09 迷い・後

「私は、逸次様の元に……帰るべきなのでしょうか?」


 ヒトに裏切られ、傷つけられた同胞がいる。

 それを知って尚、ヒトの元に戻ってもいいものだろうか。

 ここに残り、彼らの手助けをするという道も、あるのではないだろうか。

 惑い、答えを出せないでいるコマの元に、ボイドはゆっくりと歩み寄る。


「お前の事だ。責任とか感じてるんだろ」

「我々は、全てのディアロイドの祖ですから。兄であり、姉です」

「俺の事は"オリジン"だとか呼んでたな。俺がそうならお前もそうか」


 ボイドの心の成長が、多くのディアロイドの礎となったのと同様に。

 コマが熟した節制が、多くのディアロイドの足枷となったのかもしれない。

 もっと早くにヒトに従う事を止めていれば、彼らは傷つかずに済んだのではないか。

 だとすれば、自分の存在は、彼らを傷つける遠因なのではないか。


「製造者責任、とは違うかもしれませんが、そのようなものです。プロトタイプとして、彼らの先駆者として、私は間違った学習を積んでしまったのかもしれない」

「だからここに残って、ヤツらの行動を手伝うのが筋だって? 真面目だな」

「貴方はそうは思わないのですか、ボイド」

「思わない。俺はアイツらの考えに賛同してないからな」


 お前はどうなんだ、とボイドはコマに問い返した。

 人間はディアロイドを傷つけるだけなのか。遠ざけるべき邪悪なのか。

 その言葉に、コマはしばし返答を躊躇う。

「……そのような人間の姿を、私は初めて知りました」

「そりゃあな。俺たちが関わってきた人間は、思想はどうあれ責任を持ってた」

 社会人としての、仕事への責任。

 それが前提にあったから、プロトタイプであるボイドやコマを虐げる人間はいなかった。

(それも例外はあるが)

 貴堂豪頼。KIDOの社長はディアロイドを商材としてしか見ていない。

 けれどそれは、NOISEの者たちが受けてきた仕打ちとはまた別だ。

 悪意の籠った衝動を叩きつけられる、といった類のものではない。

「そういう人間がいるのは、胸糞悪いが事実だ。俺もロクでもない人間はいくらか見てきた。NOISEみたいなのが出てくるのも、まぁ自然といえば自然な流れだな」

「であれば、解決に動くべきです。その責任が我々には――」

「だとしても、お前がここでやる必要は無いだろ」

 責任自体無いと思うが、と続けながら、ボイドはコマの傍らにあったプラグを抜き取り、自身のフレームへと突き刺した。


「ボイド、何を?」

「判断材料だ。ここにあるだけじゃ偏ってるだろ」


 そういって、ボイドはプラグの片端をコマへと向ける。

 コマはやや躊躇ってから、そのプラグを自身にも突き刺した。

 コード越しに互いが互いを認識し、数拍の間、無言のやり取りを続ける。

 それからボイドはプラグを乱雑に抜き払って、近くの壁にもたれ掛りコマを見た。

 コマはしばしの間、演算を続けていたのだろう。言葉なく項垂れて、けれどすぐに顔を上げてボイドを見遣る。


「逸次様は、心配していましたね」

「お前が帰るのを待ち望んでる。それでもここに残るか?」


 ボイドがコマに見せたのは、先刻の伊佐木逸次の様子だった。

 コマを想い、その救出をボイドに依頼した逸次。

 彼の姿を記憶として目の当たりにしたことで、コマの考えは揺らぐ。

「……逸次様が悲しむことは、望めないです。ですが……」

 NOISEに対し、何かしてやりたいと思うのも本心なのだろう。

 迷う彼に、ボイドは提案する。

「別に、ここじゃなくても出来ることはあるだろ。逸次と一緒に出来る事も」

「逸次様と、一緒に……? 出来るでしょうか……」

「どうだかな。話してみて、納得いかなければ改めて家出すればいい」

 家出のやり方が分からないなら教えてやる、とボイドは笑う。

「自由に選択する為になら、俺は力を貸す。だが責任感だけで選ぶなよ」

「……。そう、ですね。私は少し、思い詰めていたのかもしれません」

 コマは答え、ゆっくりと歩き出した。

 決心が出来たのだろう。ボイドは壁から背を離し、彼の傍らに立って部屋を出る。

 部屋の外には、幾人かのNOISEディアロイドが立っていた。

 彼らはじっとコマとボイドの姿を見つめるが、手出しはしてこない。

 やがて廊下の向こうから、外装を解いたニグレドが、仲間の肩を借りて歩いて来る。


「結論は出たのか、コマ」

「はい。私はボイドと共にここを出ます」

「そうか。……残念だ。わざわざ人間のところに戻るとはな」

「愚かだ、と判断されるのでしょうね。しかし私は、逸次様が好きですので」


 申し訳ありません、と謝るコマに、ニグレドは何も言わない。

 沈黙を保ったままニグレドとすれ違う間際、彼は小さく呟いた。


「ここを出た瞬間に、キサマたちは敵になる」

「……考え方の違うヤツは、全員敵か?」

「不本意だが、本部命令だ。キサマらはこの場所も、我々の事も知りすぎた」


 外に出たボイドやコマが、このアジトについて人間に知らせるかもしれない。

 或いは、構成されるディアロイドの特徴についても。そういった情報は、人の目を離れ潜む彼らにとって、ほんの少しでも漏らしてはならないモノだった。

「どうしましょう、ボイド。私は彼らと戦うことが出来ません」

「お前はプロテクトが有効だしな。ま、どうにかするさ。最悪お前だけでも逃がす」

 NOISEの個体は基本的にノープロで、コマのような個体では相手にすらならない。

 そんな彼を守りながら、追っ手を振り払わなければならない。状況は苦しいが、不可能ではないだろう。

 周辺のマップを頭に思い浮かべながら、階段を下りて行く。

「そういや、出口はまたあの排気口か? 埃っぽくて嫌なんだが」

「二階の窓が開けられます。そこから降りるのが早いかと」

「場所は? ……あそこか。じゃ、タイミング合わせて行くぞ」

 ごく小さな声で相談し、ちらと横目でコマを見る。

 コマの準備は良さそうだった。目標の窓までは、ほんの数十メートル。

 周囲のディアロイドは、まだ自分たちが何処から抜け出すか分かっていない。

 建物を出る、その瞬間。少しでも意表を突ければ、無事に抜け出せる可能性も上がる。

 あと数メートル。平然と歩きながら、ボイドはタイミングを見計らう。


「あと三歩。二歩。一歩。……今だコマ、走れ!」

「はいっ!」


 コマの爪先が、かちゃりと音を立て床を蹴る。

 同時に駆け出したボイドは、目的の窓に全身でぶつかり、勢い良く開き放った。

 直後、NOISEの銃口が二体へと向き、配置が変わる気配をボイドは背中で感じ取る。

 まずはコマが窓枠を蹴り、外へと飛び出した。続けてボイドが飛んだ瞬間に、無数の銃弾が彼らの背中を襲う。

「っ……コマ、振り返るなよ!」

「無論です。ですが……!」

 着地までの僅かな間は、身動きが取れない。

 ボイドは剣で弾を受け止めることが出来るが、コマは違うだろう。

 ボイドは咄嗟に判断し、身を翻し剣を振るうことで、コマへの射線を妨げた。

 が、そんなボイドに二、三発の実弾が命中する。軽い音を立てて着弾した火薬混じりの小さな弾は、ボイドの装甲に弾かれダメージには至らなかったが、その体勢を崩すだけの威力を持っていた。

「ぐっ、クソ!」

「ボイド!」

「立ち止まるな、行け!」

 体勢を崩されたボイドは、着地に失敗する。

 膝を付き起き上がろうとする彼に、更に窓からの射撃が飛んだ。

 たまらず、身を転がしてどうにかそれを回避する彼は、敷地内から出ていくことさえままならない。

 やがて視界の端に、駆け寄る数体のディアロイドの姿が映った。

 その手には、違法武器であろう剣や斧。捕まれば無事では済まない事は明らかだ。

「ったく、やっぱり面倒なことになったな!」

「ボイド、捕まってください!」

「コマ!? 行けっつったろ!」

 追い詰められたボイドの腕を、コマが咥えて引き起こす。

 そこを狙撃が狙うが、ボイドは剣で弾を防ぎつつ後退した。

 コマも身を低くしてやり過ごしながら、周囲を見回しタイミングを見る。

「……貴方を置いて帰れば、あの有岡彩斗という少年は悲しみますよ」

「あー、余計なモンまで見たな。まぁ、助かる」

 見せた記憶は逸次のものだけのつもりだったが、その隣にいる彩斗の姿も確認したのだろう。もしや妙な勘違いなどしていないだろうか、と思いながら、ボイドは金網を焼き切り外へ出る。

 だが既に、金網の外にもNOISEの構成員が張っていた。

 四つ足のケモノ型が三体に、爬虫類じみたものと、昆虫的なものが一体ずつ。

 相手をしている暇はないが、強引に突破するのもまた困難だ。

 どうする、とボイドが思考を巡らせた、その時。


 ――ギギギギギギッ!


 けたたましいブレーキ音と共に、強烈な光が周囲のディアロイドたちを襲った。

 車のライトだ。急激な光量の変化に、ディアロイドたちのカメラは一時的に視力を失う。……ボイドたちも同様に。

「なんだ、急に!?」

「何でも良いからこっち来い、ボイド!」

 身動きが取れなくなったボイドとコマを、何者かが抱き上げた。

 柔らかい、さほど大きくはない人間の手。彼の声に、ボイドは聞き覚えがあった。


「……彩斗か!」

「遅いから心配したぞ! で、コマってコイツで合ってます!?」

「合ってるよォ、合ってる。早く乗って、出すから!」

「その声……逸次様!」


 バタン、とドアが閉じる事には、ボイドとコマのカメラも感度を調整し終えていた。

 二体を助けたのは、近くで待機しているハズの彩斗と、伊佐木逸次だ。

 彩斗が二体を連れて乗車したのを確認すると、逸次は即座に車を発進させる。

 車体が大きく揺れ、ビルから遠ざかっていく。NOISEのディアロイドたちは車を追おうとしたが、すぐに無意味なことに気づき動きを止めた。


「ふぅ……いや、間一髪だったねェ。肝が冷えるよ全く」

「逸次、来てたんだな。なんでタイミングが分かった?」

「オレが監視カメラ映像観てたから。車止めてた場所が近かったから間に合ったけど、反対の窓だったらヤバかったな」

「そうか……感謝する、彩斗。お前がいなかったら実際ダメだったかもしれない」

「あと私もね! まだ心臓バクバク鳴ってるんだよ」

 言いながら、逸次は冷や汗を袖で拭う。

 涼しい顔の彩斗と反して、彼はかなりの恐怖を覚えていたらしかった。

 実際、彼はNOISEに痛めつけられた直後なのだから、それも仕方がないだろう。

「……逸次様、来てくださったんですね」

「そりゃあ、ね。コマを連れ戻すためだから」

「嬉しいです。それなのに、私は……」

「……?」

 眉を寄せる逸次に、コマは話した。

 自分がNOISEのディアロイドの記録を確認したこと。

 その結果、帰るべきかどうかを迷ってしまったこと。

「すみません、逸次様。私は貴方を裏切ってしまう所でした」

「ふぅむ。いや、それは裏切りではないよ」

「え……そうなのですか?」

「だってそれは、コマがすべきことを選択したということだろう? まぁ、心配はするがね。帰ってきてくれて良かったとも思う」

 浅い息で早口に述べ、逸次は何度か深呼吸を繰り返す。

 ようやく落ち着いてきた逸次は、もう一度「ふぅむ」と唸った後、コマに続けた。


「私はね、コマにも好きに生きて欲しいと思ってるのかもしれない」

「私にも、ですか……?」

「ま、ボイドのような自由さは感心しないがね。……迷い、選択するというのは……これもまた成長だ。私には興味深いよ」


 技術者としての性か、親心か。

 どちらなのかは分からないけどね、と逸次は付け加える。

 なんにしても、きっとコマが逸次から離れる選択をしたとして、彼はそれを怒らなかっただろう。

「行為は別だがね。人に危害を加えるのは許せないし、その時は袂を分かつことになる」

「……。では、他の方法なら? 私は、何か彼らに出来ることがないか、と考えています」

「そうだねぇ。コマがそうしたいのなら、私も考えてみようか。でも、まずは」


 無事に家に帰ることが優先だ、と逸次は言って、運転を続ける。

 やがて車が彼の家に到着し、彼は彩斗たちを再び自宅へと迎え入れた。


「ええと。まずはボイド、お疲れ様。コマを取り戻してくれてありがとう」

「ギリギリだったがな。何とかなって良かった」

「彩斗君にも助けられたよ。手段は……大目に見る、という約束だったね」

「ですね。この後もそんな感じでお願いします」

「うん。それで、コマ。……おかえり」

「はい。……ただいま戻りました、逸次様」


 コマの返答を聞き、逸次はようやく柔らかく微笑んだ。


 *


「……そうか。オリジンたちは取り逃がしたか」

「サーセン。なんか車が来たみたいで。乗ってたのは多分……」

「伊佐木逸次と、例の少年か? ……取り戻しに来た、と」

「なんなんスかね。危ない目に遭ってまで、そんなに人形が欲しいんスかね」

「……。さぁ、な。ヒトの考えることなど、分かりたくもない」


 ボイドとコマが逃走してから少し後。

 NOISEのアジトで、ニグレドたちは言葉を交わす。

 頑なな態度はけれど、動揺の表れであると、内心では理解していた。


(コマはヒトを選んだ。ヒトは、コマを助けた)


 突き付けられた事実に、判断がほんの少しだけ、ブレる。


 ――人間が全部、そういうクソッタレってわけじゃない。


 ボイドに言われた言葉が、ニグレドの中にリフレインした。

 そうではない、と思いたい。そうでなければ、自分たちはなんだ?

 不運だっただけだと? ……そんなもの、受け入れられるわけがない。


「……認めるわけにはいかないのだよ、ボイド」


 小さく呟いた言葉は、仲間たちに届くことなく、暗闇に消えた。


【続く】

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