一章 紅の契約
1.馬車から降ろされて……
「おい、降りろ」
「そんな乱暴に、扱わないでいただけます?」
日が沈み、あたりはすっかり暗くなってしまった頃。
爵位を没収されて単なる罪人となった少女、ウルティナは、馬車から手首をガッシリとつかまれ、降ろされてしまった。
しかも、抗議のつもりであげた声でさえ無視されてしまうというオマケ付きで。
先ほどの言葉は、悪役という役を演じるための言葉ではあったが、少しぐらいは反応してくれてもいいだろうに、とウルティナは思う。
元が公爵令嬢という高い地位であったこともあって言ったが、思ってもいないことを言ってはない。
やはり罪人は世間から認められない人なのだろうか。たとえそれが、全て本心ではない偽りの行動から生じた罪だとしても。
罪人にもそれぞれが抱える事情は違うはずなのに。
……いや、違う。
偽りだとしても、罪を犯したという事実は変わらない。
どんな理由があっても、ウルティナがクリアン・ティオ=サタナス公爵令嬢を階段の上から突き落とした、という事実は。
結局なにも言わないままで馬車の中に戻ってしまった彼は、パタンと馬車の扉を閉めてしまった。
もうウルティナの声は、届かない。
少ししてから、馬は御者に命じられて走り出す。
転移魔法が使えないウルティナは、もう今までいた場所に戻ることはほぼ不可能。だからといって騒ぎ立てることがなかったのは、以前から決意を固めていたから。
どんどんと遠く離れていく馬車を、彼女はただただ静かに見つめていた。
やがて夜闇に紛れて馬車が見えなくなると、ウルティナは小さく息を吐いた。ぐっと伸びもする。
かの第二王子の件は、とてもうまくいった。今でも信じきれないけど、成功することができたのだ。
「……ふふっ」
嬉しい。
純粋に、やり遂げられたことが、なによりもウルティナの胸の鼓動を高まらせていた。
こんなの、初めてだ。
自分の意思で決めたことを、きちんとできたことは。それもこの意思は、周りの人の期待とかそういうもので流されて固めた意思なんかじゃない。
ちゃんと、自分で、見出した意思だから。
「私、やればできますのね」
もう演じる必要もなくなったウルティナの表情は、達成感を噛みしめるような笑顔。
自身が組み立てた計画を、きちんと道筋通りに辿れている。
それは、本当に初めての経験であった。
いつも近くのできすぎる兄がいて、その兄を、その取り巻く環境を認めさせるには、そいつを超える他に手段はなかった。
そんな環境で育ってきて、他の目的を作ろう、なんてことは思うこともできなかった。
だからこそ。
本当に、心の底から、ウルティナ自身で『成し遂げる』と、命を賭した覚悟を決めて。
たとえそれが、ゲームで決められた道筋であっても、計画のほんのさわりの部分でしかなくても。
少しの失敗が十数年間生きてきた上で仕組んだことが全て無駄になってしまうような極限の状況で、しかもあの男の前というハードルが高くなる状況下で。
やり遂げることのできた、その気持ちは。
ウルティナという少女からすれば、かけがえのないモノとなったのであった。
唯一、計算が狂ったことをあげるなら、あの後の彼女の妹の行動。
パーティーで婚約を破棄され罪人となったウルティナは、直行で牢屋に閉じ込められた。もちろんこれもウルティナの想定内であり、別段驚くことではない。
むしろ、牢屋から直接国外への追放が行われるものだと思っていたくらいだ。
そのために、武器類の必要最低限の物資は潜ませてあった。
しかし。
ここでなぜか、クリアンが口を挟んできた。
いわく、「もう二度と戻れないのなら、せめて最後に屋敷へ行かせても良いのでは?」と。
もしこの言葉を言ったのがクリアン以外であれば、誰も相手にしなかったに違いない。
だが、ウルティナから直接の被害を受けたクリアンが、それもウルティナの妹でもあるクリアンがそう告げて。
その上ウルティナを屋敷に行かせないのならば婚約を結ばないと宣言までされてしまったのだ。
そのような状況で、クリアンの提案を無視することは何人にもできやしなかった。
おかげで、装備品と必要な物資、それから身なりを整えることができた。持ち物はあくまで、ウルティナが普段から身につけている肩掛けのポシェットに入る分しか持っていくことを許されなかったが。
実際は隠し持っていたが、本来ならば罪人が何か所持品を持つということはあり得ないこと。
ウルティナがポシェットに入る分だけでも所持品を、しかも武器も持つことを許されたことには、クリアンの影響力の強さを感じ取ることができる。
王子が婚約を求め、その上聖女候補ともなれば、これくらいの影響はあってもおかしくはないのかもしれない。
まあ、ウルティナの、そしてクリアンの両親がウルティナを屋敷に入れることを了承した理由は、ウルティナからすれば想像の余地はあったが。
にしても、なぜウルティナに対して利のあることを、クリアンはわざわざ行ったのか。
慈悲深すぎる心を持つから、といえなくもない。
けど、そこまで人間は慈悲を持てるものなのだろうか。(体裁上は)殺されかけた、そんな危険な人を許してしまえるほどの、慈悲を。
あり得ない、とウルティナは思う。
だからといって、今のところそれ以外に思い浮かぶ、妹の行動理由は、ない。
少しの間考えた後、ウルティナはため息をついた。
わからないことをこれ以上考えても時間の無駄になるだけである、と結論づけたからである。
それよりも、今。
やることは、たくさんある。
ウルティナが組み上げた計画は、まだほんの序盤に過ぎないのだ。
(動きはじめる前に、今後の予定について確認しておきましょうか)
ポシェットの中から手のひらサイズのメモ帳と黒鉛の細い棒を取り出す。
黒鉛の棒には紙が巻かれていて、手が汚れないようになっている。
それから、こぶし大の石も取り出した。
ウルティナが魔力を流すと淡く光りはじめたそれは、魔光石と呼ばれる鉱石だ。魔力を流し込むことで光る鉱石で、使用者の魔力の調節具合で明るさも調節することができる。
メモを見たり書いたりするときに困らない程度で、魔物から見つからないように明るくしすぎないような明るさで魔光石の明るさを調節して、地面に置く。
魔光石の明かりを持続させるためには魔力を流し続ける必要があるが、ウルティナは離れている対象に対して、ある程度の距離なら魔力を流すことができるのだ。
メモ帳を開く。
一ページ目からびっしりと文字が書かれているそのメモ帳は、ウルティナの計画書。
誰かに見られることを防ぐために、基本紙などには計画に関することは書いていないが、このメモ帳だけには唯一、彼女が計画した、それも全ての流れがまとめられていた。
と、ウルティナがメモ帳をくっていた時。
「……ナ、ティ…………てよ、ねぇ……ばっ!」
彼女のポシェットの中から、謎の声が聞こえた。
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