悪役令嬢が○○になってはいけませんの?
叶奏
プロローグ
始まりの断罪
いつからだろう、と自身に問いかける。
ウルティナ・ティオ=サタナスという公爵令嬢に、前世の記憶がよみがえっていたのは。
☆☆☆
それなりには稼いでいた家に生まれた前世の彼女は、しかし置かれていた環境がとてもいびつだった。
できすぎる兄に家庭での、学校での、立場を奪われていた。立場を奪っていた当人は『努力すればなんでもできる』と、いつもこちらを蔑むような目つきで言い続けて。
しまいにはなんでもできてしまう兄と彼女とを、世間は比べてばかりいた。
そりゃあ、もちろん。努力すればなんでもできるという彼の持論は間違っていないのかもしれない。
けど。
けれども。
彼女はその人生を送る上ですでに一つの結論を出してしまっていた。
――『努力できる』ということが、そのことさえが、天から授かった、いわゆる天賦の才である、という結論を。
自分を見下してばかりいた兄を見返したくて、周りから認められたくて、そんな思いで必死に努力したものの、結果は芳しくなかった。
そうしていつしか、彼女は努力することを諦めていた。
どこかのタイミングで無駄であると、そう気づいてしまって、その想いを放棄してしまった。
努力のおかげでなんとか保っていた上位の成績も、諦めた瞬間からどんどんと転がり落ちてしまって、多少は認められていたかもしれないものも手放してしまい。
親からでさえも諦められてしまったというのに。
それなのに兄だけは、自分に対して努力が足りないと言い続けてくるもんだから。
何もできない自分から、逃げ出してしまいたかった。
なんの才能もないのなら、期待も何もしないでほしかった。
『何もできない自分』を見つめていることに、もう、嫌気がさして。
だからといって自殺をしてしまうほどの勇気もなかった彼女は、ゲームの世界に逃げ込んだ。
「けれども結局は交通事故で死んでしまうのだから。人生というものは、皮肉なものですわ」
自嘲気味な口調で、ウルティナは小さく呟く。
彼女が口にした通り。
前世の彼女は、交通事故で命を落としたのだ。
しかも、珍しく兄と学校からの帰り道に出会って、一緒に帰宅していた時に。
一緒に、というよりかは、たまたま学校から出る時刻が同じであった、というだけの話であるが。
当時は二人とも高校生で、まだ彼女が努力をしている時期に高校入試を迎えたため、兄と同じ学校に合格し、入学したのだ。
居眠り運転なのか、お酒を飲んで酔っ払ったまま運転をしていたからなのかは定かではないが、前世の彼女と彼女の兄は、歩道に突っ込んできた車にひかれた。
思いもよらない展開で、幕引きで。
あっけにとられたまま、彼女は意識を手放した。
そうして次に目が覚めたのは、今世での四歳か、五歳か、それくらいのこと。
頭を強く打ち付けたとか、そういうわけではないから、多分、タイミング的には物心がついた時だ。
ウルティナに前世の記憶がよみがえったのは。
いや、よみがえったというよりかは、脳の発達に応じて取り戻した、という方が正確なのか。
どちらにせよ、彼女はそうして前世の記憶を思い出した。
最初に浮かんだ疑問は、自身の名前に対して。
『ウルティナ・ティオ=サタナス』という名に、聞き覚えがあったからだ。
少し考えて、四歳か五歳かの彼女は体を強張らせた。いきなり動きを止めたもんだから、周りの使用人が慌てていたこともあったか。前世の記憶を取り戻してから、ずっと止まって考え込んでいたのだから、無理もないが。
ともあれ、彼女はその名を意味することに、気づいてしまった。
前世の彼女が一番熱中していたとあるゲーム。
一人の少女が通っていた学園で第二王子を射止め、その第二王子とともに魔王を討伐して、王妃にまで登りつめる、そんなサクセスストーリーを描いたゲーム。
そしてウルティナ・ティオ=サタナスは、その第二王子と婚約を交わしていた、公爵令嬢であった。
第二王子から婚約破棄された後、まだ未開発の土地に棄てられてしまうことまで、彼女は思い出してしまった。
ゆえに、彼女は固まってしまったのだ。
ゲームの通りにことを進めてしまえば、破滅してしまうことは確実。
当時まだ身体的には幼かった彼女は、まず、その破滅ルートから外れることを考えた。
簡単な話、破滅してしまう要因になる行動を起こさなければよい。
ゲーム自体は学園から始まっていたが、それまでに築くことのできる他の人との関係値に少しでも変化があれば、きっと破滅の道から外れることもできるはず。だから
ひょんなことで、ウルティナにとある考えが思い浮かんだ。
そして、少女は、決意した。
決意した結果、彼女は
もうまもなく、この会の主役が登場する――、来た。
壇の上に、主役の第二王子、オディウム=レーグス・ヴィークトゥースはしっかりとした足取りで立つ。
ウルティナはその様子を、会場の端から静かに眺めていた。
今日は、オディウムの十七歳を祝う誕生日パーティー。
彼は颯爽とした様子で、軽く手元の紙に目を落とし、観衆に向けて言葉を紡ぎ始めた。
「皆様。本日はお集まり頂き、有難うございます」
オディウムが壇上にあがってからも多少はざわついていた会場は、しん、とした静けさに覆われる。
「今日、このヴィークトゥース王国第二王子である私、オディウム=レーグス・ヴィークトゥースは十七歳となりました。ここまで育てて下さった…………」
当たり障りのない挨拶から始まった、しかし場の視線をきちんと集めてしまうほどの彼の言葉を聞きながら、ウルティナは静かに深呼吸をする。
もうすぐ。
彼女の今後を決める時まで、あと少し。
もう一度、深呼吸。
今日の、この日のために、全てを費やしてきた。
前世の努力ができない自分に、嫌気がさしていたから。
今世では、努力のできる自分でありたいと、そう願って。
幸いにも、前世よりも天賦の才には恵まれていたから。
たった一つの、前世からの想いを、今度こそ、叶えるために。
今日この瞬間まで、生きてきたのだから。
組み立てた計画通りに、生きてきたのだから。
どうか、どうか――――。
「…………所存です。ここで、皆様にお知らせがあります」
ウルティナ嬢、前に出てきて頂けませんか――?
呼ばれた。
ここまでは、まだ、計画通り。
三度、深呼吸。
ウルティナは、キッと前を向き。
その一歩を、踏み出した。
かつかつという靴が床を叩いて奏でる音のみが、会場を支配する。
それは一種のカウントダウンのようにも聴こえて。
やがて彼女は、第二王子と対面する形で立ち止まった。
ウルティナの顔に浮かぶのは、いつも通り傲慢そうな、作り笑い。
「何かご用ですの、殿下」
ふてぶてしく、そう言い放って。
ウルティナは『いつも通りの自分』を、演じ始める。
「本日のパーティー、一人で参加していましたのよ。せめて婚約者ならば、リードくらいはするものではなくって?」
ゲームでの言葉通りに、それらしい仕草で、この場の全てを騙し切れ――っ。
「それなのに、殿下ときたら。今さら私になんの用がありまして?」
現実から逃げ出すために、少ない小遣いでやっと買えたあのゲームは、何度も何度もプレイしていた。
それこそ、主要キャラのセリフを覚えてしまうまでに。
まさかこんなところで役に立つとは思いもしなかったが。
いってしまえば、これも努力の結晶ではあるのだろうか、と思う内心が、表に出ないように。
今は、集中しますのよ、私。
一つのミスが、全てを水の泡に変えかねない。
特に、あの男の前では。
「ウルティナ・ティオ=サタナス公爵令嬢。貴女にこの場をもって宣言させて頂きます」
はっきりとした声で、ウルティナだけでなく会場全体に伝えるように、オディウムは切り出した。
彼の目の前に立つ少女は、口元を扇子で隠す。
「ウルティナ嬢、いや、ウルティナ。貴女との婚約を破棄させて頂きたい」
瞬間、ざわめく会場。
ウルティナは、大きく目を、見開いて。
……――――口元に、大きな笑みを浮かべた。
きっと演じ切れずに素直に出てしまうだろう、と。
そう予測していた彼女は、あらかじめ扇子で口を隠しておいたのだが。
どうやらそれは、正解だったようだ。
少なくとも彼、第二王子には見えないよう、計算して覆っている。見える心配はない。
さて、あとは。
全てをフィナーレに持ち込めば、それでおしまい。
もうこの場ですることは、何もない。
そしてたしか、もうウルティナというキャラは何も言っていなかったはず。
連れ去られるときに、わめき散らしていたくらいか。
「貴女は幾つもの罪を犯しています。その一つに、現在聖女候補として有名なクリアン・ティオ=サタナス公爵令嬢への殺人未遂があげられます」
会場が、また、ざわめく。
「幸い彼女に大きな怪我はありませんでしたが、打ち所が悪ければ亡くなっていた可能性を否定できません。クリアン嬢は彼女の慈悲から貴女を許すと仰っていたが、到底許されることではない。私は貴女を裁くべきであると申し立て、我が国の司法機関もそれを受理しました」
ウルティナは、扇子で口元を隠したまま、何も言えないといった空気をまとい、話に耳を傾けている。
「罪状は、貴女の公爵令嬢としての地位の没収、そして国外追放です。このことは既に決まったこと。貴女の父上も了承しています」
そりゃそうよ、と思わず彼女は内心毒づく。
「もしも貴女が今通っている国立第一学園で優秀な成績を収めていれば、罪は軽くなったのかもしれません。ですが貴女は、第一学園生であるということを鼻にかけて、全くの努力もせずにただ暮らしていただけ。成績も下位。ですが、貴女が虐めていたクリアン嬢は違います。努力して、上位の成績を収めています」
ここでオディウムは言葉を切り、後方の垂れ幕に向かって手招きをした。
そこから現れたのは、純白のドレスをまとった一人の少女。
名を、クリアン・ティオ=サタナスという。
「ウルティナ。貴女は将来王家に名を連ねるものとしてふさわしくない。それは、貴女が罪人であるという事実がなかったとしてもです。代わりに私は、今我が隣にいるクリアン嬢と婚約を結びたいと思います」
ウルティナは目を見開いたままオディウムの姿をぼんやりと見ていた。
だからこそ、この言葉に観衆が声をあげる中で、クリアンという少女の顔が戸惑いに曇ったことに気づけなかった。
「そろそろ自分の犯した罪に気づけましたか? 貴女をここにいさせる理由はもう、ありません。この罪人を、牢屋に連れて行きなさい」
会場を警備していた兵士が、ウルティナの手をがちりとつかむ。
「はなして、いや、はなしなさいってば、イヤアアアァァァァアアアッッッッ」
悪役を演じ切ったフィナーレとして、ウルティナは叫び声をあげ、そして会場から姿を消したのだった。
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