02.鱗無しの私の話

「やめなよ、いじめなんて」


 何故、男子というのはいくつになってもお子様なのだろうか、とつくづく思う。私たちはもう小学校も高学年になるというのに、彼らだけはちっとも大人の鱗片すら見せることはないからだ。


「なんだよ、ブスなんか構わなくて良いじゃねぇかよ。お前も一緒にやった方が楽しいぜ」


 ブス、と呼ばれた小柄な少女は泣きながら私の服の裾を弱々しく握る。確かに彼女は顔が整っているとは言い難いが、それではいじめる理由には到底及ばない。むしろそんな理由でいじめが行われたという事実は私を怒らせるには十分だった。


「ふざけんな。お前ら全員冬子に謝れ!」


「うわ、鬼ババが怒ったぞ。逃げろ!」


 弱いものを狙って大勢で馬鹿にして、触れられたくない話や、欠点を公衆の面前で平然と拡散させる。私は本当にいじめというものが嫌いだった。


「冬子、大丈夫?」


「うん、ありがとう……ありがとう……」


 顔をぐしゃぐしゃにして泣きながら、冬子は私の胸に飛び込んでくる。彼女が感謝の言葉を耳にするたびに私の心は暖かくなり、穏やかな気持ちになった。


「またあいつらが来たら私を呼んでよ。どこにいても駆けつけるからさ」


 私が笑うと冬子も笑った。今でもふとこの頃の記憶が蘇るたびに思う。あの頃の私は間違いなく正しい人間であったな、と。











 2話…鱗無しの私の話











 月明かりに見守られながら木々の薄くなってきた草原を駆け抜ける一つの馬車。その中に二つの似て非なる生物が存在していた。一人は龍と人を混ぜたような見た目の二メートルをも越える大男。全身を覆う緑色の鱗と、頭についた大きな角が特徴的な厳つい生物。対して、もう一人は人そのものだ。黒い髪を頭に生やし、鱗も無く、華奢でもう一人に比べれば幾分も小柄な体格をしている。まあ、つまり私だ。


「寒くねぇか?」


 巨漢の龍人は前方から目を離さず、表情に困惑と不安をのぞかせながら恐る恐る口を開く。その様子もあり、私の中にある恐怖心は大分和らいでいるのだが、見慣れない鱗まみれで大きな体を前に不安がないと言えば嘘になる。


「大丈夫です。あの、乗せていただき、ありがとうございます」


「良いさ、あのまま放置するのも寝覚めが悪ぃってもんだろ」


 おずおずと口を開く私の声色を伺いながら、優しい声で返答する龍人。ここがどこなのか、彼が誰なのかは今のところ一切わからないが、少なくとも彼の倫理観が私の持っているものとあまり差異がないことがわかり、一先ずは安心する。


 とりあえず、彼に会うことでここが地球では無いことは理解した。ならばここはどこで、何故私はこんなところに一人飛ばされてしまったのだろうか。トリガーとして考えられるのは、やはり芽依に殺されたかけた事。逆にそれ以外にきっかけとなるような出来事はなかった気がする。


「そういえば、まだ名乗ってなかったな。俺はジョン・ディーグ。お前は?」


「私は野吹流星(ノブキヒカリ)。街までの間だけどよろしくお願いします、ディーグさん」


「ジョンで良いよヒカリ。敬語もいらん」


 見上げると雲ひとつない空に鮮やかな星空が映し出されている。それはまるでプラネタリウムのような幻想的な世界でもあり、同時に宇宙に吸い込まれてしまいそうな怖さもあった。


 馬車は何も言わずに真っ直ぐ決まった道を走り続ける。私たちはその後、特に言葉を交わすこともなくただ揺れに身を任せて広大な星空を見上げていた。


 結局そのまま一睡もできずに夜は明け、私たちはその後も変わらず太陽が照らす緑の中を駆けていく。だが昨日までとは違い、私の前方には家々の集う村のようなものが見え始めていた。草原の遥か向こう側に見えるそれが何キロ先にあるものなのかはわからないが、しかしそれでも近づいていることは確かだ。


 私は眠気を感じながらも、着実に近づいている最初のゴールに感動を覚えていた。


 だがそうなると、次の問題が見えてくる。まず私は今お金を全く持っていない。学校のトイレの中にいたかと思ったらいつのまにかここへ来ていたのだから当然の話なのだが、当然、と言えばどうにかなる状況でもないのだ。仮に持っていたとしても私のお金がここで通用するかは疑問だが。


「見ろヒカリ、見えてきたぞ」


 昨日のよそよそしい会話から一変、馴れ馴れしくなってきたジョンは見えてきた村を嬉々として指差した。切り替えの早さに感心しつつも、その方が私としても接しやすいので特に咎めることもせず大人しく前へと視線を向ける。


「こんな辺鄙な場所にあるくらいだし察しているとは思うが田舎町だ。だが美味いもんはいっぱいあるぞ!」


「田舎……」


 良かった。あんまり人の多い町に出るのは得策ではないと思っていたのだ。小さな町なら受け入れてもらえるかもしれないし、偏見だが、田舎は優しい人が多いイメージがあるから安心できる。


「い、田舎は嫌いか?」


 私の無言をマイナスに受け取ったのか、ジョンが不安げな顔で覗き込んでくる。


「あ、違うの。むしろ逆。田舎で良かったって」


「そうか! あの町には良い人も多いからな。ヒカリはきっと気にいるぞ」


 私が気にいるかどうかよりも、まずはこの世界の人に私を気に入ってもらわなければ。


 一晩経っても私は元の世界へ戻ることはできなかった。ならばやはりこの世界で生きていくための方法を探すほかない。何が原因でこの世界へ来たのか、元の世界にはどうやって戻れるのか。それを探るのは後でも出来る。今は目の前の事実に立ち向かわなければ。


「あの町に着いたら私はまずどうすれば良い?」


「うーん……」


 ジョンは手綱を持っている手を顎へと持っていき、眉を八の字にする。自分より一回り二回りも大きな男が困っている姿を見て、なんだかおかしくなるが、まだ笑顔は見せたくなかった。


「とりあえず町長の家に行ってみると良い。事情を説明すればもしかしたら色々面倒を見てくれるかもしれない」


 町長という概念はあるんだ。まさかこの世界は地球とほとんど変わらない価値観で回っているのだろうか。見た目の方に意識がいって忘れていたが、思えば彼はずっと日本語を使っているし、馬を使った乗り物を移動手段として用いている。


 動物に対する扱いのそれも私たちの世界と何ら変わりない。だからこそ彼の見た目はものすごく浮いているように思える。


「町長か……」


「安心しろ、俺が一緒に行ってやるから」


「いや、そこまでお世話になるわけにはいかないよ。町に着いたらあとは私一人で大丈夫」


 正直、見知らぬ土地を一人で動くのは凄く不安だが昨日今日出会ったばかりの龍人に図々しくお願いできるほど私は図太い性格はしていなかった。


 それに田舎町と言うのならそこまで大きくもないだろう。人のいる場所へ着ければ後は何とかなるはずだ。きっと、多分。


「いやいや強がんなくていいって。女の子を一人で放ってさっさと帰れるわけないだろ。小さな町とはいえチンピラみたいなのもいるし、ちゃんとエスコートしてやっから」


 私は最初、結構強く拒否していたつもりだったが、それでも彼は一切折れる気配を見せず強気に押してきた。結局、ジョンに言いくるめられた私は彼に同行をお願いする形で町を散策することになった。町長への挨拶と、ついでに町の中を色々紹介してくれるようだ。


 馬はその間も速度を緩めることなく仕事をこなしていく。町までの距離は残りわずかだ。

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