第68話 魔女の屋敷

 レイチェルらが住んでいる屋敷を超えた先に広がる鬱蒼とした森に何となく見上げる。

 フローラル村とガルディアン街の間の森とは違う、来る者を阻むようなこの森の中に魔女が住んでいる屋敷があるのか。

 さっきまで吹いていなかった風が突然吹き、木々の葉擦れがより不気味さが際立ち、すくみそうになる己を叱咤し、一歩踏み出す。

 そして、紙に書かれている文を読み上げる。


「私の名は、シロアン。本の文字を喰とし、永き刻を持て余す魔女と字喰いを共に」


 一語一句間違えてはならないという呪文を噛まずに唱えた瞬間。

 木々が意思を持ったかのように左右に交互に動いた。

 その際にそこそこ大きく地が揺れ、よろめきそうになりながらも何とか立っていたシロアンの目に映ったのは。

 つい先程木々で塞がっていたはずの道が開けており、その奥に噂の屋敷が木々に囲まれ、日の光に浴び、主張していた。

 その存在に導かれるように、一歩一歩足を進めていく。

 徐々に近づいていく屋敷の外観は、蔦が絡み、苔むしていると、到底人が住んでいるような思えない建物に、果たして噂の魔女が住み着き、ここにクロサキが訪れているのだろうか。

 玄関らしい扉の前に立ったシロアンは屋敷を見上げ、手をグッと握り、決心が着いたかのように頷くと、ドアノブを引く。

 長年手入れされてないらしく、なかなか開けられないのを、両手で強く引っ張ることでどうにか自分が入られる程の隙間は開けられた。

 それだけで息が上がり、疲れが滲み出ていたが、己を奮い立たせ、中へと滑り込む。

 途端、玄関が一人でに閉まる。

 あんなにも苦労したのにいとも簡単に、というよりも勝手に閉まった驚きが大きく、「きゃあっ!」と悲鳴を上げてしまった。

 思いのほか大きかったらしく、上げた声が屋敷内に反響していた。

 慌てて口を両手で塞いでいたシロアンだったが、目の前に広がった光景に、手を降ろし「わぁ·····」と感嘆の声を漏らしていた。

 建物全体が円形になっているらしく、それに沿って数え切れない程の本棚が整然と並んでいた。

 二階が存在しているらしいが、中心部には無く、周りに沿って作られている二階部分は下からでも見渡せる形になっている。

 それよりも目を奪われるのは、空洞となっている中心部の天井は透明なドーム状となっていて、外の穏やかに揺れている木々の合間に見える青空が優しくこの中を照らして、時間を忘れて見てしまいそうになる。

「·····シロ、アン」

「ひゃい!??」

 背後から足音も無く急に呼ばれたことにより、飛び上がらんばかりに驚いたシロアンは元々大きい瞳をこれでもかと開いたまま、振り返る。

「クロサキさんっ!」

 やっぱり来ていたのかと眉を潜めるのを堪え、捜していた人物に出会えて良かったと喜ぶ。

 と、いつまでも喜んでいる場合じゃない。

「昨日、クロサキさんから渡された本の中に書いてあったのですが、ここに住んでいる魔女さんは何でも人間を本に閉じ込めて、コレクションしてしまうと。読んだクロサキさんなら、ここに来てはならないと分かってますよね?」

 一瞬合っていた顔を今は俯きがちになっていたが、小さく頷いていた。

「だったら、今すぐ帰りましょう!」

 腕辺りを掴んで引っ張ろうとした時、クロサキが本数冊を抱えていたことに今更ながらに気づいた。

 何故、本を、と首を傾げていると、「··········オレ達は、人間じゃない·····」と呟いた。

 そう言われて、遅れて気づいた。

 クロサキの身の心配をしすぎて根本的なことを忘れていた。

 そうでしたね、と言おうとした時。

「気まぐれに書いたあの本を辿ってくる人間が来るとは思わなかったわ。永く生きていていても、意外と面白いことがあるのね」

「·····!」

 突然の第三者の声に驚き、背後を振り返る。

 シロアンの背丈よりも低い本棚が沢山並べられたその奥の方の椅子に座っていたらしい人物が椅子ごと振り返る。

 見た目はイオと変わらない年齢だろうか、まだ幼さが残る少女が椅子から降りてこちらに歩み寄る。

「ここに来る前呪文を唱えたじゃない?本を出す前は誰かに読書の邪魔されたくなくてここの存在を隠していたのだけど、そろそろ持っている本が読み終えるし、持て余しそうだから、誰かに本の貸し出しをしようと思って。けど、普通に見つけても面白くないし、"永き刻を生きる魔女"としてああいう形にしたのよね」

 そばに来て、お分かり?というように少しばかり首を傾げた少女にどうにか頷いて答えることに精一杯だった。

 急な情報過多になかなかに頭が追いつかず、少女が言っていた言葉をゆっくりと自分の頭の中で噛み砕いて、整理していった。

「·····人間を本に閉じ込めてコレクションする、というのは嘘でしょうか」

「嘘よ、嘘。魔女っぽいことを書いてみたかっただけ」

 悪戯っ子のような笑みを見て、少々ながらも安堵したのも束の間、「·····やってはみたいけど」という呟きが聞こえたような気がした。

「まぁ、そんなことはさておき。ここに来たのは貴方達が初めてだわ。ようこそ、我が図書館へ。ここの主・リリアンが心から歓迎するわ」

 両手を広げてそう告げるリリアンに倣って、「シロアンです。よろしくお願いしますね」と頭を下げる。

「··········」

 シロアンの影に隠れるようにいるクロサキは、挨拶すらせずさっきよりも俯かせた。

 それに気づいたシロアンは苦笑しつつも、「こちらはクロサキさんです」と代わりに自己紹介する。

 そんな二人を何故かじっと見つめるリリアンに、「どうしました?」と訊いた。

 すると、リリアンは「ふぅん?」と口元を吊り上げた。

「貴方達、何だか私とは違った雰囲気を纏っているわね。クロサキさんだっけ?貴方なんて、人間の雰囲気もあるのに、なんというのかしら、あまり好ましくない雰囲気も持ち合わせているわね」

「··········!」

 息を呑んだのはどちらだったのか。どちらだとしても、リリアンから何とも思ってない言葉は、二人にとっては衝撃な言葉に違いなかった。

 これは少なからず、人間だとは思われていない。

 そうだ。あの時女神も似たようなことを言っていたではないか。

 同じ天界にいたシロアンでは気づかなかった、その人の纏う雰囲気。魔女というのもいとも簡単にバレてしまうのだろうか。

 冷や汗が背中に伝っているような感覚を覚えながら何も言えずにいるシロアンは、リリアンのことを見ていた。

 しばらく両者とも黙っていたが、その沈黙を破ったのはリリアンの方だった。

「·····まあ、私もどのくらい前かは忘れたけど、人間じゃなくなったわけだし、貴方達が人間だろうか、無かろうか、関係ない事だけど」

 興味が失せたかのように淡々と告げる彼女に拍子抜けしたシロアンは、目をぱちぱちと瞬いた。

 これは素直に喜んでいいのか、安堵していいのか。

 何とも言えない表情で見ていると、「好きなだけ見ていってちょうだい」と言って踵を返した。

 その後ろ姿を呆然と見ている間、後ろにいたクロサキもいつの間にかどこかに行っていたのであった。


「また来てくれるとありがたいわ。それと、本の宣伝もね」と言うリリアンと別れた後、クロサキと並んで帰路へとゆっくりと歩む。

 あの図書館には随分といたらしい、夕日が沈みかけていた。

 さっきよりも三冊増えた本を三冊ずつそれぞれ持って、視線をその本へと落とす。

「あそこが図書館という本が貸し出し出来る場所だとは知りませんでした。クロサキさんはそのことに知っていて行ったのですか?」

「·····"本を、求める者、訪れよ"」

「·····はい?」

「あの本の·····最後に·····書いて、あった·····」

「それで分かったのですか?」

 少しの間の後、頷いた。

 驚いた。その一節だけで理解し、自分の足で訪れてしまうだなんて。

 そう。普段のクロサキならありえないと言っても過言ではない行動力だ。いくら本好きでも、外には出たくない彼だ。一体どういう風の吹き回しだろう。

「クロサキさんは、どうしてそこに行こうと思ったのですか」

 訊く方が早いと思い、率直に訊いてみた。

 しばらく。足音を聞きながら待っていると、口を開いた。

「·····迷惑、掛けてるから·····。結局、食べることに·····なった、から·····。少しでも、負担·····掛けないように、しないと·····──」

「もう、いいです。分かりました。無理して話してしまいましたね。·····ごめんなさい」

 遮って、いつの間にか俯いたまま、謝罪をする。

 こんなことを聞きたいわけじゃなかった。少し考えれば分かったことなのに、訊いてしまった。

 前に自分で言ったじゃないか。自分達は食べる必要は本当は無いって。でも、さっきの魔女が言っていたように、人間の雰囲気をも纏わせているクロサキは食べざるを得なくて。

 結果的に食事に対しても、本に対してもシロアンに負担を、迷惑を掛けているから、少しでも掛けないようにするために図書館へと行ったのだろう。

「·····私、前にも言ったじゃないですか。食事を作ることも本を買いに行くことも楽しみだって。全然、迷惑だとか、負担だとか思ってませんよ。それよりも、クロサキさんの身体が心配です。お家から図書館までは遠いでしょう?その間にお熱を出して、倒れてしまうかと思うと·····そっちの方が嫌です」

 気づけば涙が溢れ、声が震えていたことにより、持っていた本をぎゅっと強く持ち直すことで、どうにか留めていた。

「·····それで、いいのか····」

「はい、いいのですよ。とはいえ、クロサキさんだって外にたまには行きたいですよね。行ってもよろしいですが、あまり無理しないでくださいね」

 拭いている間も無くて涙目で見上げるが、幸いにも俯かせたままで見ていないようなクロサキは、遅れて頷いた。

 とりあえず素直に頷いてくれたことに少し嬉しくなり微笑んでいると、空いていた片手の小指だけを立てて、スッと目の前に差し出された。

 その唐突の行動に、「どうしたのですか?」と首を傾げていると、ゆっくりと口を開いた。

「·····約束·····」

「約束?」

 ますます分からないと言ったふうにオウム返しで訊ねてみるが、それ以上は何も言ってこなかった。

 疑問符をさっきよりも頭に浮かべてその小指を眺めていた。

 分からないながらも同じようにすればいいのかという考えに至り、本を抱えながらも小指をどうにか差し出すと、クロサキはおずおずと自身の小指と絡めたかと思うと、「·····これで、約束·····した。守る·····」と言って解き、そそくさと歩き出す。

 シロアンはと言うと、今のやり取りがいまいち分からず、手を上げたままその場に立ち止まってしまった。

 約束を、守る?

 それはつまり、さっき言った言葉を忘れず、守るための約束事ということなのか。

 またさらに疑問符を浮かべていたが、今はと我に返って、少しばかり距離が遠くなってしまったクロサキの後を追いかけた。

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