03.ある事件の容疑者

 長らく走ってきた草原地帯は今日でお別れとなった。代わりに現れたのは田んぼや畑の広がる道、私はこの世界に来て初めて見る新たな景色に心を躍らせていた。


 明確な境界線がなかったのでわかりづらいが、ここはもう町の一角なのだろう。田畑は綺麗に整備されていて、そこには未だ実りには届かない青々しい植物が並んでいる。ここから普通に人参やらお米やらができるのか、はたまた私の知らない何かが生まれるのか。そういえばここに来てまだ食事を一度もしていなかった。もし地球とは違う食物があったとしても見た目がグロテスクではないことを願おう。


「そろそろ着くから、一応これ羽織っておけ」


 景色を見回している私に、ジョンは黄色いパーカーを放ってきた。それは彼が今の今まで着ていたもので、その証拠にまだ少し暖かい。日本語を喋ったり、服を着たり、見た目以外は本当に人間そっくりだ。もしかして知能を得た動物の進化する方向は、皆同じなのだろうか。


「私、別に寒くないけど」


 私が喋っている中、盛大なくしゃみをするジョン。寒いのなら無理しなければいいのに。


「俺は自分のことを、世間知らずだと思ったことはねぇ。でもお前みたいな見た目の人間がいるなんて聞いたこともない。少なくともあの町には鱗無しの人間なんて存在しないはずだ。だから一応、あんまり肌を出さないような格好をした方が良いんじゃねぇかと思ってな。みんなビックリするかもしんねぇし」


 再び、景色へと視線を移すと、数百メートル先にはもう民家も見えている。彼の言う通りこの馬車はもうすぐ動きを停止させるのだろう。


 風が頬や髪を撫でて通り抜けるのが鬱陶しい。それでも私の感情など知らない馬は、高らかな音を立てながら目的地へと急ぐ。隣に座る長身の龍人も呑気な顔であくびをしている。


 これからどうするべきだろうか。仮に町に受け入れてもらえたとしても、そこから私はどう生きれば良いんだ。


 ここは天国ではなかったが、地球でもなかった。まして龍人が当然のように存在する世界なんて噂にも聞いたことのない全くの未知。正直、ここから地球への帰り道を探すのは現実的な話とは言えない。地球では、宇宙へ行く事ですら容易ではなかった。世界と世界を繋ぐ境界線を超えるのがどれほど大変なことかは馬鹿な私にだって理解できている。


 それでも、可能性がある限り今を捨てるわけにはいかない。私は手元のパーカーを広げそれを制服の上からすっぽりとはめた。大男のパーカーは裾が膝まで被るほど長く、私は初めて彼が胴長だということに気づいた。


「でも、これ脱いでジョンは寒くないの?」


 ジョンは頬を掻き、相変わらずの困った笑顔を見せる。


「それ着てから言うか?」


 そんな気の抜けるような言葉に、不意に目尻が熱くなる。その事を気づかれたくなかった私は彼を真似して困ったような笑顔を返した。











 馬車が指定の停車場へと着くと、私たちはジョンの荷物を持って身を地へ下ろした。私はてっきり彼の私物だと思っていたのだが、馬は町からの借り物だったようだ。私たちが離れていっても、馬はこちらに見向きもせず飼育員から与えられた餌に夢中になっている。あとやっぱり飼育員は龍人だった。


「俺んちより町長んとこの方が近いから、先に挨拶からすませよう」


 ジョンが田舎、と呼んだこの町は私の想像よりも遥かに広い。最初の方に見えた田地帯は、むしろあの一帯くらいにしかなくそこ以外は住宅地のように民家が並んでいた。私の住んでいた場所より家同士の間隔は広いが、その分全体の土地も広いので人口は多そうである。


「なんだか思ってるより発展しててビックリしてるんだけど。もっとなんにもない場所かと思ってたのに」


 道も、アスファルトとまでは言わずとも、綺麗に整備されているし一定間隔にコンビニもある。そもそもコンビニという概念があるのが驚きだし、それなりの距離に複数配置されているのも、この町の発展を感じるには十分すぎるほどだった。


 本当にここは地球ではないのだろうか。


「そうか? 普通だろ」


「普通だからビックリしてるの」


 キョトン、としているジョンをスルーして私は日本とも大差ない馴染みのある街並みを観察する。ここまで変化がないと逆に違う部分を探したくなってきた。


 私は隣にそびえ立つ民家へと視線を移した。とは言っても一つ一つ敷地が広いので私の目前にあるのは門だ。建物自体は数十メートル離れているが、遠目に見ても中々立派な木造建築だった。


「そういえば、私の住んでた所よりも建物が全体的に大きい気がする」


「確かにヒカリめちゃめちゃ小さいもんなぁ。鱗無しはみんな小さいのか?」


「ジョンたちに比べたらね。百七十センチが平均だっけ。私は百五十八センチ」


 センチという単位が理解できていないのか、目を点にしたまま止まってしまう。確かにセンチなんて他国ですら使ってるところを見たことがない。そんなマイナー単位が他の世界で使われているわけがないのだ。ようやく見つけた差異点に何故か安心が溢れる。


「思い出した! 悪い、ちょっとお金下ろしたいから銀行に寄らせてくれ」


「ずっと止まってると思ったら、それ思い出してただけね。センチがわかんなくて止まってるのかと思った」


「さすがにそれくらいわかるわ。馬鹿にしてんのか」


 わかってしまうのだから、この世界は本当にわからない。


 馬車に乗っていた時の速度感に慣れると、歩いている時間がやたらのんびりと感じる。実際のんびり歩いているのだが、街並みが日本と似ている事もあり、視界の無動さが少し退屈になってきた。だが相変わらず景色はいい。やはり空気が綺麗なのか色が鮮やかに写っている気がする。


 街路樹の立ち並ぶ大きな道を広々と歩き、少し行ったところで右に曲がる。すると目の前に、レンガのような素材で舗装された下り坂があらわれた。赤や茶色など、微妙に違う色で組み合わされたレンガたちはお互い喧嘩することもなく綺麗に馴染んでいる。周りに立つ建物たちも、道合わせたようなレンガ調の家が多く、その統一感が華やかさを際立たせていた。


 そんな芸術的な道を下っていき坂の終着点に到達すると、ジョンは突き当りの建物の前で足を止める。坂を下りきった時点で、道は土へと戻ってしまった。


「じゃあちょっとお金下ろしてくるから、ここで待っといてくれ」


 そう言うとジョンは銀行らしき建物の中へと入っていってしまった。らしき、というのもその建物の外観には銀行らしさが一切なかったのだ。まず建物には銀行と表記されておらず、看板らしきものも見当たらない。おまけに立ち並ぶ民家とほとんど変わらない見た目をしている。


 もしかしたら、私の想像している銀行とは違うものであると考えた方が良いのかもしれない。あの見た目の建物にATMが置いてある様は流石に想像できない。


「おいお前、ちょっと良いか?」


 銀行の前でふらふらしていると、龍人の集団が私の元へと寄ってきた。まだ朝も早く、町長の家に着くまでは人とほとんど出会わないという話だったが、例外だろうか。皆、ジョンよりは小柄だがそれでも私よりは幾分も大きく、その威圧感から少しだけ身構えてしまう。


「な、何か御用でしょうか」


 返事もせず、龍人の一人が私の元へと近づき顔をじっと覗いてくる。元より深く被っているフードを更に深くするが、これだけ覗かれては私が龍人でないことくらいすぐにバレてしまうだろう。積極的に隠すべきか否か迷ったが、私はそれ以上余計なことはしなかった。


「やっぱりこいつ鱗無しだぜ」


 龍人は私の手首を掴み、持ち上げると呼びかけるように集団の方へと向く。突然の浮遊感に私は暴れることも忘れて目を丸くしていた。


 だがそんな悠長な事も言っていられないらしい。龍人たちは私の手首を掴んだまま建物同士の隙間へと入り込んでしまう。そこは人二人分くらいの横幅の路地裏のようになっていて、隠れるのにはうってつけの場所になっていた。そんな中に私と彼らが同時に存在してしまっている。


「ようやく見つけたぜ。よくもバルゴをやってくれたなぁ」


 その上、何やらご立腹のご様子である。これは非常にまずい。私は今、身動きが取れない上に完全に袋の鼠で、おまけに地の利が皆無だ。それに龍人は皆体格が良い。逃走の方程式など今の私には無理難題もいいところである。


 銀行へ入ったジョンが、いつ用を済ませて戻ってきてくれるか。またいなくなった私がすぐ近くの路地裏にいることにどれほどで気づいてくれるのか。それまで私がどれだけ時間を稼げるか。今重要なのはこれだ。


「ねぇ、待ってよ」


 肺に空気を含んで少しだけ吐く。急かすように、けれども抜かりなく、私の思考は効率を最優先に解へと駆け出した。

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