NAMELESS

13.作戦Aの決行

 箱の中に立っていた。見慣れた色、見慣れた形。もしそこに違和感があるとすれば箱の中に置かれた数々の物のみと言える。つまりほとんど教室と同じ景色。しかし生徒指導室と銘打たれているのが確認できるあたり、それが所謂クラスと呼ばれるものとは少々異なる事が窺えた。


「おい、聞いてんのか野吹」


 前方、顎の細い男がずれた眼鏡に指を置きながら低い声を響かせる。声を頼りに私の意識は顎の細い男へとたどり着く。


 私はこの男のことを、男であること以外にほとんど何も知らなかった。


「何? てか誰?」


「何、じゃねぇよ。お前が馬鹿なことしなきゃこんなことにはなってねぇの。教室内で正々堂々いじめとか何考えてんだよ」


 男は大きなため息を吐くと再び眼鏡へと手を添えた。今回は別にズレていたわけではなかったのだが、今の行動は何だろうか。


「事が事だ。反省の色が見えなきゃこのまま朝までここにいる事になるかもな」


 笑う男に今度は私がため息を吐く。


 見えすいた嘘も、理解する気の感じられない姿勢も、何もかもが気持ち悪い。彼の浮かべる表面的な怒り如きを前に、何故私が誠意的な対応をしなければならないのだろう。生憎様だが私は紛い物相手に許せるような寛大な心は持ち合わせてはいない。


「警察ごっこのつもり? 何の権力があってこんな事してるわけ?」


「お前がこのまま同じ事を続ければごっこじゃあ済まなくなる。警察が動けばお前は確実に親や学校に迷惑にかけることになるぜ」


「学校にかける分には問題ないでしょ。迷惑かかる事が怖くて教師が務まるの? 生徒に迷惑かけられるくらい教師としては本望でしょ?」


「ふざけるな!」


 拳と机の衝突音が箱の中で反響する。机から男へ順々に視線を移すと、彼は物凄い形相で目を吊り上げていた。


「さっきから大人を馬鹿にするような事ばっか言いやがって、何様のつもりだてめぇ!」


 威圧感を与えられれば怯むのは必然。彼の殴るように発された言葉たちを見下ろしながら一先ず私は沈黙に従順になる。しかしそれをどう思ったのか、男は小さく息を吐くと頬杖をつき時計を見た。


「怒鳴っちまって悪かったな。正直言えば俺も昔はお前側の人間だったんだ。だから人をいじめるのが楽しいのはわかる。やるなとは言わねぇが、せめて場所を選べって言ってんだ。理由は言わなくたってわかるだろ?」


「は?」掌と机の衝突音が箱の中で反響する。それと同時に立ち上がった私はすぐさま男へ鋭い視線を向けた。


 今度は男が突然のことに怯み、怒りを露わにする私を前に沈黙の味方になっていた。私は黙っている彼を前にしながらも、ため息混じりに立ち上がりこの部屋への興味を失ったと言わんばかりに扉へと直産する。そして扉の窪んだ部分へ手をかけると、そこで一度動きを止めた。


「私はお前らとは違う。何も知らないくせに、何もできないくせに、偉そうな事を言うな!」











「……偉そうな事を言うな!」


 大声が反響して震わされた鼓膜が私に危険信号を送った。それを引き金に私の意識は一気に現実へと引き戻され再び見慣れぬ天井が姿を表す。


 張り付いたシャツに違和感を覚えながらも袖で額を拭う。起き上がって周囲を確認すると異常なまでの汗が身体中を流れていることに気がついた。環境的にも涼しく心地の良い季候であるはずなのだが、これは一体どういうことだろうか。


 そういえばとても嫌な夢を見ていたような気がする。もしかしたらそれが関係あるのだろうか。


「これは一回お風呂入ったほうが良いかも……」


「起きろヒカリ、飯だ飯!」


 顔の汗を裾で拭っていると、どこかから男の野太い声が聞こえてきた。私の恩人であり、一番の友人の声である。


 汗を流すのは朝食を済ませた後でも良いだろう。布団をしまい大きく伸びをする。横目に窓を伺うと、カーテンの隙間を縫う小賢しい光が私に微笑んでいる気がした。











「これより第一回、作戦会議を始めます」


 人肌に似合わない体色をした大男が人とは思えない左腕を高々と上げる。対する私は向けられた掌を見上げながらただただ呆然と正座していた。


 メアさんが作ってくれた朝食を平らげた後ジョンに自室へと促された私は、シャワーだの何だの身支度を挟んだ後に彼の部屋へと訪れた。その際に要件を聞いていなかったためにこれから何が起こるのか全く想像できていなかったのだ。


「ジョンさん、説明を求めてもよろしいでしょうか」


 私が挙手するとジョンは緑色の巨体を大きく頷かせ持ち上げていた手を落とす。


「先日、というか前日、ヒカリからこの世のものではないという話が出ただろ」


「それだとまるで私が死人みたいだけど、あながち間違ってない可能性もあるから否定しづらいな」


 私を無視してジョンは言葉を続ける。


「出会った頃から何となくジィラの生物ではないような気がしてたが聞かされた時はさすがに驚いた。まさか他の星の人間がここまで来ちまった上に本人も現状をわかっていないとは。そりゃあ途方に暮れるのも無理のない話だ」


 夜景を見下ろしたあの日から既に二日が経過している。ジョンには出会った段階で自分の事情は大体説明済みだと思っていたのだが、どうやら昨日まで何一つ話していなかったらしくそれはもう見事な驚きっぷりを見せてくれた。


 夜景を見下ろしたあの日から既に二日、もっと言えば私がこの世界にやってきてから五日が経過している。毎度言える話だが、何の事情も知らずによくここまで助けてくれたものだ。


 因みに好奇心に取り込まれたジョンに地球の様子について色々聞かれた際には、ここと大差ないとだけ伝えておいた。


「しかも他の星の人間なのに、この星の勇者だったんだもんな。お前ホント何者なんだ?」


 ある物が入っている私のポケットへチラリと視線を向けながら目を細めるジョン。当然の疑問だが、この問題に関して言えば私も完全にお手上げだ。


 ポケットに入っているある物、指輪を取り出して膝の前に置く。勇者にしか使えない不思議な力を宿すと言い伝えられる神器エメラルド。胡散臭い話ではあるのだが、私はこれが単なる噂ではない事を確信している。


 先日、不本意ながらも町長が起こした殺人事件を暴いてしまった時、危うく本人と現場で遭遇してしまい殺されそうになった。しかし神器が突然光り輝き、辺り一帯に巨大な風を生み出すとあっという間に町長を行動不能にしてみせてしまったのである。あれは間違いなく私の力ではなく、超現象、もとい神がかったような不思議な力だった。


 もっとも、この神器を与えてくれたのは町長の他ならないのだが。


「この星に来た事自体もそうだけど、私はこの星のことをよく知らないの。勇者とか神器とかも、私の世界では作り物のような話で現実だと言われるとちょっと信じ難いと言うか。未だに信じられないというか」


「いや、その割にはめちゃめちゃ力使いこなしてなかったか?」


「あれも何かやったらできただけだし」


「それ天才が言うやつじゃねぇか!」


 ドラゴニュートビンタをくらい、内側から肉が張り裂けるような鋭い痛みが肩を襲う。それは瞬く間に骨へと伝わり、やがて肩周りへと波及するように容赦なく広がっていった。いや実際には見た目に全く影響を及ぼしていないし肩も動くので骨折は免れているとは思うのだが、大袈裟なリアクションを取るべきだと駆られるほどにあまりにも強烈な痛みだったのである。少なくともアザの一つはできたに違いない。


 これからは龍人からのツッコミには多少なりとも警戒したほうが良さそうだ。


 動かない私を察したのか、ジョンは私の横で屈むと肩をさすってきた。


「悪い、つい人間に接するような調子で叩いちまった。怪我しちまったのか」


「大丈夫、次から加減してくれれば」


 実を言うと引きずりそうな痛みが感覚として残っているのだが、気を使わせてしまうようなことを言うのも気が引けるので今は話題を逸らす事にした。未だ作戦会議の真意が見えないからだ。


「続けてくれる?」


「ああ」ジョンは元の位置へと戻りあぐらをかくと膝に手をつき体を前へと出した。


「わからない話は今は置いておこう。勇者も神器も気になるっちゃ気になるが、今は別の問題を先に考えたい」


 ジョンは真剣な眼差しのまま私の目を捉えた。


「本題に入るぞ。ヒカリ、お前これからどうするつもりだ?」


 彼の意に応えるように、私もジョンの瞳を真っ直ぐ見つめる。


 彼が言いたいことはわかっていた。


 私は地球への帰還に目標を置いて動くことを決めている。彼はその目標を達成するために私が具体的に何をするつもりなのか、どう動くつもりなのかが知りたいのだ。何の情報も無い今の状態で考えもなしに闇雲に動いたところで成果が得られないのは理解してるし、私なりの考えがあるのは事実。しかしそれでもやはり具体的な動き方が見つからないのもまた事実で、彼の言葉への適切な返答が見つからないのは道理だった。


 どれだけ大人ぶろうしても、結局のところ私はまだ高校生のお子様なのだ。世間もろくに知らず経験も浅い独り立ちの困難な雛鳥なのである。


 彼へ視線を向ける事に迷いはなくとも、その瞳は確実に揺らいでいた。


「実はまだ、具体的にどうしたら良いのかわからないの」


 ジョンが真面目な面持ちで私の話を黙って聞いている。


「ただ、この世界に関する情報が少ないし、もう少しこの世界全体のことを色々知って、動くのはそれからでも遅くないと思ってる」


 どう動くことが、何を言うことが正しいことなのかはわからない。しかしそれでも動かなければ、言わなければ始まらない。それに間違えても良いのだとジョンは言った。ならば今は彼を信じ拙くとも間違っていようとも言葉を紡ぐしか無いだろう。


「あと、今ある有力な情報は私の他にも鱗無しがこの世界に存在してるってことだから、最初にやるべき事はそこに焦点を当てて情報収集することかなって」


 耳を傾け口を閉じていたジョンが優しい顔で頷き、膝を軽く叩く。


「上出来だヒカリ、よくその歳でそんだけ頭が回るもんだ。感心しちまうなぁ!」


 ジョンは武骨で大きな掌を広げると私の頭を乱暴に撫でた。この動作や今の発言で気づいたが、すごく子供に見られているような気がする。


 確かにジョンはおじさんのような雰囲気があるしそれに比べれば幼く見えるのは当然なのだが、あまり過剰な子供扱いを受けるのはいただけない。


「これでようやく作戦会議に入れるぜ。お前のために出来そうなことを色々考えたんだが、一つ聞いてくれねぇか?」


 そう嘯く彼はどこか楽しげで、気がつけば私は頷いていた。前途多難かと思われていた目標達成の鱗片が見え始め、覗いていた不安が思考の奥底に隠されていく。


 私を見て何を感じたのか、ジョンは不敵な笑みを浮かべ唇を舐めた。何故だか、彼の話が長くなるような気がした。

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