11.超文明のエビデンス
翡翠色の宝石がついた指輪をまじまじと見つめた。
これは、かつて勇者と呼ばれた私のような姿をした人間が使っていた「神器」と呼ばれる物だ。ケイトが私になら使えると豪語し押し付けて来たのだが、皮肉にも今、私はその力を実感していた。
振り返り、でかでかと聳え立つ町役所を見上げる。私はその五階、唯一窓の空いている部屋へ視線を向けほんの数十秒前の出来事を思い出した。
私はたしかにあそこから飛び降りた。命を失う事は承知の行為で、もちろん生き残ることなんて微塵も考えていなかったのだが、それでも私の体は、命は、しっかりとここに残されている。落下する途中、不意に聞こえてきた脳内に直接語りかけてくる声と、重力を無視して私を浮かせた不思議な力。それらが働かせた超原理が私の理解を越えて、確実に死ぬはずだった運命を大きく捻じ曲げてしまったのだ。
普通ならば受け入れ難い事態なのだが、ここは日本でも地球でもない、常識の通用しない異世界である。いや、割と私から見ても馴染み深い秩序の整った世界だとは思うが、それでも、これまでもやはり世界観の差異を感じてしまう部分はあった。
今回の出来事も、その内の一つだったというわけだ。
「ヒカリ、お前大丈夫かよ!」
私に注目を集める龍人の群れから、一番図体の大柄な男が痺れを切らしたようにズカズカと歩み寄ってくる。私がここへ足を落としてから、ずっと話しかけたくてうずうずしていたのだろう。私を気遣う表情には紛れもない真実が刻まれていた。
「うん、どうやらこれが守ってくれたみたい」
私は左手に乗った小さな指輪を、ジョンへと向ける。ジョンは目を細め、眉を寄せながら首を傾げた。
「な、なんだこれ?」
「やっぱり、誰でも知ってるわけじゃないんだ。でも今はゆっくり説明してる暇はなさそう」
私はパーカーの左ポケットに神器をしまい、代わりに制服のポケットからスマホを取り出した。
「ジョン、とりあえず私を警察に連れて行ってくれない?」
「な、なんだなんだ、どういうことか説明してくれ」
「ケイトの悪事を明るみにする唯一の証拠を手に入れたの。彼に止められる前に早くこれを警察に届けなきゃ」
話を聞いた周囲の龍人たちがざわめき始める。その様子を見受けたジョンは、額に汗を浮かべながらも私の耳元へ顔を動かし小声を発した。
「よくわからないが厄介ごとなら尚更、詳しく聞く必要がありそうだな。それに大声で話すような内容でもなさそうだ。一先ずはその証拠、俺に見せてくれねぇか?」
少しだけ戸惑った。ケイトは今もあの建物中にいる。よもや外に出た以上、公衆の面前で殺されたりするような心配はないにしても、話していた時の精神状態を見るに何をしてくるか検討がつかない。ここは出来るだけこの場を離れたい気持ちが強いのだが。
「ヒカリさん、大丈夫かい?」
悪寒を誘う優しい声音に、鳥肌がたつ。振り返って姿を確認するまでもない。背後に立つ暗黒龍人、この街に巣食う諸悪の根源は張り付いたような笑顔を浮かべながら私の瞳を真っ直ぐ捉えていた。その目には一切の柔らかさを感じない。
わたしが生きている事を確認して、急いで降りてきたのだろう。決して逃さない、そんな確固たる意思を強く感じた。
「ヒカリさん、まだ間に合うから帰ろう。僕も少し血が上りすぎてしまったようだ。怒ってしまったのは謝るから、こんなことはやめよう」
「何を考えてるのか知りませんが、話を合わせるつもりはありません。ケイトさんには速やかに罪を償っ……」
「それ以上は!」突然放たれた大声に怯む。それはギャラリーと化しているその他大勢にも言えた。目撃者がほかにいる以上、激情すればするほど、追い詰められていくのは彼自身だ。手を打たずとも彼が自爆してくれれば私は楽だが、これからどう出てくるのか。
「……それ以上は良くないよ、ヒカリさん」
それでも私は真実への歩みを止めない。
「私も別に大勢の前で貴方の罪を晒すような真似がしたいわけじゃないんです。貴方が自分で自分の首を絞めてるんですよ」
「想定外だ、君がここまで煩わしい存在だったなんて。僕を救ってくれる勇者ではなかったのか」
「私は勇者じゃない。たとえ神器を扱うことができたとしても、勇者と呼ばれるような高尚な存在になることはできない。でもね、それでも正義をかざしていたい。貴方のような悪を簡単に許容したくないの」
「五月蝿い、それ以上喋るな!」
ケイトの表情に見える陰りに、どこか哀愁を感じて私は少し顔を落とす。自分を守る彼の必死な姿を、自分に重ねてしまった。私もいつも、自分を守るために声を荒げ、威圧でその場を制していた。だからこそ、理解や共感を向けたい気持ちも、目を背けたい気持ちもある。
だがそのどちらも正しくないことは、よく理解していた。
「だから私は、貴方を裁く。それが私の信じる正義だから」
レモン色の、膝まであるぶかぶかのパーカーのポケットが森林のように優しく、エメラルドのように美しく輝く。
いや、エメラルドのように、というか確かこれエメラルドだったか。
空気が私の周囲を漂うように動き始め、神器の輝きに合わせて速度を上げていく。
現象そのものは目に見えないものの、その様子に違和感を覚えたのだろう、ジョンとケイトは喉を震わすこともできずに呆然としていた。
「ねぇ神器、貴方が教えてくれたこと、私はちゃんと理解できているのかな」
纏う空気が膨張していき、風の渦が私を覆い巨大な旋風のような状態へ進化していく。
私は手を上方へと向け、荒れ狂う風を掌の先に集中させると、それを前方へ向けて一気に発射させた。膨大な力が集まった風が私の掌から飛ばされ、瞬く間にケイトに直撃する。もちろん、それを受け切れるはずもなく彼は思いっきり吹き飛ばされたかと思うと役所の壁へ叩きつけられた。そしてその場に崩れ落ち、いとも容易く意識を失ってしまう。
私を取り巻く空気が四散し、輝きを放っていた神器が落ち着きを取り戻す。
やばい、完全にやりすぎた。
「おいおい、何が起こったんだ?」
「あの子が町長を?」
野次馬たちが口々に私に対する不信感を漏らし、横目を向けながら噂し始める。突然あんな超現象を見させられ、しかも町長をぶっ飛ばしたのだから、事情を知らない者が怪訝な目を向けるのは当然だ。
それに今のは私も良くなかった。よく、正義を振りかざしている人間は容易く他者を攻撃してしまうと言うが、まさしくその通りになってしまっている。
「ヒカリ、今のは一体?」
駆け寄ってくるジョンを一瞥してから、倒れるケイトへと視線を向ける。
「ケイトは、私を殺そうとしたの。だから反撃しただけ……」
「それじゃあよくわかんねぇよ! 頼むヒカリ、もっと詳しく教えてくれ!」
ジョンは胸元の内ポケットから手帳を取り出すと、それを開いて私に見せてきた。それは日本にもある文化、直接ではないものの、私も見たことのあるものだった。
「俺、実は警察なんだ。だから、ケイトさんが何をしたのか、俺に正直に話してくれ」
眉根を寄せ、拳を強く握るジョン。警察手帳の写真には間違いなく彼が写っている。元々、ジョンには全て話すつもりだったのだが、警察であると言うのならば話が早い。
とは言えど、今、全てを話してしまっていいのだろうか。彼の沈んだ横顔が、私には少し気がかりだった。
それでも警察相手に適当な事を言うわけにもいかず、私はずっと右手に持っていたスマートフォンをジョンへと差し出した。どうせこの世界では電波も届かないし、特に利用方法も思いつかないのだ。証拠品として差し出すことくらい造作もない。
「ケイトとの会話をスマホで録音してたんだけど、思いのほか色々自分で喋ってくれたから、大体の事はこれを聞けばわかると思う。これを聞いてもわからない事は私に聞いてくれれば、わかる範囲で答えるから」
ジョンは私からスマホを受け取ると、それを操作し写真のアプリから一番新しい動画をタップした。流れる音声は記憶に新しい、私とケイトの問答、そこには確かに明確なる証拠が提示されており、今にも耳を塞ぎそうなジョンを見ながら、私も目を塞ぎたい気持ちでいっぱいになっていた。
やがて動画を見終わったジョンは暗い表情を宿したまま私の方へと向き直る。
「そのスマホ、この世界では使えないと思うから警察の方で管理してもらっていいよ。あと充電器持ってないから、電池が無くなる前にデータ取っと……」
顔が塞がれ、言葉が途切れてしまう。見上げれば、私より幾分も大きな龍人が私を抱きしめながら涙を流していた。
彼はケイトを信頼し、そして尊敬していた。そんな人が、人々の平和を平気で脅かすような悪人だとこんな唐突に知らされてしまえば理解が追いついた時に感情が溢れてしまうのも無理のない話だ。
私は彼の逞しい大きな胸に顔を預け、抱きしめるように手を後ろに回す。しかし彼の体が大きすぎるため、父に甘える娘のような構図になってしまい、同時に恥ずかしさが湧いてくる。
「申し訳ねぇヒカリ、俺の判断ミスでお前を危険に晒しちまった。本当にすまねぇ」
嗚咽混じりに聞こえてきた謝罪を受け、勘違いをしていた私は胸を打たれたような気持ちになる。先程まで感じていた恥ずかしさが嘘のように消え去っていき、代わりに彼に対する様々な感情が芽を出していく。
背中をさするように手を動かし、私は小さく彼に語りかけた。
「私なんて全然、大丈夫。むしろ謝るのは私の方だよジョン。ずっと、ずっと謝りたかったの、貴方に」
出会って間もない、関係の薄い私を思って涙を流せる心優しき龍人。私を抱く手は震えていて尚、力強く、簡単には離れてくれなそうだ。
「貴方たちの見た目を馬鹿にするような言葉を吐いて、本当にごめん。あれは心にも無い言葉だったの。本当はあんなこと思ってないから」
「そんな事どうでもいい。ヒカリが無事でいてくれれば、それで良いんだ」
「どうでも良くなんてない。どうなってもいいのは、むしろ私の方だよ」
「どうなってもいいわけないだろ!」
彼は急に私を引き剥がすと、力強く両肩を掴んだ。強張っている表情が、彼の厳つい見た目を更に厳つくし、乱れた呼吸から牙が見えるたびに、逃れられない捕食される生物になったように錯覚してしまう。
彼の色々な表情を見てきた私だが、今が一番怖かった。
「俺には、もうお前が大切なんだ。頼むからあんまり無茶しないで、もっと自分を大切にしてくれ」
そして再び、強く抱きしめられる。
「ジョン、苦しいし、なんかキャラ違くない?」
返事はない。相変わらず静かに涙を流すジョンは私を離さず、ずっとこの体制を保っている。
私は、私にとって彼が特別なのは、この世界に来てはじめて出会った人間だったからだと思っていた。親切にしてもらった事も、傷つけてしまった事でさえ、特別になる理由には十分なのだが、そもそも出会いもしなければそんなやり取りもない。もしも元の世界で彼のような人に出会ったとしても私はきっと、彼に大した感情を持つ事は無かっただろう。
故に、彼にとって私が他人にならなかった事が不思議で仕方がなかった。
野次馬の声がどんどん多くなってきているような気がする。それでも私たちは、暫くその場から動かず、ただただ、互いに抱きあっていた。
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