18.ライトアンサー
公道を走る車が馬車のみ、という状況を眺めるのは何とも不思議なものだ。そんな景観にすっかり慣れている自分にも違和感があるが、その上で自らを乗せて走る馬を見ながら、そしてすれ違う馬車たちを見ながら私は一人でに苦笑した。
思っていた通り私たちの旅の始まりは熱気で満たされている。今も絶え間なく流れる汗は私の機嫌を妨害し、肌を刺すような日差しに嫌悪感を抱く。それは隣に座る巨漢龍人様も同じようで、私は彼のだらしない顔を見上げながら小さく口を開いた。
「えっと、そういえば私まだ具体的にどこへ行くのか聞かされてないんだけど」
巨漢龍人様、ジョンは手で顔を仰ぎながら壁によりかかっていた体を起こし私を見ながら頷く。
「言われてみればそうだな。えっと……」
ジョンは肩にかけるタイプの小さな鞄を手に取り、中を漁る。程なくして一冊の本を取り出すとそれを床へ置き、私にも見えるように開いて見せてくれた。床へ置く前に前に表紙が見えたが「ジィラの地図」と銘打たれていた。
「そういえば次の目的地どころか、ジィラの全体図を見ることすら初めてじゃねぇか?」
その通りだ。滞りなく頷く。
「あっちゃー、そいつは前もって説明しておくべきだったな。いやまあいいか。こうして時間もあるわけだしここで説明しちまおう」
ジョンは頭を掻きながら困ったような顔をしていたが、やがて切り替えたようにペラペラと頁をめくり、やがて手を止める。
覗き込むと、そこには一枚の地図のようなものが描かれていた。真っ青な海の真ん中に、ドーナツ型、それとも三日月型だろうか。どちらとも取れないような形の大陸のようなものがある。楕円形のドーナツの左側が齧られ、その食された部分に点々と食べかすがこぼされているような、そんな形だ。
その大陸の丁度下真ん中、海と隣接している町、いやこれは国だろうか。詳細はいざ知らず、とにかくその場所を指差したジョンは説明を始めた。
「まず、これがジィラの全体図だ。北が上で南が下な。あ、東西南北とかはわかるか?」
相槌をうつ。
「だよな。この最南端にある場所が今まで住んでいた159町。俺たちはここからゆったり北西に進み、最初の目的地である西都へと向かう」
大陸上、地図の左側に沿って指を進めていき、やがて西北西のあたりで止める。「ここな」
よく見ると、その場所には小さく西都と書かれていた。都、と称するくらいなのでそれは大きな街なのだろう。人が住むに十分な上に、海山川、娯楽施設なんでも揃っていた159町が街なら都はどうなってしまうのやら。東京のような景色が目に浮かんできて、口がにやける。派手な外観のショッピングモールや、複雑も甚だしい迷路のような駅。取ってつけたような植木、街のどこからでも見える巨大な塔。旅など一度もしたことないというのに呑気なものだが、想像すればするほど、街に行くのが楽しみになる。
「だが西都まで行くのに最低で一週間はかかっちまう。だから途中で一度157町に寄って休憩を取る。西都に着くまでの予定は大体こんな感じだ。休息も含めて、長くても十日で着くと考えて良い」
「えっと、ここが西都で……ここが157?」
「いや、157町はここだな」私の指差す場所の少し下に指を置いてジョンが微笑む。「これから旅をする上でたくさん見る事になるだろうし、別に今覚えなくても良いぜ」
駅と言えば、そういえば私はこの世界で自動車や電車など、文明的乗用物を確認していない。最初は私のいた世界とは違うという先入観からさしたる違和感も無かったのだが、ここの文明はほとんど地球と同じだ。コンビニにはバーコードスキャナー付きのレジを置いてるし、ジョンの片手にはスマホが握られている。私もこちらの世界用に新調して暫く経っているが、少しだけ性能が遅れているくらいでほとんど私の知っている物と同じだった。
因みに前の携帯は、当然ながらこちらの世界では電波は通っておらず、充電器も対応していないためにカバンの中に封印されている。帰ってからまた使う予定なので捨てたりはしないが、この世界では完全に荷物だ。
当然のように電気は至る所に通っている。灯りも。そしてやはり、その上で自動車も電車も無いのはさすがに不自然だ。もっとも自転車はよく見るが。
「そうだ、157町で乗り換えがあるのすっかり忘れてたぜ」
「乗り換え?」
「ああ、車は各々走れる道が決められててな。馬車は西都まで走っていけないんだ。たから他の車に乗り換える。へへ、馬車とは全然違うから絶対ビックリするぜヒカリ」
「もしかして自動車のこと? それとも電車?」
「知ってんのかよ!」
大きく口を開けて目を丸くするジョンを前に苦笑する。
「まあね。ていうかタイムリーすぎ。丁度今この世界には自動車とか無いのかなって考えてた所だよ」
「なんだよ、驚く顔が見たかったのに」
足音高らかに街を走る馬車。その荷台に積まれた荷物はガタガタと音を立てている。車が揺れる度に私もジョンも同じように揺れ、景色が上下左右に動く。
ジョンは宿泊道具を背負っていた。恐らく、街は隣接していない。山か森か。詳しいことはわからないが、人里から離れた所を通り、そこで夜を明かす可能性が、もしくはそれが確定されているということ。だからこそ、この荷物の量なのである。
すれ違う龍人たちが物珍しそうに通り過ぎる私へと視線を向ける。それらを全て無視して私はもう一度ジョンへと視線を向けた。
「驚く顔なら下見ればいっぱい見れそうだよ」
「馬鹿言うな」だがジョンはこちらには一瞥もくれず、仏頂面のまま馬の背を見つめていた。「お前の驚く顔が見たかったんだよ」
「俺と一緒に旅しないか?」
私がこの世界に来てまだ一週間も経っていない頃、今となっては見慣れた自室で私たちは作戦会議なるものをしていた。もちろん今まさに旅をしている私とジョンの二人だ。
躊躇う様子もなく言い放った彼の言葉には、さすがに言葉を詰まらせてしまう。何せ簡単に言ってくれる。世界は、人間は、考えたことをそのまま行動に移すことができるほど単純な生物ではない。もっと冷静で打算的で臆病である。だからこそ私は彼の言葉を疑ってかかってしまった。言葉も詰まった。
三呼吸ほど置いて、私はようやく会話に参加した。
「詳しく説明してくれる?」
「仕事辞めるから、一緒に旅をしてくれ」
またもや簡単に言ってのける彼を前に表情が歪む。色々な感情が混ざり混ざってそのまま表面化したような、そんな顔になっているに違いない。現に私の心は複雑だ。
「やっぱり詳しく説明してくれる?」
ジョンは顎に手を置くと私の少し上へと視線を向けて目を閉じた。彼の、悩んでいる時や迷っている時の癖だ。
「実は俺、元々今週いっぱいで仕事辞めて、二ヶ月後に旅するって決めてたんだ。理由はちょっと言えねぇけど、世界中を渡り歩くつもりだ。ヒカリもどうせ情報集めるんだったら色んなところ回れた方が効率がいいと思ってよぉ。それに近くにいてくれりゃ守りやすいしな」
「え、仕事辞めるの!?」
「ああ」一瞬、ジョンの表情に陰りが見えた気がしたが、すぐにいつもの力強い笑顔に戻る。「元々情報を探るために入ったようなもんだからな」
幸運がすぎる。
初めは見知らぬ土地に降り立ち道に迷っていた。それに場所は大自然の真ん中。普通に考えれば死んでいてもおかしくない状況だ。そこからジョンに拾われて、助けられて、そして今も私のためを思って旅に誘ってくれている。
私はまだ何も彼に返せていないのに、彼は私の手が追いつかなくなるほどに救いの手を差し伸べてくれる。私の一番の幸運は、やはり彼に出会えたことなのだとしみじみ思う。
「ありがとうジョン。私は乗るよ。私の帰る道を探すためにジョンと一緒に旅する」
ジョンは親指で鼻の下を擦ると、満面の笑みを浮かべた。
「はは、実は一人旅は寂しいと思ってたんだよな。お前が来てくれて本当に良かったぜ!」
「私も、自分が帰るための行動だけど、ジョンと旅できるのは純粋に嬉しい」
言ってから私は笑顔の中に思考する。ずっと気づかなかったが、この世界に来てから何故だか素直になった気がする。地球ではいつも表と裏が乖離していた。しかし今は表で笑っているとき、裏でもしっかり笑っている。
笑えているのだ。裏でも。
「よし、そうと決まれば準備しねぇとな」
立ち上がるジョンに倣い、私も腰を上げる。
「準備?」まだ二ヶ月先なんじゃないの?
そう言おうとする私の口を塞ぐように、彼は食い気味に口を開いた。
「特訓、するぞ!」
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