第66話 外へ行く……?
朝日が昇っていた。
けれども、その眩しい光に目を細める余裕は無かった。
今はただ膝上に頭を預けているクロサキに歌を聴かせることに専念した。
あの後どのぐらいの時間が経ったのが分からないぐらいの後、泣き疲れて寝ていたクロサキにしばらくぼうっと見ていたシロアンは突然意識を取り戻し、今度こそはと歌を聴かせ続けていた。
やはり効果があるらしく、歌っている間は静かに寝ていた。
そんなクロサキの髪を撫でていると、薄らと目を開けていることに気づく。
「クロサキさん」
「ニャア」
手を止めて声を掛けると同時にそばにいた丸ニャーも一声鳴く。
それでも気づいていないのか、クロサキはゆっくりと何度か瞬きをするとどことなく目が覚めてきたのか、目の前にいる丸ニャーにそっと頭を撫で始めた。
一瞬驚いた顔を見せる丸ニャーだったが、クロサキに撫でられるのが嬉しかったらしく、両手を上げながら左右に揺れていた。
唐突のクロサキの行動に多少驚きつつも、そのやり取りが微笑ましく小さく笑っていた。
やがて意識がはっきりとしてきたらしいクロサキは、のろのろと起き上がり、座り込んだかと思うと目を擦っていた。
その目の下が薄らと赤く腫れていることに気づく。
クロサキ本人は知らない様子のその腫れは、シロアンにとっては眉を潜めるものであった。
すぐさまそんな顔をしてはいけないと頭を振って、「おはようございます」と微笑みかけた。
その挨拶に「……ん」と小さく頷いていた。
「起きたことですし、朝食としましょうか。食べれますか?」
「………外に、行く」
しばらくした後、そう呟いた。
違う答えに、一瞬頭が追いつかなかった上に自分の耳を疑った。
今、何と。
「外に出かけると、そう言いました?」
クロサキは、頷いた。
あら…とそんな声が思わず出ていた。
そんなことを言われたのは初めてでは無かっただろうか。外に、いや、この部屋からさえ出ることなんて滅多に無いのに。
一体どうしたのだろう。
そんなシロアンの驚きに気にするわけでもなく、ベッド脇に置いてあるブーツを履いて、覚束無い足取りで部屋から出ようとしていた。
「あ、えと…クロサキさん?」
何と声を掛けたらいいのか分からず、しどろもどろな言い方になっていると、立ち止まったクロサキが肩越しに少しばかり顔を向けた。
「…気をつけてくださいね」
「…………ああ」
小さく返事をした後、再び危うい足取りで部屋を出て行った。
その背に向かって「ニャッニャー」と小さな手を振っている丸ニャーをどことなく見つめながらも、彼の後ろ姿をどこか不安げな顔をして見送った。
テーブルの上で小さく切ったパンをもふもふ食べている丸ニャーに視線は向けていたが、頭ではさっきのことを思い返していた。
「シロアンさーん!おっはようございます!」
「……っ!」
突然の声に自分でも驚くぐらいにビクッと大きく肩を上げた。
驚いた目をしたまま、その来た相手─イオを見ていると、イオはきょとんとした顔をしていた。
「シロアンさん…? どうしたのですか?」
「あ、えっと…ちょっとぼうっとしていたのです」
「そうなのですか? まあ、少し暑くなってきましたし、寝不足気味なのかもしれませんね。あまり無理をしないでくださいね」
「はい。ありがとうございます」
寝ることを知らないシロアンはとりあえず流れでお礼をすると、「私もあまり寝れなくて…」と大きな欠伸をしていた。
「…っと欠伸している場合じゃない。ほら、丸ニャー!帰るよ」
「ニャー!」
「…えっ?『クロサキさんのことが心配だから帰れない』? それはどういう─」
と言いながら、チラリとシロアンの方を見ていた。
丸ニャーは言ってはいけなかったかも、と思っているのか、パンを口元に近づけたまま固まっていた。
一人と一匹の視線から逃れるかのようにさ迷わせていたが、一番知らないイオが知りたいのだろう、どこか言いたげな顔をしていた。
その顔を見て特に隠す必要はないと思い、「実は……」と語り出す。
話し終えた後、「そう、だったのですね…そりゃあ、シロアンさんはもちろん、丸ニャーだって心配するね」と同情するかのように眉を下げていた。
「クロサキさんって、たしか牧場かガルディアン街ぐらいしか行ってませんでしたよね?」
「そうだったと思います。あの部屋からよっぽどのことがない限り出ないので」
「そのよっぽどが"今"なのですね」
独り言にも似た声音でシロアンに問うと頷いた。
「んー……なかなかに難しいですね。ここはやはり、本人に直接訊いてみるのが一番いいと思いますよ。今日はお仕事は休みなんですか?」
「はい、そうです」
「じゃあ、帰ってくるまで待ってましょうか。私もお邪魔かもしれませんが、暇を潰すいい話し相手にはなりますしね」
笑った顔をしてみせた。
その顔は今のシロアンの余裕の無い心にはホッさせられる表情で自然と微笑んだ顔で返していた。
「ありがとうございます、イオさん」
その流れで二人はほぼ同時に椅子に座ると、他愛のない話をし始めた。
すっかりお喋りに夢中になっていて、どのぐらい時間が経ったのか気づかずにいた。
それを否が応でも気づかされたのは、玄関が開く音がした時だ。
二人はハッとしてそちらに振り返ると、俯きがちのクロサキが入ってきていたところで、その背後を見ると空がオレンジ色に染まっているのが見えた。
「クロサキさん、おかえりなさい」
「…………ただ、いま」
「この時間までどこで何をしていたのですか?朝も─」
外に行くとは思わなくて、と言う前にずいっと目の前に差し出された。
それを思わず受け取る。
それはいつも買っている本の一冊で、とんがった帽子を被ったくせっ毛の横を向いている女性が表紙に描かれている。
「え、えと、これはどういう…」
本を一緒になって覗き込むイオを視界の隅に見ながらも、正面はクロサキの姿を見ていると、それ以上は何も言うつもりは無いらしく、階段を上っていった。
そんなクロサキに声も掛けられずにいると、「あっ、これって!」と隣のイオが声を上げたことにより、そちらの方に向き直る。
「読んだことがあるので、分かりますよ!魔女と呼ばれている見た目は少女と呼んでもおかしくない女の人が、森深くに大きな館に住んでいるのですが、何せとても人嫌いな方らしいので、その本に書かれている通り、その魔女に出会ってしまうと……」
「出会ってしまうと…?」
強ばった表情で見てくるものだから、つい同じ表情で見返していると、イオはごくりと唾を飲み込んだ。
「本の中に閉じ込められて、コレクションにされてしまうんですよ」
「………!」
驚愕した拍子に手から渡された本がバサリと落ちてしまう。その瞬間開かれたページには、人間らしい人が口角をにんまりと上げた魔女の上げられた手によって、開かれたページの中へと入っていく様子の挿絵だった。
それに目を向けることも無く、口元を押さえてイオのことを見つめていた。
その話通りだとすると、この本を読んだクロサキはそれを信じ、あの足でその魔女がいる森へと行こうとしていたのか。
口を開けば、自分は迷惑を掛けている、何もかも自分のせいだと責めてばかりで、まるで生きている意味が見いだせないのなら、と。彼は。
「いるように見せかけて、いないかもしれませんし──」
「─ません」
「えっ?」
「いけません。それは、いけません!」
突然声を上げたシロアンにイオが目を丸くして言葉を詰まらせてしまった。
両手は胸の辺りにぎゅっと握り、眉を吊り上げ、怒っているように見えるという今まで見たことがないような表情をしたシロアンに「え、えぇ?シロアンさん?」と戸惑いの声を上げているが、シロアンは聞く耳を持たない様子だった。
「私がそうさせません。クロサキさんのことを止めなくては」
自分に言い聞かせるかのように言うシロアンをもはや止めることが出来ないと判断したイオは、頭の上にいた丸ニャーに「丸ニャーどうしよ……」と困り果てた声で言うと「ニャア…」と困ったような声で鳴いていた。
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