05.戻らない足音
倒れている体をゆっくりと起こす。
周りには私を囲う龍人たちが、口を半開きにしてジョンへと視線を向けている。その光景があまりにも不思議で、私は定番ながらも無意識に首を傾げてしまった。
「何やってるんだよ、まじで」
ジョンが厳しい口調で問いただす。それが私に向けられたものなのか龍人たちに向けられたものなのかは、私には判断ができなかったが、彼の表情は今まで見たことのないくらいに強張っていて、その顔に少しだけ恐怖を覚えた。
彼の言葉に答える者は誰もいない。呆れたのか、ため息を一つ吐くとジョンは彼らを押しのけて私の元へと歩き出す。それでも私は何故かそこから動くことができなかった。
「大丈夫か、ヒカリ」
先程の険しさとは打って変わって優しい口調で手を差し伸べてくるジョン。
しかし私は彼を直視することができなかった。突入してきたタイミング的にも、彼は確実に私が龍人へ向けた罵詈雑言を聞いていただろう。その中には龍人たちの見た目を貶すような酷い言葉がたくさん含まれていた。
それだけに彼の向けてくる笑顔が痛かったのだ。体が鉛のように重い。
「う、うん」差し伸べられた手を掴み立ち上がる。その際に膝に少しだけ痛みを感じ体勢を崩しそうになるが、ジョンの支えもありながらなんとか立ち上がる。足にはあまりダーメジが無いはずなのに、それでも立っているのがやっとだ。
「何で俺が戻るまで銀行の前で待たなかったんだ」
「この人たちに無理やり連れてこられたの。なんか人殺しと勘違いされてるみたい」
「成る程な」ジョンは顎に置いて説明を始めた。
「どうやら夜中に付近で殺人事件があったらしい。しかも犯人はお前と同じ、鱗無しの人間だったそうだ。目撃情報も多数あるからこの情報に間違いはなさそうなんだが、だからこそ勘違いされたんだろうな」
ジョンは初めて出会った時のような柔らかい口調で私にゆったり説明した。その優しさに妙な距離を感じ、未だに顔を上げることができない。
「そうみたいだね。でも、一体ジョンはどこで……」
「ディーグさん、どうしてここにいるんすか。東都にいるって話じゃなかったんすか?」
しんみりとした空気から一転、私の言葉を遮ってやってきたのは囲っていた龍人の一人だ。確か殺人事件を目撃したと言っていた、彼らの中では比較的背が低くて細い龍人。
「質問をしてんのは俺の方だ。こんな大人数で女の子に寄ってたかって、どういうつもりだよ」
「だ、だってそいつはバルゴを……」
「エルドーテ、お前はこんなチビ助があのデカブツを殺せると本気で思ってるのか?」
ジョンと会話している龍人、エルドーテと呼ばれた男は少し狼狽えるも言葉を探すように目を泳がせる。知り合いなのか、二人のやり取りには妙な馴染みを感じた。
あとチビ助はやめてほしい。
「真正面から来りゃ無理でしょうけど、鱗無しとて、不意打ちならばいくらでもやりようはあります!」
エルドーテの力説にも揺るがぬジョンを見て周りの龍人たちが戸惑う。この二人のみならず、ここにいる人たちはみんな知り合いなのかもしれない。そういえばジョンはこの町のことをとても詳しく知っているみたいだった。結構、顔が広いのだろうか。
「まあ、ヒカリは昨日の夜から今日の朝にかけてずっと俺の隣にいたから、本当に違ぇんだけどな」
その言い方は物凄い誤解を生みそうなのでやめてもらいたい。
「と、隣に!? 二人は一体どういう関係で?」
予想通り、エルドーテたちの間で様々な憶測が飛び交い、ある事ない事噂話が始まる。私としては殺人の疑惑さえ晴れてくれればなんでも良いが、ジョンもそうとは限らない。自分で撒いた種とはいえ、思わぬ展開になるのは避けたいはずだ。
私は横目でジョンの様子を伺った。
「神緑の大地で眠っているところを見つけて、困ってそうだから拾ってきたんだ。昨日初めて会った知り合いさ」
龍人たちの好奇の目線をものともせず、きっぱりと言ってのけるジョン。もしかしたら彼らの質問の意図に気づいていないのかもしれない。だが “そういう流れ” になるのは私としても面倒だったので結果的に助けられる形となってしまった。
それと私がいた場所「神緑の大地」なんて壮大な名前だったのか。龍人といった幻想上の生物の住まう異世界の名に相応しい名前のはずなのに、ここの世界観には合わない妙なネーミングセンス。なら鳥取砂丘みたいな方向性で東都草原とかにしてくれた方がしっくり来る。
「じゃあ、この子は本当に事件とはなんの関係もないのか……」
最初に私の手を掴んでいた、ジョンの次に大柄な龍人が顔を青くする。
「も、申し訳ねぇ!」
彼は私の元へ駆け寄ると早急に頭を下げてきた。一時はどうなることかと思ったが、どうやら私への疑いは完全に晴れたらしい。解決までとても時間がかかった気がするがこれで一件落着だ。
「おめぇらも頭下げろ!」
彼を筆頭に、ジョンを除く皆が順々に謝罪を向けた。
「気にしないで。私もひどい事いっぱい言っちゃったから、お互い様だよ」
私は手を振り問題ない事を伝える。自分のした事も考えると、これ以上謝られるのは逆に悪い。それに、こんな言い方は失礼かもしれないが、私は彼らよりもジョンの方が気になって仕方がなかった。
「ねぇ、ジョン……」
「じゃあ行くかヒカリ。遅くなっちまったが、町長に会いにいくぞ」
龍人たちはもう私を囲んではいない。ジョンは少し強引に私の手を引くと路地裏を後にした。
手を繋いだまま、私たちは町を歩いた。
路地裏を離れてからここまで言葉はなく、生活音もない静かな朝の中、私たちは風のメロディに耳を任せながらゆったりと道をなぞる。時々、ジョンの表情を伺うが、やはり彼はどこか悲しげな雰囲気を漂わせていた。なので声をかけづらかったのが会話のない理由だ。
昨日もそうだったが、天気が良い。悠々と登る太陽が空のキャンバスを青々しく照らし、厚みの違う様々な雲が芸術点を重ねる。太陽が発する光は赤、橙、黄と色々でその着色料を眺めているだけで、心が綺麗になっていく気がした。
まあそれは、ただそんな気がするだけだ。気休めにもならない。
無言の時間が続き、気がつけば私の中には早く目的地について欲しいという願いが現れ始めた。楽しかった彼といる時間に苦を感じ始めている事に気付き心が痛くなる。
全部、私のせいなのに。
「……ずっと、聞きたかったんだ」
ジョンが、少し遠慮がちに声を出す。不意を突かれたので私はすぐに答えられなかった。
「……な、何を?」
「俺の見た目が、そんなにトカゲみたいで気持ち悪かったかって……。そう思われてたなんてショックだったから、怖くて中々聞けなかったんだ」
「ち、違う!」
目の前の龍人は、わかりやすく肩を落とし弱々しく私の手を握る。その手を強く掴んで、私は彼の言葉を否定した。
だがそれ以上の言葉が出てこない。彼らへと向けた見た目を罵倒する言葉、あれらは私の八つ当たりで本心ではない。だから誤解であることを説明しなければならない。
しかし、なんて言ったらいいのかわからなかった。誤解だって伝えるための手段がわからない。彼を納得させる言葉が見つからない。
「何がなんだ」
違う、違うだろ私。ジョンを納得させる言葉が見つからないんじゃない。彼はきっとどんなに拙い言葉でも真っ直ぐ私の話を聞いてくれる。そんな誠実な人だってことは、短い付き合いながらよくわかっているつもりだろう。だからそうじゃない。
私は、私は心にもない事を平気で言う自分が、彼にどう映るのかを気にしているんだ。ジョンに嫌われたくなくて、嫌な人だと思われたくなくて、私は私のした事の真実を口にできない。
「私……」
「…………そうか」
ジョンの表情が再び沈む。沈殿した彼の感情をすくい上げる術が見つからない。私の中にしまわれた言葉たち、彼の中に閉じ込められた悲しみの記憶。
行き場を失った後悔が私の意思とは関係なく目に集中する。しかし私は意地でも涙は流さなかった。
馬車を引く人がちらほら見える大通りに出る。現在が何時なのかはわからないが、そろそろ人が活発になる時間なのかもしれない。私は辺りを警戒し、少し深めにフードを被った。
「ほら、着いたぞ」
大通りに出てすぐ右側に五階建てくらいの大きな建物が見える。町長の家か町役所かは一見にはわからないが、時間的に町役所ではない気がする。
「ここは町役所兼、町長の家だ」
「兼だったか」
私の手は握ったまま、彼は役所の扉を勢いよく開いた。外壁は塗装されていて気づかなかったが、立派な木造建築だ。五階建てなのは、建築基準法的に大丈夫なのか心配だが、この世界は時々日本と違うので今は考えないでおいた方が良さそうである。
「おぉ久しぶりじゃないか、ジョン」
扉を開くと、すぐエントランスのようなひらけた場所になっており、奥に受付や待合室などが見える。中へ入ってしばらく進むと、階段から二階の廊下までがよく見える場所へと出た。そこから小太りの龍人が声をかけてくる。今までの獣人は皆、緑色の鱗をしていたが、彼は黒い鱗をギラギラと光らせていた。
「ケイトさん、お久しぶりです。ちょっと今日は頼み事があって押しかけさせていただきました」
遜った、礼儀正しい言葉遣いでケイトと呼ぶ男へと近づく。恐らく、彼がこの町の町長なのだろう。私も無言で一礼入れておく。
「いいよ、君にはたくさん世話になってるからね。二億までだったら貸してあげるよ」
「そんなぁ、お金の話じゃないですよ!」
そう言ってお互い笑い合う。かなり良好な関係のようだ。ジョンと仲の良い人なら私も安心して身を任せられそうである。
「実はこの子、ノブキヒカリって言うんですけど、事情があって住む場所がないんです。町長の力でなんとかできないですかね?」
「成る程ヒカリさんね。僕はケイト・リィシエル。君の見た目と今の会話で状況は大体把握したよ。随分大変だったみたいだね。詳しい話は後で聞くから、まずはゆっくり休みなさい」
「はい、ありがとうございます」
柔らかな笑みを浮かべるケイトに礼し、私はジョンに向き直る。
「ジョン、その……。ここまでありがとう」
「ああ、元気でな……」
微妙な間を残し、ジョンは出口の方へと歩いていく。
振り返らない彼の背中を眺めながら、私は葛藤していた。今が謝罪する最後のチャンスである。ここを逃せば多分この先、一生機会は訪れないだろう。
だがそんな簡単に謝れれば最初からやっている。そうこうしている間にも、遂に彼は役所から姿を消してしまう。さっきまで聞こえていた足音が完全に消えたのを確認して、私はようやくその扉から目を離した。
「ケイトさん、ご迷惑をおかけするとは思いますが、これからよろしくお願いします」
ケイトは優しい笑顔を返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます