12 本当の力・前


「有岡の遺したデータについて、話があると言っていたな」


 ボイドたちがディアロイド研究室へ侵入する、少し前。

 社長室に訪れた境川星奈に、貴堂豪頼はそう問うた。

「……ええ。有岡さんが"ああ"なってしまう前に、聞いた話があります」

「ふぅむ。興味深いが、何故それを、今になって話す気になった?」

 有岡勇人が死んでから、もう一年以上は経っているのだぞ。

 豪頼の言葉に、星奈の身は自然と強張る。覚悟は決めていた筈だ。彼の所業を白日の下に晒すため、彼と直接向き合うと。

 けれど実際に相対し、彼のギラついた力のある視線を正面から受けると……背筋が冷えていく想いがする。身を包む柔らかいソファの感覚さえ、自身を掴んで離さない枷のように感じてしまう程に。

「……時間が経ったから、です。当時は気持ちの整理も出来ていませんでしたから」

 ゆっくりと答えながら、チラと部屋の隅に目を遣った。

 出入口扉の横、部屋の左の隅にそれは居る。黄金の鎧を身に纏った、小さな躯体。趣味の悪い調度品のように静かに佇むそれは、けれど星奈の尊敬する仕事仲間を奪った血塗られた兵器である。


 星奈には、それが二重の意味で許せなかった。


「気持ちの整理か。確かにあれは突然の事故だ。心を痛めるのも無理はない」

「貴堂社長もそうでしたか?」

「フッハ。なんだその問いは? ……痛めたに決まっているだろう。有岡は優秀な社員だったからな。ヤツを失った事は、我が社にとって多大な損失だった」

「そうですか」

 裏を返せば、優秀な社員でなければ顧みもしなかったのだろう。

 この男が気にしているのは、会社の利益だけだ。一銭でも多くの金を稼ぎ、会社を強く大きくしていく。それ以外の事には興味が無い。

「それで? 言っておくが、儂は有岡の思い出話をするつもりは無い。用があるというのなら、早く本題に入れ」

 腕に嵌めた金の時計をチラと見て、豪頼は話を急かす。

 どっしりとソファに身を沈めた姿は、一見リラックスしているようにも感じられるが、実際は逆だ。張り詰めた豪頼の気迫が、星奈の指先を小さく震わせる。

「……まずは、確認させてください。有岡さんが亡くなる前に開発していた、ディアロイドの新機能。これについて、社長はどこまでご存じでしょうか」

 小さく息を吐きながら、星奈は一言一句を丁寧に発する。

 いきなり本題に入ってはいけなかった。というより、入るべき本題など無い。星奈の役割は、出来得る限り豪頼との会話の時間を延ばすことで、階下のボイドや彩斗の為の時間を稼ぐことだった。

「ご存じも何も、儂が命じた事だ。ディアロイドの機能にはまだ拡張の余地がある。基本性能を高めるべく、限定的にでも出力を上げろ、とな」

「社長は何故そのような命令を下されたのでしょうか。ディアロイドの基本性能であれば、今後いくらでも改良していく事が出来る筈です」

「無論だ。ハードウェア側の改良は当然、ソフトウェアの改良も随時行っている。結果としてディアロイドの基本性能は去年よりも5パーセントほど上昇した」


 だが、と豪頼は続ける。それでは届かないのだ、と。


「現状のスペックでは力が足りなさすぎるのだ。一時的であれ、限られた力を更に高めてもらわねば、ディアロイドを真の意味で活用することは出来ん」

「活用、とはどういう意味合いでしょうか。現状でも、ディアロイドの玩具市場での成績は悪くないはずです。今後の成長も見込めます」

「"玩具市場では"の話だろう。カブラヤとしてはそれで良いのかも知れんが、我が社としては規模を更に拡大したい。宇宙開発。災害救助。他にも出来ることは全てッ!」

 表向きの理由だ。確かにディアロイドには、開発や救助の役割なども期待されている。

 だがそれにしたって、現状の性能から大きく引き上げる必然性には至らない。例えば岩や鉄板を破壊するのにだって、専用の装備を持たせれば解決するのだから。

 足りないのは、殺しの力だ。

 鍛え上げられた兵士や、無人のドローンに匹敵する殺害能力。

 それを獲得し見せつけなければ、ディアロイドを軍市場に持ち込むことは出来ない。


(ふざけないで)


 星奈は静かに拳を握りしめる。

 自分や有岡勇人が開発したディアロイドは、人を楽しい気持ちにさせるための玩具だ。

 人や、その発展を助けるための開発は良い。むしろ推奨すべきだろう。

 だが目の前のこの男は、それを兵器に転用しようと考えているのだ。

(私たちが作りたかったのは)

 断じて、そんなものではない。血塗られた兵器などでは。


 境川星奈が許せなかったのは、二つ。

 KIDOが有岡勇人の理想を受け入れず、殺害したこと。

 そして彼らが、自分たちの子どもたるディアロイドに、殺しを実行させたこと。


「フン。……脇が甘いな。憎悪が顔に滲み出ている」

「っ……!?」

「平静を取り繕おうと無駄な事だ。貴様程度の交渉経験で、儂の目を誤魔化せると?」

「それ、は、どういう……」

 図星を突かれ、星奈の声が掠れた。

 豪頼はそれを見て、ニヤリと口角を上げる。白状したも同然だと遅れて気づいた星奈は、目を見開いて動きを止めた。

「そう緊張するな。だが動くなよ。……十三号!」

 じっと星奈に目線を向けたまま、豪頼は部屋中に響く声でGRP-13を呼ぶ。

 すると、像のように硬く立ち尽くしていた黄金の機体が、瞬時に星奈の目前まで飛来してきた。

「スマホ、カメラ、マイク……録画録音出来るものは全て取り出せ」

 隠しても無駄だ、と言われ、星奈は渋々命令に従う。

 念のために仕込んでいたマイクに、蝉麻呂と連絡を取るためのスマホ。

 それらを奪われた星奈は、豪頼に対し打つ手を失う。


「……どうするつもり?」

「どう? 商談を続けるまでだ。貴様らが有岡のデータを隠し持っているのは知っている。有岡の子どもが伊佐木と合流したのもな」


 来るのだろう? と豪頼は星奈に問うた。

 読まれていたのだ。星奈が何のためにここに来たのか。本当の目的は何なのか。

 その上での、この自信。迎え撃つ準備が出来ている、という事なのだろう。

 苦い顔をする星奈に、豪頼は呵々と笑う。来てはならない、と警告することも出来ずに、星奈はじっと耐える他なかった。


 *


「で、どうする」


 ディアロイド研究室を出たボイドたちは、ひとまず非常階段に身を隠し、状況を話し合った。貴堂豪頼からの誘い。これに乗るべきか、避けるべきか。

「……わざわざ呼び出したって事は、豪頼には勝算があるんだと思う。オレたちを何とかして、事態を収める勝算が」

「星奈の事だ、余計な話はしてないだろうが……俺が強化プログラムを使うつもりだっていうのも、想定されてるかもな」

「でもでもヤバいぜ兄貴ィ! 星奈、今社長室なんだろ!? 助けに行かないと!」

 慌てる蝉麻呂に「急くな」とニグレドが声を掛ける。

 そうやって飛び込めば、それこそ相手の思うツボだろう。

「状況を正しく認識しろ。我々の目的は依然変わらない。問題があるとすれば」

「……時間。オレたちは強化プログラムの完成を待って社長室に飛び込むつもりだった。でもその余裕がもう無いかもしれない」

『逸次様は全力で作業をされていますが、もう少々時間が掛かります。……星奈様とは、連絡が付きません。スマートフォンの電源が切られているようで』

 コマからの報告を聞き、彩斗の表情が暗く沈む。

 連絡手段を奪われたという事は、星奈が今どうなっているか分からないという事だ。


「不本意だが、一旦ビルを出るというのも手だぞ。立て直し、然る後に襲撃する」

「断じていいえ、それは逃げッ! 星奈を助けないとか、あり得ないんだぜ!」

「ヒト一人がどうなっても、私には関係ないが」

「なにをーっ!」


 揉めるニグレドと蝉麻呂の間に、「待て待て」とボイドと彩斗が割り入った。

 今ここでケンカをしている場合ではない。二体に距離を取らせながら、「逃げるわけにはいかないだろ」と彩斗は口にする。

「オレたちが逃げた後、KIDOが何か手を打ってこないとは限らない。正直、後回しにした方がヤバいんじゃないかとさえ思う」

「……現状、俺たちがやってるのは不法侵入だしな。彩斗はともかく、星奈と逸次は確実に逮捕されるし、その流れでデータを奪取される可能性もある」

 貴堂豪頼がすぐに通報しないのは、彼自身に疾しい面があるからと、この方が早く強化プログラムに辿り着けると判断したからだろう。

 不利な証拠を揉み消す準備さえ整えば、すぐにでも公権力を利用して反対勢力を潰しにかかるはずだ。それを防げるタイミングは、今だけ。


「結局、やるしかないってわけだ」


 *


 エレベーターを降りると、社長室はすぐだった。

 重厚な扉のロックは解除されており、開いた途端に、エアコンで冷やされた空気が彩斗の肌を撫ぜる。強めに掛けられた冷房に、思わず鳥肌が立つ。


「遅いッ。あまり儂を待たせるなッ!!」


 一歩部屋へと踏み込んだ途端、ビリリと空気が震えるような怒号がボイドたちに投げかけられる。見れば部屋の奥、ビジネス街を見下ろすガラス窓の前に、巨大な男が一人立っていた。男はボイドたちを一喝した後、ゆっくりと振り返る。

「……アレが貴堂豪頼だ、彩斗。……相変わらずデカいな」

 腹や顎に脂肪を蓄えた豪頼。だがその肩幅や浮き出た指の骨を見れば、その巨体が油だけで出来たものではない事は一目瞭然だ。


「社長! 星奈は何処だ!?」

「フン、新型機か。境川は別室で"休ませて"いる」

「……無事なんだな?」

「儂を何だと思っている? 使える駒をそう易々と潰すものか、莫迦らしいッ!」


 ボイドの確認に、豪頼は不愉快そうに返す。

 境川星奈は、KIDOにとって重要なビジネスパートナーだ。

"商談"が済むまでは何もしないと、彼は明言する。


「商談、って? オレ、アンタと話すことなんか無いんだけど」

「貴様に無くとも儂にはある。貴様の手の内には、我が社から"盗まれた"研究データがあるだろう? それを、我が社へ返せッ!」

「YES、って答えると思う? 父さんを殺したヤツの言葉に」

「アレは事故だッ。貴様の父の研究データは、我が社が責任を持って有効活用する」

「白々しい。勇人があんな風に死ぬわけがない。お前のビジネスの邪魔になったから消した。そうだろ?」


 白を切る豪頼にボイドが言うと、彼は強く鼻を鳴らし「無駄な問答だ」と切り捨てた。

「証拠も無くそのような事を口走るなど、名誉棄損も甚だしいな。伊佐木の入れ知恵だとすれば、ヤツには相応の訴えを出さねばならん」

 無論、境川にもだ、と豪頼は付け加える。

 証拠不十分であることを利用しての法的措置。彩斗たちの読み通りの反応だった。

「だがな。貴様が盗まれたデータを返しさえすれば――」

「大ごとにはしない、って言うんだろ」

「フッハ! 聡いな。話が早くて実に良いッ! その通りだ有岡の息子。貴様が頷きさえすれば、ヤツらが牢に入りその後の人生を無為に過ごすことは無くなるッ!」

 今ならばまだ、無かったことには出来る。

 父の死を忘れ、平穏な生活を取り戻すことは。

 けれど彩斗がどう答えるのかを、ボイドは既に知っている。


「イヤに決まってんじゃん。何バカなこと聞いてんの?」


「……ッッ!!」

「ここでデータ渡したら、アンタらが父さん殺したのを見過ごしたのと同じだし。それ使ってディアロイドを兵器化するんなら、父さんの意志を踏みにじるのと一緒だ」

 そんなことは誰も望まない。

 自分も、星奈も、逸次も、ボイドも、蝉麻呂も、コマも。

「よく言った、ニンゲン。穢れた欲望は断罪せねばならない」

「お前もそう思う? だよな。誰だって分かる。アンタは許しちゃいけない」

 ニグレドでさえ、ここでは彩斗の言葉に頷いた。

 ふざけた事を、と豪頼は怒声で空気を揺らすが、彩斗に恐怖は生まれない。

 濁った豪頼の目を真っ直ぐに見つめ返して、真正面から、言葉を叩きつける。


「アンタとは取引しない。今ここで叩き潰す」

「ッ……世迷言だッ。やはり有岡の息子だな。金を生む才覚を得ているというのに、偏狭な理想主義で身を持ち崩すッ! その甘ったれた主張は我が社にとっての癌ッ!!」

「癌だから切除したってわけだ」

「黙れッ! どう喚こうと証拠などは無いッ! 貴様らの妄想に端から勝ち目など無いのだッ! それを今、分からせてやるッ!」


 来い、と豪頼が叫ぶと、ぶわりと風を切り、部屋の中央に黄金の機体が飛んでくる。


「GRP-13ッ! この玩具どもを破壊し、然る後に有岡の息子を拘束しろッ!」

「お出ましだ。ニグレド、蝉麻呂、準備は良いな?」

「下らん話に飽き飽きしていた所だ。やるぞ、セミ」

「こいつは好機、掴むぜ勝利ッ! ジャマする敵は掃除する……バトルモード、オン!」


 蝉麻呂のシャウトと共に、その場の機体にバトルモードが適応される。

 体力とフィールドが割り振られ、ぴくりと十三号が首を動かした。

 競技バトルに慣れていないのだろう。けれど豪頼はその所作を気にせず、ただ傲然と叫ぶ。砕き割れ、GRP-13。


「相手はかなり速いぞ、気を付けっ――」


 彩斗のスマホにバトル開始の文言が表示された、その瞬間だ。

「ガッ……!?」

 瞬間的に接近した十三号に、ボイドの体が吹っ飛ばされる。

 設定フィールドの限界まで飛ばされたボイドは、熱剣を床に突き刺すことでギリギリその場に踏みとどまったが、その時には既に十三号は追撃に動いている。

「待て待てマテ茶!」

 ぶぉんっ! 蝉麻呂が慌ててボイドを掴み、弾き飛ばすことで十三号の攻撃を躱した。

 ニグレドはその隙に十三号の背後へハンドガンを撃ち込むが、黄金でカバーされた装甲には効き目が薄いのだろう。熱で破壊することは叶わず、体力を微減させるだけに留まる。

 十三号は振り返ると、今度はニグレドへ向けて飛んだ。蝉麻呂よりは僅かに遅いが、その重量を考えれば、十三号の速度は驚異的だった。ニグレドは回転刃を動かし盾として構えたが、十三号は腕装甲の刃でこれを打ち、ニグレドを大きく後退させる。

「ぐっ……重い、な」

 ニグレドは刺突を防いだつもりでいたが、実際は回転刃の中心を正確に打たれていた。故に衝撃を逃がすことが出来ず、相応の体力がゲージから持っていかれる。


「ガハハハハッ!! GRP-13は最強の機体。貴様らのような玩具共が束になった所で、到底敵うわけが無いのだッ!」


 豪頼が笑う通り、出力の差は歴然だ。

 このままでは、体力を削り切る前に、こちらが全滅してしまいかねない。

 どうする? 彩斗がスマホを握りしめ、思考の渦に呑まれようとした、その時だ。

 ピリリ、とスマホの画面に通知が入った。……逸次からの連絡だ。


『彩斗君! 強化プログラムの改良が終わった。これなら今すぐにでも使える筈だよォ!』

「ホントですか!? なら今すぐデータを――」

『既にPCの方へ送っているから、受け取ってくれ! 但し問題がある。私じゃあどうしようも無かった設定だ。いいかい、このプログラムの発動には……』


 条件があった。恐らくそれは、有岡勇人による最後のプロテクト。

 ディアロイドの性能を一時的に、飛躍的に向上させるそのプログラムの発動には。

 互いを認め合った、"ディアロイドとユーザーの認証"が必要となるのだ。


【続く】

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