14.愚行妄想新世界邂逅
黒い羽を器用に羽ばたかす烏のような生物が上空を一定の速度で飛んでいた。その後を追うように、私は屋根が密集して並ぶ一般住宅街の中を人々の間をくぐり抜けながらも必死に走った。すれ違う龍人たちは皆目を丸くしながらも遠目に私の様子を伺い、離れるとやがて目を離しそれぞれの生活へと戻っていく。
まあ実際に背後を見たわけではないので、果たしてすれ違った龍人が皆、私を見ていたかはわからないが、ゆったりとした龍人たちの間をただ一人駆けていれば、大概は想像通りだろうと思う。わからないけども。
ほんの少し下り坂になっている馬車三台分ほどの幅の道を、道なりにまっすぐ駆け抜ける。黒き野鳥は私と違う道を目指しているらしく案外早く別れることとなったが、少女が烏を追う図は想像に容易くない上にあまり良い印象を得る事ができないので、結果的に良かったと言えるだろう。しかし気になるので、後であの生物が烏であるかどうかだけは確かめることにしよう。
息を切らしながら道を行くと、程なくして街一番の大通りへと辿り着く。これは港のある最南端から、新緑の大地へと続く最北端までを繋ぐ道になっており、この街ではどこへ行くにもほとんどの確率でこの道を利用することになるらしい。実際のところ私もここは毎日通っていた。横断するだけだが。
大通りを横切るように抜けると道幅が少しずつ広がっていき、屋根同士の距離も少しずつ離れていく。この辺りから一軒一軒の土地が広くなっていき、庭の大きな家もちらほら目立ち始める。
その内の一角にある庭付きの施設のような建物へと吸い込まれるように駆けていき、敷地内へ足を踏み入れるとそのまま流れるように速度を緩めた。駆け出してからここまで約十分。普段運動をしない私が走って通うには中々の距離だと言えた。
「あら、ヒカリおかえりなさい」
ゆっくりと深呼吸を吐き、白い長袖を額の汗に濡らす。そして前方へと目をやると、私は軽く手を上げた。
「ただいまメアさん。子供たちはもう中ですか?」
メアが私へ手を振る度に、真っ赤な鱗が夕日に照らされてギラギラと光る。彼女は几帳面で繊細だが、しっかりした女性の龍人でこの世界では私の親だということになっている恩人の一人だ。女性ではあるものの龍人だからか、やはり筋骨隆々で背も高く、男性相手でも難なく戦えそうな見た目をしている。辛うじて、膨らんでいる胸や丸みのある輪郭で性別を判断できなくもないが誤差の範囲と言っても過言ではないために見分けはかなり難しい。
もっとも、もしかしたら向こうも私のことを同じように思っているのかもしれないが。
「そうよ、今はお勉強の時間」
「成る程。メアさんはこれから夕食の買い物に?」
「丁度いま出ようとしていたところよ。今日の夕ご飯はジャハタキサンビにしようかと思ってるのだけれど、ヒカリは食べられるかしら?」
「はい! メアさんの料理美味しいので何でも食べれます!」
正直、料理名が未知に満ち溢れすぎていて軽く恐怖を覚えるが、実際メアの料理の腕は格別な上に、今のところまだジィラの料理で不味いものに出会ったことがないので、無難に答えておく。
「もし良ければ私が買い出しに行きましょうか?」
「あら、気にしないで良いのよ。バイトから帰ってきたばかりじゃないの。ゆっくり休みなさいな」
近所のおばちゃんが連想されるような豪快な様子に気圧されつつも、軽く会釈するとメアは満足したように笑い買い出しへと歩みを進めた。彼女の後ろ姿を見送ったあと、私も私の成すべき事をするべく部屋へと急ぐ。
この建物が施設のようである旨を視覚的見解により提示したが、それは正にその通りでこの建物は児童保護施設のような役割を果たしている。親に何らかの問題がある子や身寄りのない子を、この施設、正確にはメアが一人で保護し育てているのだ。
ジョンもここの育ちで、幼き時に両親を亡くし生死を彷徨っていたところを助けられたのだと聞いた。すっかり成長した今では住まわせてもらいながら子供達の世話を手伝っているのだと言う。
本来ならば私のような一人立ちも容易い年齢の人間が来るべきところでは無いはずだが、メアは快く私を受け入れてくれた。なのでジョンの真似事ではないが、私も少しでも恩を返せるように子供達の相手は率先して行うようにしている。
まだ幼い彼らと共に笑い、時にいたずらを叱り、悩みに寄り添っていると、この活動の過酷さを身に染みて感じることが出来る。同時に、親代わりになって人を育てるという、簡単には考えられない上に適当では済ませられない責任の重さを実感し、メアという存在の偉大さに驚愕していた。
私の見てきた世界が、日本での日々がどんなに虚であった事か。この世界に来て、その全てを思い知らされたような気がした。
「ヒカリー! 帰ってきてるか?」
ジョンの声だ。
扉から離れていた私は素早く応答に向かう。
「丁度、今帰ってきたところだよ。そっちはもう準備できてる感じ?」
「おう、いつでも行けるぜ」
扉越しに聞こえる彼の声は相変わらず陽気で、顔が見えなくともカンカンと明るさが伝わってくる。
「じゃあ着替えだけは済ませたいから先に外行っててよ。追いつくから」
「そんくらい待ってやるから、ちゃっちゃと着替えちゃえよ」
「いいの? じゃあすぐ行くからちょっと待ってて」
タンスを開きいっぱいに入った服の中から伸縮性の高い生地で作られたジャージのような服を上下一式取り出す。このタンスに入っている服は全て私のものだが、作ってくれたのはメアだ。当然だがこの世界には龍人の着る服しかないため、私が身につけられるような小さいサイズの、尻尾部分がしっかり塞がった服は売られていなかったのだ。
しかしさすがに毎日学生服一着のみで過ごすのは難しい。というわけでメアが、下着含む上下五セット分の服を用意してくれたのである。
私のためを思って、私のために作った世界に一つだけの服。本当は簡単に汚したくないし、究極、着ないで部屋に飾っておきたいまであるのだが、折角手間をかけてくれたかけがえないのない宝物が持ち腐れてしまうのだけはいただけない。それに服たちも服として生まれたからには本分を全うしたいはずだ。
「おいヒカリ、さすがに長くねぇか?」
感慨に浸っていると、呆れたような抑揚のない声が聞こえてくる。
催促されるほどの時間を浪費した覚えはないのだが、どうやら暇の渦中へ誘ってしまっていたらしい。早急にジャージに手足を通す。そして一人で住むには広大な部屋を背後に私は扉へと手を伸ばした。
日も沈みかけている闇夜の前刻、中庭へと顔を出した私たちはお互いに向き合っていた。周囲にはたくさんの小さなギャラリーが集まっており、窓の向こうから思い思いの表情を覗かせている。中には窓を開け身を乗り出そうとする者もいたが制止すると素直に聞き入れ、大人しく私たちの様子を見守っていた。
「よし、それじゃあ戦闘訓練を始めようか」
ジョンはそう言うと頭をかいて空を仰いだ。
「改まるとなんか緊張しちまうから、最初は緩くいくな」
「はい、よろしくお願いします」
ジョンは頷くと胸の前で拳を作り、腰を落とす。その闘争前の構えるような姿勢に、私も少しだけ身構えてしまう。
「焦んなくても大丈夫だ。今から俺が構えから戦い方から何から何まで時間をかけてゆっくり教えてやる。お前が戦えるようになるまで、何度でもだ」
「……ジョン、ありがとう」頷き警戒を解く。
戦闘訓練、というのはその名の通り、戦闘の訓練だ。龍人は、この世界の人間は皆力強い。生まれた時から平和な世界にいた私にしてみれば誰を相手にしても到底敵わないくらいに、龍人は強力で脅威なのである。
しかしそんな中で、先日ジョンはあんな作戦を提示してきてしまったのだ。もし、万が一だが龍人との闘うような状況に直面してしまった場合、今の私では間違いなく死んでしまう。もちろん神器の事は忘れていない。加味した上でも、やはり間違いなく死んでしまうだろう事は覆らないのだ。
だから私は強くならなければならない。この世界を確実に生きていくために、作戦を難なく遂行するために。
私たちの体に緊張の糸が刺さる。陽は今も変わらず沈んでいく。
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