第14話 尊敬していたあなたへ、憐れみを込めて

 ただ長いだけの授業を終え、私は職員室へと急いだ。

 道中、何人もの生徒に肩がぶつかったが知ったことじゃない。怒鳴る奴もいたが、そんな馬鹿に構う時間が勿体ないのだ。

「おい、待てよ!」

 肩がぶつかった奴の一人が、私の腕を掴んだ。握力が強く、掴まれた腕がギシギシ痛む。

「何か言うことあるだろ、おい」

「触るな、か?」

 腕を掴まれたまま捻り上げ、ふらついた足を思いっきり蹴り払う。男はあっけなく転がり、近くの壁に頭からぶつかっていった。

「急に触ってくんじゃねぇよ、変態が」

 痛みにもがいている男を放置して、私は職員室へと歩みを続けた。


 ☆


「で、私の所に来た、と」

 職員室に着くと、担任の霧島がコーヒーを飲んで休憩していた。すぐに本題に入ろうとしたが、他の先生がいたため場所を移すことになった。

 そして、私と霧島は屋上で二人きりになった。

 本来なら屋上の鍵はかけないのだが、霧島はわざわざ鍵をかけて誰も入れないようにした。

「お前が学校に来るように脅しやがったからな。顔は拝んでやろうと思ってよ」

「……いつまでその口調なんだ?」

「悪いかよ?」

「あぁ、しいて言うなら恥ずかしい」

 屋上からの落下防止フェンスにもたれ、持ってきたコーヒーを一口。ブラックコーヒーの香りが風に撒かれ、うっすらと私にも届いた。

「無理して悪ぶってるのが見え見えだ。慣れない粗暴な言葉を並べ、好きではない暴力をふるい、お前はどこに行こうとしているんだ」

「知った口を聞くなよ。私の何を知ってるって言うんだ」


「知ってるさ。なんせ、昔からの仲じゃないか」


 霧島は何の臆面も無く言い放った。まっすぐと私を見る眼が、私の脳みそまで貫いて来そうだ。

「……あの頃の私はもういない。諦めろ」

 視線から逃げるように、霧島の横でフェンスに寄り掛かった。頼りないフェンスの強度に、少し背筋が冷えた。

「あの頃というのは、10歳の頃の可愛い奏良のことか?」

「やめろ」

「それとも、13歳の頃の可愛い奏良のことか?」

「やめて」

「それとも……」

「やめてってば!?」

 霧島が何を言い出すか分からず、つい声を大きくしてしまった。

「何で霧島は変わらないの、昔から……」

「私も変わったさ。振る舞い、言葉遣い、思想、何もかも」

 グイッとコーヒーを飲み干し、そのまま屋上で大の字になって横になった。


「だが、根本的な部分は変わらない。いくら武術を磨いても、自分を律しても、私は昔と同様で可愛いものが大好きで、部屋も片付けられない、ダメダメな霧島美香子なまんまさ」

「部屋、まだ汚いのか……」

 そこは直してほしいんだが。

「お前も一緒だよ、奏良」

「一緒じゃない」

「なら、なぜ私に会いに来た」

「お前が学校に来いって言ったからだろ」

「無視すればいいだろ」

「家に来るって言うから」

「私はそこまで暇ではない。冗談だ。それくらい、分かるだろ」

「…………」

「嫌そうにしているわりに、そこまで構ってもらえないと思うと寂しくなる感じか?」

「寂しくねぇよ!」

「変わらないな、奏良」

 何に満足しているのか、霧島は良い顔で笑っていた。


「こうやって二人で話すのは何年ぶりだ」

「……中学二年の春が最後だ」

「長かったなぁ」

「長いわ、馬鹿」

「好きだったよ、奏良と剣道教室で汗を流したの」


 私と霧島は、同じ剣道教室に通っていた。年齢こそ霧島の方が上だが、彼女は剣道歴五年。それに比べて私は5歳からやっていたので結果十年の剣道歴になる。霧島の腕前は、その異常な飲み込みの速さから道場の人間を一年程度で制覇していった。天才が現れたと、当時は囃し立てられていたものだ。

 だが、そんな霧島が倒せなかった唯一の人間、それが私だった。

 単に剣道歴から来る差なのだろうが、結局五年間一度も一本取られることはなかった。負けず嫌いだった私も、それだけを目標にして剣道をしていたのかもしれない。霧島に出会ってからの成長は、自分でも感じ取れるくらいだった。


「最強と謳われた猪川奏良が、なんで不良みたいなことしているんだ。キャラに合わなすぎだろ」

「こっちが本当の私なんだよ」

「見ていて滑稽だぞ」

「なんとでも言え」

 屋上は風が強い。喉まで上がった言葉が、うまい具合に熱を奪われ、消えていった。

「奏良。私は奏良を本当に尊敬していたんだ」

「あっそ」

「幼い心に正義を持ち、努力を崇拝し、弱きを助けることを幸せとしていた。それが如何に子供の見る夢だろうが、その綺麗さに私は感動していたのだ。結局、一度も奏良に剣道で勝てなかったのも、その精神が私に足りなかったからだと思っている。これは空想ではない。実績は奏良の経歴が物語っている」

 いくつもの試合で勝ち、トロフィーも複数もらった。あの頃の私は輝いていた。

「良いことを教えてあげるよ、霧島。いや、霧島先生」

「奇遇だな、私も奏良、猪川に教えてやろう」


「正義は正しさじゃない、多数派のことを言うんだ」

「お前の過ちは、あの行動ではない。その後の行動だ」


 遠くのグラウンドで、野球部が試合をしていた。部活動生の声がここまで微かに聞こえてくる。

「霧島先生、私の竹刀は折れたんだよ」

「折れた竹刀は次を用意すればいい。私は何度、猪川の竹刀に折られたことか」

 

 今日は良い天気だった。もっと沢山話したいことはある。だが、話そうとしない自分がそれを許さない。

 数分して、霧島はスッと立ち上がった。

「私は戻るとしよう。仕事もあるしな」

「……うん」

「すまないな、奏良」

 霧島は、最後にこう言った。


「お前を変えるのは、私ではないみたいだ」


 そして、1人残された。

 ただっぴろい空にポツンと、私だけ取り残されてしまった。

 雨は降らない。それでも、私の頬は濡れていた。

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