04.正解のない答案用紙
袋の鼠。多勢に無勢。圧倒的数を前にして無力を表す言葉は色々ある。そして今まさに、私はそれらを適用するに相応しい状況にいた。私より頭二つ分以上も大きい幾人もの龍人が、退路を塞ぐように囲んでいる。おまけに私は腕を掴まれており、一人を相手にすら抜け出せずにいた。
その上、彼らは何故か私に対し怒りの感情を燃やしている。もしこのまま流れに身を任せていたら命を落とすのも時間の問題だろう。私から何かアクションを起こさなければ、おそらく未来はない。
「ねぇ、待ってよ」
そこで私が思いついたのは時間稼ぎだった。
「状況が全く飲み込めないんだけど、あなたたちは何をそんなに怒ってるわけ?」
ジョンが銀行に入ってからまだ数分も経っていない。とはいえ、お金を下ろすだけならそんなに時間はかからないはずだ。銀行から出たジョンが私がいないことに気づいてここまで探しに来てくれれば、この状況が何かの間違いであることを証明してくれるはず。
もっとも、私の説得で場が落ち着いてくれればそれが一番なのだが、見た目の違う私の話など聞いてくれるかどうか。
「すっとぼけてんじゃねぇ。お前がバルゴを殺ったのはわかってんだよ」
私を掴んでいる龍人が眉間にシワを寄せながら吼えたてる。彼の厳つい角ばった顔が目前で凄むので心臓が飛び出てしまいそうになったが、同時にジョンよりも若々しく張りのある綺麗な鱗が間近に見えて少しだけ落ち着きを取り戻す。
彼の発言から察するにバルゴは人名だろう。そして恐らくバルゴは殺されたのだ。それもどういうわけか鱗無し、つまりは私と同じ龍人ではない人間に。
彼らにとって私たち鱗無しの存在がどれほど珍しいものなのかは、ジョンの発言からすでに把握できている。本来なら一度すら見ることのない私たちの存在、それが短期間に二度も現れれば、同一人物だと思うのも無理はない。
それと肝心なことが一つ。私以外にも、この世界には鱗無しが存在している。
「私、バルゴさんなんて知らないよ。それにこの町の事も。何故ならたったついさっきたどり着いたばかりだもん」
「嘘をつくな! 鱗を纏わないお前のその見た目が、何よりの証拠じゃねぇか!」
やはり全く聞く耳を持ってくれないか。
「本当だよ。バルゴさんがいつ殺されたのかはわからないけど、私はずっと町の外にいたの。昨晩から今朝までは一緒にいた人もいるよ」
「じゃあ今すぐその証拠を見せてみろよ」
こんな展開を予想していなかったわけではないが、実際に来られると面倒なものだ。私一人だけでは、何を言っても証拠にはならないし、確実にアリバイを証明する手段がない。監視カメラでもついていれば今頃、私の無罪は証明されていただろうに。
監視カメラといえば一つ気になることがある。
「あなたたちは鱗無しがバルゴさんを殺した犯人だって言うけれど、そうだっていう証拠はあるの?」
この問いには別のやつが顔を出してきた。何だかんだ答えてくれている辺り、こういう出会い方をしなければ良い人たちなのかもしれない。
「昨日、バルゴは俺と一緒にいたんだ。そしたら急にお前が現れてあいつを殺して、すぐ消えちまったのさ」
「いや見てたなら私じゃないってわかるでしょ。特徴とか何も覚えてないの?」
「覚えてるさ、鱗無しってことをな」
両者一歩も引かない状況に、私は焦燥感を覚える。このままここで同じやり取りを繰り返していてはいつか彼らが痺れを切らしてしまうかもしれない。少しずつでも理解させる、或いは話を進める方法を探らなくては。
それに私も少しずつ腹が立ってきていた。仲間を殺され、憎しみにかられているのはわかるが、赤の他人を巻き込んでいるのに、その可能性を全く考慮せず勝手に決めつけるとはどういう神経をしているのだろうか。
「お願いだから話を聞いてよ」
「お前の話なんか聞かなくたってこっちはわかってるんだよ」
龍人が掴んでいた私の手を地面に向かって放った。そのまま土へ叩きつけられた私は、一番痛みを感じた肩を撫でる。顔を上げると、龍人は限界だと言わんばかりに首や指をポキポキと鳴らし、肩を回していた。
「ひどい……」
「全部自分が悪いんだぜ」
どうやらタイムアップらしい。全く納得の行く展開にはならなかったが、こうなってしまってはもう時間を稼ぐことはできないだろう。彼らは完全に血が上ってしまっているし、私は身動きすらロクにとれずにいる。
完敗だ。元々無謀な賭けとは思っていたが、まさかこうも容易く終わってしまうとは。
しかしこんな危機的場面だと言うのに、妙な既視感を感じるのは何故だろう。幸いなことに、今まで命が危険に晒されるような事はなかったはずだ。ましてやこんな大人数に囲まれることなどもってのほかである。
いや逆ならばどうだろう。私が大人数で人を囲む。人を、芽依を。
教室の真ん中、机と椅子が避けるように前後へ移動し、空いたスペースに私たちは存在していた。私と絵里と冬子、そして芽依。私たち三人は芽依を立ったまま見下ろし、彼女は床に倒れ込んでいた。この教室ではいつもの光景で、介入してくる人間はいない。それはもちろん今も例外ではなかった。
私は彼女の元へ歩くと、水に濡れ汚れた上履きを足元に投げつけた。
「おい、これやったのお前だろ。よくも私の靴を汚してくれたな」
「違う野吹さん。わ、私はこんな事知らない」
彼女の言葉が終わる前に椅子を持ちあげ、床へ投げる。鈍い音がクラス全体に響き渡り、数人の生徒が様子を伺うように横目で私たちへ視線を向けた。しかしそんなことは今の私にはどうでも良い。
「お前の話なんか聞かなくたってこっちはわかってるんだよ!」
思い出した。私の上履きが汚されていた時、仕返しをされたのだと私が芽依を取り囲んだことを。
あの時、私は芽依の話を一切聞いてあげることはなかった。あの後も彼女は必死に違うことを私に伝えてたのに聞く耳を持たず、たくさんの暴力を犯したのだ。もしかしたら私も彼らと同じことをしていたのか。彼らは私と同じことをしているのか。
「違う……私は……」
「あ? 何一人でブツブツ言ってんだ?」
そうだ、私は違う。だってああする以外に方法がなかったのだから仕方がないではないか。
「あんた達とは違うんだ」
怪訝な顔で悪態を吐く私を見下ろす龍人。
「当たり前だろうが。だから俺たちはお前を疑ってるんだ」
違う。彼らは私とは違う。彼らは仲間の死の敵討ちで私を犯人だと見立て襲っているのだ。確かに私から見れば多少の横暴はあるが、それこそ仲間を想っている証拠じゃないのか。それに比べたら、私の今までしてきたことは……
「うるさい。何が疑ってるだ、人の話など聞きもしないくせに。大した知能もない空っぽの脳みそでもわかりやすいように説明してやってるんだろうが」
私の思考を置いて、口が勝手に動き出す。それは芽依を相手にしている時の感覚に似ていた。こうなってしまっては、もう私は私を止めることはできない。
「何も知らない無能トカゲが偉そうに踏ん反り返ってんじゃねぇ!」
そうだ。こいつらは話も聞かずに勘違いで人を殺めようとしている悪だ。私は人殺しじゃない。私と彼らは違う。
罪の重さで言うなら、私の方が上だ。彼らがやっていることは復讐で、私はいじめ。何の恨みもない子をいたぶる私が悪でないなら何なのだ。
違う、私はいじめなんて……
「何だとこのクソガキが。黙って聞いてれば好き勝手言いやがって」
もう私の耳に龍人の声など聞こえていない。理性も思考もなく、感情のまま言葉が溢れてくる。
「何が異世界だ、何が龍人だ。こんな場所が世界な訳があるか、掃き溜めに住まうトカゲどもが。爬虫類の分際で人間の真似事なんてしてんじゃねぇ!」
「そこまでだ」
空気が振動して、無意識の中に存在していた私の意識が現実へと戻される。
相変わらず目の前には龍人の群れがおり、私を囲うように並んでいる。だが先程と違うのはその視線の先が誰一人私に向いていないことだ。彼らは路地裏の先、表通りへと出る方向に集中していた。
一体そこには何があるのか。そういえばさっき聞き覚えのある声がした気がする。
影の伸びる表通りの光を目指し、首を伸ばして顔を出す。だが輝きにあてられるその姿を確認した瞬間、私は目を丸くしたまま無条件にフリーズしてしまった。
「お前ら、一体何やってんだよ」
注目の的となっている男、ジョンは呆れ顔で、呆けた声でそう言うと小さくため息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます