天音さんと高梨さんの、ことかな?」

 そういえば、そんな名前だった気がする。

「天音さんは、風邪で休んだよ……それで、高梨さんはお見舞いのために早退したよ」

「お。じゃあ2人に会わなくて済むのか。ラッキー」

「……天音さん、昨日の雨で風邪をひいたんだよ?」

 自分の机に座った私に、陰キャが言った。その目は、私から何か言葉を欲しいらしかった。

「私のせいとでも言いたいのか?」

「いや……そういうんじゃないけど……」

 陰キャの煮え切らない態度に、またイライラしてきた。

 何も答えず、持ってきた小説を開いて読む。


 そうやって仲良しこよしで結託して、自分たちが嫌いな人間を敵対する。面白いくらいに分かりやすい相関図だ。

 陰キャは、あの二人の仲間なのだ。すなわち、私の事は敵だと思っているだろう。

 どうせ耳を傾けた所で、私がイライラするだけだ。


 小説を数ページ読み進めた所で、自分の机の中に一通の便箋が入っていることに気付いた。

 これは配布プリントか何かか? だが、プリントと違ってどうみても便箋だ。普通に考えて、誰かが意図的に入れたものだった。


 便箋は簡素なもので、『猪川様』とだけ書いてある。

「おい、陰キャ」

「な、何?」

「この便箋は何だ?」

「それは……なんか、傷だらけの上級生が数人来て、猪川さんの机に入れていったんだ」

「傷だからけの上級生?」

「なんか怖そうな顔をした人もいたけど、それを入れた人はちゃんとした人だったよ」

 陰キャの言葉に、つい鼻で笑ってしまった。

 そんな状況で、ちゃんとした人なわけないだろ。本当にちゃんとした奴は、大勢で来ないし、そもそも便箋に自分に名前くらい書くだろ。


 破り捨てるのも構わないが、一応その便箋を開けた。

 中身は一枚の紙。

 書かれているのは、たった一文。


『折れた竹刀は捨てましたか?』


 それを読んだ私は、その紙を破いた。

 何度も何度も、必要以上に引き裂き、近くのゴミ箱の奥に捨てた。

「猪川さん……?」

 陰キャが私を心配そうに見た。

「大丈夫?」

「お前に関係ない」


 昼休みが終わるチャイムが鳴った。私は放課後まで、寝たふりをして過ごすことにした。

 きっと今の感情は、文字を読んでも落ち着かない程度には騒がしくなっていたから。

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