08.ファインディングドッグラン!

 お初お目にかかる天井がようやく見慣れた頃、ドアが叩かれる音がして私は扉の方を向いた。


「ヒカリさん、昼食は十四時頃にしようかと考えているんだけど、どうしようか」


 扉が開くのと同時にケイトが口を開くので前半部分が殆ど聞き取れなかったが、何時頃するか考えている旨のニュアンスの言葉が聞こえたので多分内容は食事の時間の類だろう。私は横にしていた体を起き上がらせた。


「私は何時でも大丈夫です」


「じゃあそうさせてもらうね」


 いや何時だよ。


 微笑みながら軽く頭を下げて扉を閉めるケイト。対して私は疑問を頭に残したままその場に取り残されてしまう。もしかして最初に明確な時間を提案してくれていたのだろうか。


「まあいっか」昼食の時間になれば、また呼びに部屋まで来てくれるだろう。わざわざ来させるのも申し訳ないが、時間がわからないのだから仕方ない。


 私は思考をベッドの下に放り投げて、再び天井と視線を交わし合った。


 ここは町役所の一室で、ケイトがプライベートで使っている部屋の一つ。普段は個人的な高貴な客人を泊めるための部屋になっていると彼は言っていたが、ほかに余っている部屋が無いということで特別に貸してもらうこととなった。おかげでベットはふかふかで天井にはホテルでもないのにシャンデリアが付いている。役所内のお金のかけ方に不安を覚えつつも、お金をかけた部屋の心地よさに気づき始め矛盾の感情の衝突が連鎖する。天使と悪魔。天国と地獄。


 まあでもケイトは、プライベートと言ってもほとんど接待に近いような関わりの人を通す部屋だと言っていたので、間違った使い方だとは一概にも言えない。ここへ通されたお偉いさんが、町の発展のための重要な鍵になる事だってあるだろう。そう考えれば自然な消費とも言える。


「それにしても、急に暇だ」


 天井を眺めはじめてから早一時間。


 惑星ジィラに来てしまってからここまで色々なことがあった。訳も分からないまま、自然の中で人のいる場所を目指して歩いた半日間や、ジョンに助けられてからのいざこざ。そしてジィラの過去と伝説。それらは一日にしてはあまりに濃厚で、刺激的で、未知の時間だった。


 しかしそれら全てが夢物語に沈むかのように、時間は深い眠りに包まれ、私の心も静寂の中に飲み込まれてしまっている。ずっと感じていなかった疲れの波が押し寄せてきて、私の思考にモヤをかけていく。


「ジョン……」不意に漏れた名前を想う。


 私がこの世界で、こうして無駄な時間に身を任せていられるのも全部彼が助けてくれたおかげだ。彼は、無慈悲な世界に唯一差し込んだ光、私にとっては太陽と言っても過言ではないほどの強大な存在である。


 しかし私は彼にひどい言葉を投げてかけてしまった上に、まだその事への謝罪を済ませることができていない。その事実が執念深いフックとなり私の心臓を的確に捉えてくるので、必然と息が苦しくなる。


「違う、別に私はジョンに向かって言ったわけじゃない。あんな状況になったら誰だって……」


 その時、不意に視線を感じて私は扉とは逆の方、ベランダへと出る大きな窓へと視線を向けた。部屋に入った時に色々と観察していたが、あそこには私の腹ほどしか高さのないタンスと、そこに乗った大きな化粧台くらいしかなかったはずだ。


 しかし振り返った瞬間、私の体に何かが覆いかぶさってきた。突然のことだったので目をつぶってしまい、しかも顔にのしかかられて視界が一気に悪くなる。


「な、何!?」だが思いのほか軽かったそれは、私が無理やり離そうとすると容易くその場を退いた。


 それはベッドを悠々と降り、何事もなかったかのようにその場へ腰を下ろす。金色の毛並みにつぶらな瞳。今のところこの世界一の小型生物だが、私はそれを確かに知っていた。


「ワンちゃんだ!」しかもゴールデンレトリバーだ。成長しきっていないのか、思っていたよりはサイズが小さめだった。


「ケイトさんのワンちゃんなのかな」


 犬は犬らしく、ワンと吠えながら尻尾を全力で振っている。こういうのを見ていると自分が別の世界にいる感覚が薄れてしまうのだが、さすがにそろそろ実感は芽生えている。


 首元を見ると「リード」と書かれた首輪が目に入った。首輪がついているということは、やはりケイトの犬なのだろう。さすがに客人用の部屋には置かないだろうから、もしかしたら迷い込んでしまったのかもしれない。


「リードって言うのね」


 そう言うと、彼は嬉しそうに吠えた。明確なことは言えないが、表情や吠えた時の声色が何となく嬉しそうに感じたのだ。


「よし、じゃあ一緒にケイトさんの所まで行こうか。もしかしたらリードも探されてるかもしれないしね」


 するとやはり、リードは嬉しそうに吠える。尻尾の動きもより激しくなっていく。


 私はベッドから降り、リードの頭から背中をなぞるように撫でた。彼は気持ち良さそうに目を閉じながら首を前に出して余韻に浸る。


 ケイトの元へ連れていくと言っても、町役所に犬がいるのは良くない可能性があるので、一般の入れるところは避けていく必要がありそうだ。それには一階と、二階の一部にケイトがいるという選択肢を捨てて移動しなければならない。リードを一度置いてそこだけは一人で探しに行くという手もあるが、果たしてリードが待っていられるかどうか。


 ケイトがどこまでリードを躾られているかどうかがわからない以上、一匹だけ放置して移動することはできないと考えた方が良いだろう。


 扉を開いて左右を確認する。ここは四階なので一般人が通ることは皆無に等しいのだが、念を入れてだ。


 だが私は油断していた。そんな悠長な事をしている間に、リードが足元を抜けて颯爽と廊下へ飛び出してしまったのだ。


「待って、行かないでリード!」


 彼は自らの持つポテンシャルを余す事なく駆使して廊下をかけていく。私も全力で彼の背中、いや尻を追うが当然距離は詰まるどころか離れていく一方。焦りが募る。こんなところをケイトに見られたら、怒られるのは恐らくリードだ。


 一般人の目に触れたリードがケイトに叱られている姿が目に浮かぶ。


「お願い止まって。私も一緒に探してあげるから!」


 リードが長い廊下を超えて階段を駆け上がる。下へ行かなかった事に安心しつつ、私も彼の後を追うように高度を上げていく。


 全身に熱がこもり、呼吸が乱れる。全速力で階段を上がればそうもなるのは目に見えていたが、体力を考慮している場合ではない。今もなお減り続ける体力への配慮をぶっ飛ばして、廊下を蹴り前へ進む。


 程なくしてリードは速度を緩め、やがて足を止めた。追いついた頃には私の体力は限界に差し掛かっていて、ようやく彼が体を落ち着かせてくれた事に感謝すらしてしまうくらいに弱っていた。


「ワン!」と鳴く金色の獣。


 私は彼の元へと歩み寄ると、目の前にある扉へと目を向けた。五階にある部屋の中でも一つだけ模様も色も違う異質な扉。他の扉は木造感溢れる簡素な扉なのだが、目の前のこれには着色が施されていて、細かいデザインに強く目を引かれた。下の階にも、こんな派手な扉は一つも無い。


「ワン!」今一度鳴く無垢なる生命。


「ここに入りたいのね」


 犬は嗅覚がきく。もしかしたら最初からケイトの居場所を知っていて、私をその場所、つまりはここへと案内してくれていたのかもしれない。


 私は冷たい扉を二度、ノックした。


「ケイトさんいますか?」


 返事はない。若干小さめなゴールデンレトリバーは相変わらず嬉しそうに舌を出しているが、一切尻尾を振っていない。


 もう一度ノックする。その時、不安信号が私の心の扉をノックしてきたような気がして、一歩、扉から身を引いてしまう。


 よくわからない感覚。何故だかはわからないが、この先には入ってはいけないような気がした。


「ワン!」けれども勇姿ある小悪魔は私に急かすように今も吠え続けている。


「リード、本当にここにケイトがいるの?」


 彼は答えない。荒い呼吸を繰り返しながら、私が扉を開くのをただただ待つだけだ。


 一か八か、私は勢いに任せるように扉に手をかけ、そして思い切り開いた。その瞬間、何かが腐ったような気持ちの悪い空気が通り抜け、私はすぐに呼吸を止めた。


 カーテンが閉められている暗い室内に、乱雑に色々な物が置かれている。棚や机、畳まれた椅子や書類などが部屋の隅を囲うように位置取る。そんな中でただ一つ、異質な雰囲気を放つ黒い袋が私の気を引いた。腐敗臭と濁った空気が吐き気を誘う。


「何これ……」


 立ち尽くしていると、リードが平然と中へ入っていってしまう。犬の嗅覚では、この臭いはかなりキツイと思うのだが、真っ直ぐと袋へ向かう彼の足には一切の迷いを感じない。やがてたどり着いたリードは「ワン!」と吠えると器用にも、私に見せつけるように袋を破いて見せる。


 何も知らない毛玉は、破いた袋の中から何かを取り出すとそれを私にもよく見えるところまで引きずって持ってくる。それは龍人の死体だった。


 どこを見ているかもわからない虚ろな目は瞬きを忘れており、身体は硬直したまま動かない。血液はどこから出ていたのかわからないほどに身体中に満遍なくこべりついており、鱗には微塵も生気が感じられなかった。


「何でこんな……え……嘘……」


 動かぬ人体を前に、動けぬ身体。色々な感情が体内で交錯しているはずなのに、それら全てが吐き出せずに燻ってしまう。どうしようもなく逃げ出したいのに、何が起こったのか知りたいのに、何一つ形にできない。


 複雑さに複雑さが重複する。無力感が硬直した肉体にまとわりつく。


 生まれて初めて死体と邂逅した私の意識は、ザラザラした舌へと集中していた。

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