15.テーブルタイムの憑物
彼の拳を真っ直ぐ受けて、私は後ろへ倒れた。拳はそれほど重くは無かったが、体格差がたたり私一人を吹っ飛ばすには容易かったらしい。依然、拳を構え続ける龍人を前に私は目を丸くしていた。
「腰を下げろって言っただろ。ヒカリの体格じゃあどれだけ鍛錬を積んでも勝ち目は薄い。戦おうとしないで回避に専念する動きをしなきゃダメだ」
「はい!」立ち上がり言われた通り腰を少し落とす。
「戦いに行っちゃダメだが、戦う意思は見せなきゃダメだ。逃げ腰なのがバレたら逃げれる勝負も逃げられなくなる。拳は常に構えろ。攻撃するふりで相手の注意を引きつつ逃げ道を作るんだ」
「はい!」拳を胸の前で構えて、目前の龍人ジョンへと視線を向ける。
測ったようなタイミング、少し間を置き、呼吸のあったその一瞬をついてジョンは再び私へ拳を向けてきた。私は間一髪でそれを避け元の位置へ体を戻す。しかしすぐに次の攻撃がやってきたかと思うと、それは難なく私の腕へと吸い込まれた。呆気なく再び後方へと飛ばされると地面と背中合わせになる。
食らったのは二発のみだが、既に腕には痛みが蓄積されていた。
「一回避けれたじゃねぇか」
高らかに笑うジョン。きっと実力の十分の一も出していないのだろう。彼の投げ出す拳は子供の相手をする父親のように軽く、優しく、しなやかだ。こんなもので根を上げているようでは龍人の本気などとても相手にできたものではない。
「どうした? もう終わりか?」
言われて自分が寝転んだままである事を思い出す。草と土の香りが近くて軽くむせそうになるが、手で払い早急に立ち上がる。
「そんなわけないでしょ。あと千回は殴ってもらうから」
「もう少し言い方なかったか?」
「千回はさすがに冗談よ」
「そうじゃないんだが……まあいいか」
困惑に表情を染めながらも、彼はその腕で訓練を再開させる。
空を割く音と、私の足音がほぼ同時に響く。どうやら私を倒すには、もう少し時間が必要になりそうだ。
この家に来てから息を吐く暇もないほどに忙しない毎日が続いている気がする。そんな事を皿で塞がった両手を見ながらしみじみと思った。
キッチンと繋がった三十畳はあるだろう広いリビング。そのテーブルの上には様々な海鮮料理が並べられており、その調理方法はどれも私の知るものとは異なっている。味付けのわからぬ焼いた魚がお米の上に乗った丼物、様々な種類の生の魚介が入ったラーメンのような食べ物。私はここに来てから今日までの一週間、様々なメアの料理を口にしてきたが、そのどれもが未知の物で新鮮であった。しかしその中に顔を渋らせるような粗末な物は存在しない。今度もまた未知であることに変わりはないが、それでも目前の馳走が美味しそうに見えるのはメアが一つ一つの料理に丹精を込めてくれているおかげだ。
気がつけば私は感謝している。それほどまでにメアには世話を焼いてもらっているのだ。
しかし同時に、自らの両親には申し訳ない気持ちが生まれていた。メア以上に、母は、父は、無条件で私を可愛がり、多大なる時間を割いてここまで育ててくれた。世話を焼くなんて表現では済まされない。彼らは私に確かな愛情を注いでくれていたのだ。それなのに感謝の一つも伝えられないまま、私はジィラへ来てしまった。ここで気づけて良かったと喜ぶべきか、ここまで気づけなかったことを悔やむべきか。解は思考の果てにすら姿を現さない。
「ヒカリ早くご飯!」
テーブルに皿を置いた私を引き止めるように小さな生き物が楽しそうに服の裾を引っ張ってくる。
「こらジャロン。引っ張ったら裾が伸びちゃうでしょ。もう少しで用意ができるから、テーブルに着いて」
「はーい」ジャロンは躊躇うことなく食卓の定位置へと腰を下ろした。
ここの子供たちは皆聞き分けがいい。彼らが素直であるおかげで、経験のない私でも難なく面倒を見ていられた。おまけに心優しい子が多い。彼らをここまで育てるのにどれほど苦労したのか、それは私にはわからないが、この環境は間違いなくメアがこれまで行ってきた努力の賜物なのだということだけは理解できた。
着々と準備は進んでいき、やがて子供たちを皆それぞれの椅子へと落ち着かせる。私はメアの調理過程を特等席で拝見しながら、お冷で一息入れていた。
「どうだいヒカリ。ここでの生活にもそろそろ慣れた頃だろう」
「はい。メアさんや子供たちがよくしてくれるおかげです」
「私たちは関係ないさ。あんたがいい奴でなきゃ私も子供たちも簡単に受け入れやしない。私たちによくしてもらえてるっていうのは、そういうことなんだよ」
彼女はフライパンを巧みに操り内部に陣取る野菜を簡単に転がしていく。たった一食に何品出すつもりなのか気になりはするが何故だか聞くのは野暮な気がした。
「今作ってるのが、カンマーシャオラン。野菜の炒め物に豚の肉を混ぜた物だね。ちょっと色々作りすぎちゃった気もするけど、今日はあんたが来て一週間記念日だから豪華でも全然問題ないだろう?」
「付き合いたてのカップルみたいな配慮!」
「何言ってんだい。カップルどころか私たちは同じ屋根の下を共に過ごす家族だろう」
目尻が熱くなる。まさか私のふざけた発言をこんな良い形で丸め込んでくれるとは。簡単に家族になる事を了承したり、私に合わせた服を作ったり、本当にメアにはいつも驚かされてばかりである。
「二週間記念日も楽しみにしてな!」
「何週間分記念日作るつもりですか?」
記念日を作ると言う行為そのものは、お互いを想い合うきっかけ作りとして凄く魅力的でもあるが、やりすぎは禁物だ。多すぎると予定に合わせられなくなるし、トラブルの原因にも繋がる。記念日の多いカップルが三ヶ月以内で別れることは調査済みなのだ。
もっともメアは冗談で言っているのだろうが。
テーブルに並べられた豪勢で圧巻な料理を見て子供たちが目を輝かせる。その様子を微笑ましく思いつつ、順々に席に着く子供たちに習うように私も自らの位置へと腰を落ち着けた。今、この施設にいる子供は八人。十人十色の個性的な面々であるが皆優しい子達でジョンが仕事に出ている間、この施設の事を色々と教えてくれたのは彼らだった。
メアだけでは無い。私はこの施設のみんなに救われて今があるのである。
「そういえば、ジョンは?」
隣の席のリトが私の顔を覗きこんでくる。
「ヒカリと喧嘩したから家出しちゃったのかな?」
普段から大人しい少年なのだが、その表情はより一層大人しく陰った。
いやそれよりもジョンと喧嘩した覚えが全く無いのだが、何故こんな確定的な言い回しなのだろう。
「私たち、喧嘩してた?」
「殴り合いの喧嘩してたじゃん」
「訓練のことか。あれは喧嘩じゃなくて、修行よ」
リトの青い鱗が照明に反射してサファイヤのような煌めきを発する。修行という言葉にあからさまな興味を示す、いかにも子供らしい反応に微笑を返しつつあたりを見回す。
しかし確かに料理を作り始めてからの、ここ数十分ほどジョンの姿を見ていない。別に気になるほどの事でもないが子供たちは姿の見えない住人が心配なようだ。
「ヒカリー、ジョンとどんな修行してんだよー!」
他の子より比較的体の大きな赤い鱗のカルドゥラが席を立ち私の元へと寄ってくる。すると彼の行動でスイッチが入ったかのように子供達が続々と周りへと集まり出し、今か今かと私の口が開くのを待った。私は少し考えたのち、小さくため息を吐くと一人一人を追うように皆に視線を合わせる。
「これからする話は絶対に誰にも喋っちゃダメだよ。私たちだけの秘密。約束できる?」
「何の話してんだ?」
創作に華を咲かせようと思案していた私を裏切るように、ジョンは平然とリビングへ顔を出してきた。だが先ほどまでの心配はどこへやら、彼らはジョンへは目もくれず私に言葉を促すように強く瞳を差し出している。
全く広げられないまま終わってしまったが、ジョンが来てしまった以上続けるのも気恥ずかしい。
「これから私が世界を救う話をしようと思ってたんだけど、ジョンが来たからやめよ」
「えー!」やはり子供たちからはブーイングのスコールが降り注ぐ。
「さあ席に着いてみんな、続きはまた今度ね」
しかしやはり聞き分けの良い彼らは、それ以上の無駄は作らない。さっさと各々の席へと着くと今度は食事に対する積極性を見せる。この並ならぬ切り替えの早さにはいつも驚かされるのだ。だが隣席のリトだけは納得のいっていなさそうな苦い顔で私を横目に見ていた。
ジョンは終始キョトンとした顔で立ち尽くしていたが、やがて我に帰るとリトとは逆の隣の席へと座る。そして彼もやはり何か言いたげに私を横目に見ていた。
「さっさと食べないと冷めちまうよ!」
厨房の掃除をしているメアが未だに料理に手をつけない私たちを見て怒声を飛ばす。少しの焦燥感に後押しされるように、私たちは掛け声と共に手を合わせた。
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