17.太陽と黄金と嘘のない別れ
自らの胴よりも幅のある鞄を背負い込む。
体を起こし持ち上げると、その重みにいとも容易くひっくり返りそうになるが何とか踏ん張り扉へ手をかける。鞄の中には数日分の食料と衣類、その他のサバイバルグッズのような物がたくさん入っている。
持ち上げるだけでも体力を使うような重さだが、私の方は比較的軽量で、金属類や水分のほとんど、それに宿泊道具はジョンの鞄の方に入っていた。倍近く重さのある物を持たせることに罪悪感を覚えつつも、的確な配慮に感謝する。今の私では、きっとこれ以上の重量を支えることはできなかっただろう。
外へ出ると、敷かれたレールの上を走るのみの哀れなる太陽が東の空に見えた。誰も望まない最悪なお出迎えに苦笑しつつ頬を伝う汗を拭う。
私は、日本にいた頃から夏が嫌いだ。多くの人類が説いていることだが、寒さに比べて、暑さは回避する術がない。大いなる叡智と文明の発展が幸いし、空調という強硬手段を手に入れたのは良いが、それも外出時には全く意味をなさない。冷房も言ってしまえば、使用条件ついた能力のようなものなのだ。私が欲しいのは一時的に周囲の温度を下げる能力ではなく、そもそも温度が上がりすぎることのない世界。そう、言わば……
「何そんなところで突っ立ってんだ」
私が日向に出る事を億劫に玄関だ立ち尽くしていると、背後から緑色の巨漢がのそのそと現れた。彼もまた顔中に汗を浮かべており、その表情はどこか憂鬱そうだ。そんな彼を見て、今まさに私自身、こんな顔をしているに違いないと確信した。
「わかるでしょ」
「なるほど、確かにな」
「馬鹿みたいに暑いからね」
「馬鹿みたいに暑いもんな」
敷地の外には既に馬車が待機している。馬の速度ならある程度風に当てられるだろうが、これからこの炎天下の中を進むのだと思うとやはり少しだけ気が引けた。
「もう、行くのかい?」
すると背後からまた別の声が聞こえくる。私たちは一斉に背後へと振り返る。
立っていたのは、無論メアだ。
「起こしちゃいましたか? すみません、まだ朝も早いのに」
メアは、これでもかというくらい盛大にため息をつくと、私に近づき思いっきりデコピンを喰らわせた。
私は後方へ数十センチほど吹き飛び、その場にひれ伏す。もちろん、この言葉に過剰な表現はない。
「バカ言ってんじゃないよ! 可愛い子供二人の門出に立ち合わない親がどこにいるんだい!」
「ちょ、メアさん、子供達が起きちゃうって」
怒声をあげるメアと、宥めるジョン。
その場に倒れる私は額を擦りながら頭に疑問符を浮かべている。何故、怒られたのか全く分からなかった。
それはジョンも同じのようで、あたふたうろうろとメアの元で眉を八の字にしている。
「出ていくのは明日だって話だったじゃないか! どうして嘘までついて黙って出ていこうとしたんだい!」
「んん!?」ジョンと目が合う。
「二月九日に出るって言ってたじゃないか!」
迫るメアに気圧されるように、私は自分が地べたに寝転んだままだということも忘れてスマホ画面を覗く。すると、そこには間違いなく二月九日と記されており、私たちが怒鳴られる要因にたどり着くことができなかった。
「め、メアさん、今日は二月九日ですが」
「え、あれ?」メアの勢いが止まる。
ジョンも、説得するようにスマホ画面をメアへと向けた。
「見てくれよメアさん。ほら、ちゃんと九日だろ。俺たち別に嘘なんかついてないぜ!」
ジリジリと照りつける太陽の音だけがあたりに響く閑散とした世界の中で、私はようやく地に張っていることを思い出し早急に立ち上がる。ズボンについた砂を払って、メアの元へと寄った。
「メアさんは恩人です。黙って出ていくなんて、そんな恩を仇で返すような真似しませんよ」
メアの手が震える。私はその手をすばやく取ると、精一杯の笑顔を作って見せた。
「ヒカリ、ジョン、ごめんよ。私が勘違いしてただけなのに、私はあんたたちの事を……」
溢れる涙を見て、再び私たちは顔を合わせた。ジョンの優しげな表情が私の瞳にじっくりと焼き付く。
「勘違いくらい誰にでもあんだろうが。そんくらいで泣かれちゃこっちも困っちまうぜ!」
「そうですよメアさん。気にしないでください」
メアはそれでも泣き止まず、その後も静かに肩を震わせていた。私たちはどうしたら良いのかもわからず、ただずっと隣でその背中をさすり言葉をかけることしかできなかった。その間、私は内心焦りに焦っていたのだが、ジョンはずっとどこか穏やかな顔つきで泣いているメアを見ていた。私たちは暫くそのまま、静かに燃える太陽の下に立ち尽くした。
「ごめんね、もう大丈夫」
彼女は、目元に残る水滴を残らず手で拭うと項垂れていた体を起こす。
「……どうしても、二人の別れに立ち会いたかったの。だから騙されたって思った時は本当にショックで、つい怒りに身を任せちゃってヒカリには酷いことをしたわ。ごめん」
「本当に気にしないでください。私なら大丈夫ですから!」
そこでようやく、メアの笑顔が見えたので私は胸を撫で下ろした。
どこかで烏の鳴く声が聞こえてくる。そもそもこの世界に烏がいるのかもわからないが、よく似た鳴き声。そういえば前にも似たようなことがあった気がする。結局、あれから誰にも烏の存在の有無を確認していなかった。まあだからと言って今は質問できる状況でもないのだが。
「本当の事を言えば行ってほしくない」
見上げていた顔を目前へと落とす。
「ずっと育ててきたジョンも、二ヶ月前に来たヒカリも、私にとっては子供も同然だ。毎日、同じ時間に起きてご飯を食べて家事をして、その日あった事を話して、そして同じ時間に眠った。ずっと一緒にいられると思っていた。子離れがこんなに辛いものだったなんて……」
ジョンが力の抜けた手をメアの肩へ置く。私は握っていた手に力を込めた。
「メアさん。俺はあんたに育てられて良かったって思ってる。あんたには大切な事をたくさん教えてもらえた。
人を助ける事、人に助けられる事。右手は人のために、左手は自分のために使え。
ちゃんと全部覚えてる。だから、安心して見送ってくれよ。笑ってくれなきゃ、俺たちもすっきり行けねぇだろ」
「……そうだね」涙目なまま、けれどもしっかり口角を上げるメア。
そんな彼女を見て、つられるように涙を流したジョンは私を巻き込んで盛大にメアへ抱きついた。硬い鱗が肌へ刺さったり、筋肉質な肉体に閉じ込められ窒息しそうになったりと一見踏んだり蹴ったりな状況だが、それでも心は穏やかそのものである。
「さあ、もう出るんだろう。ならいつまでもこうしているわけにはいかないね!」
だがそんな暖かい空間もいつかは断ち切られてしまう。切り出したのはメアだった。彼女は惜しむ様子も見せずにジョンの腕を抜ける。そして先程の弱々しい姿を完全消滅させいつもの豪快な笑顔で私たちを、見送ろうとしてくれていた。
「ヒカリ、短い間だったけど、あんたと過ごした二ヶ月間は信じられないくらい楽しかったよ」
私が一方的に握っていた手が握手する形へと切り替わる。そしてふとその手の中に何か硬いものがあることに気づいた。
「あの、手に何か挟まってますよ?」
握手を解き放ち、彼女は掌に乗るそれを見せるように手を開いて差し出す。そこに乗っていたのは光を吸収し、全身から乱反射する黄金の石のついたピアスだった。見るからに高そうなその装飾品を、メアは何の躊躇いもなく私の掌の中におさめる。
「これはね、旅立つ日にあんたにあげようと思ってたんだ。死んだ父親がくれたお守りのような物なんだけどね、これを持っているとありとあらゆる運が最高にまで引き上がる特殊な石なのさ」
「説得力に欠ける怪しさ満載の客引きみたいな石だ」
「でもね、私にはもうあの子達がいる。父親のお守りなんて必要ないくらい、私はもう幸運をたくさんもらっているんだ。だから次はその幸運をあんたに受け取って欲しい」
メアの赤い鱗が燃える太陽に感応するようにメラメラと輝きを増していく。そしてその想いを具現化するかの如く、私の手の中の石が小さな煌めきを放った。
「大切な物なんですよね?」
石を握りしめて、胸の前まで手を持ち上げる。
「ああ、とってもね。でもあんたになら託せるよ。もちろん貰ってくれるよね」
「……ありがとうございます。私、大切にします」
「大切にするのも良いけど、身に付けてくれると嬉しいね。左耳空けてるんだろう」
言われて左耳に触れる。この世界に来てすぐ衛生的問題でピアスを外してから、空けていたことすらも忘れていた。穴は未だ塞がっておらず、むしろこの輝ける耳飾りを欲しているかのように広がっていくような感覚さえある。
耳の側面を撫でて、今一度ピアスを見る。
「……わかりました。お守りとして肌身離さず身につけておきます」
口を紡ぎ、嬉しそうに頷くメア。
するとジョンが目立ちたがる子供のように私たちの間に割って入ってきた。
「メアさんメアさん、俺には何かねぇのか?」
その表情は無垢そのものである。
「あんた男だろう。お守りなんかに頼ってないで、むしろヒカリを守ってやるんだよ」
「そりゃヒカリは守るけどよ、土産の一つくらいくれたって良いじゃねぇかよ」
「うるさいねぇ、ぐずぐず言ってないでとっとと行きな」
肩をすくめるジョン、豪快に彼の肩を叩くメア、そしてそれを見て笑っている私。そんな構図はこの家ではよく見られる光景であったが、そんな日常とも暫くお別れである。
そして高らかに馬が咆哮を上げた。私たちはそれぞれお互いに視線を送り合ったあと、頷き、そしてそれぞれ向かうべき道へと対峙した。
「ジョン、ヒカリ。いつでも帰ってきて良いからね」
「メアさん、二ヶ月間お世話になりました。行ってきます」
「心配しなくてもすぐ帰るさ。ちょっとの間ガキ共を頼むぜ。じゃあな、メアさん」
手を振る私とは裏腹にジョンは振り返るそぶりすらも見せない。その事を不思議に思ったが、何となく思い浮かんだ小さな答えを胸に私はまた何となく彼へと歩み寄った。
朝方の空は夕焼けよりも爽やかだ。青々と広がる空に浮かぶ煌めきに塗れる灼熱の星。もっとも、その気温は全く爽やかとは程遠いのだが、この麗しき情景を前にして何かを咎めるのは野暮だ。
門出はいつだって縁起が良い物でなければならない。今だけは悪いことから目を背けていても罰は当たらないだろう。
「これからもよろしくね、ジョン」
「ああ、長い旅になるぜ、ヒカリ」
一歩、一歩と力強く足を踏み出す。
間違いなく、私たちの道は目前に開けていた。
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