第3話 天界
「"てんかい"って、なあに?」
「このせかいよりもずっとうえにあって、たいようとそらがあかるいせかいのことだよ。てんしとよばれるしゅぞくがいるみたい」
「たいよーって、なあに?」
「あたたかくて、めもあけられないぐらいまぶしいみたいだよ。ほら、このえほんにかかれているのだよ」
「あたたかいって?」
「これのことだよ」
「あっ!ぎゅっのこと?あたたかいね」
「えへへ、そうだね、あたたかいね」
目を開けると、一面に壁が広がっていた。
しばらく壁を見つめていると、段々と頭が冴えてくるのと同時に、いつも以上に怠さを感じた。
何故。
とふと、枕元に何かが落ちているのを見つけ、拾ってみると、それはタオルであった。
いつも熱が出した時にヒュウガが額に置いておくらしいタオル。
ということは、熱を出したことになる。
いつ。
全く覚えていなかった。最後に覚えているのは…………"血の湖"を眺めていた光景。
その後に急に熱を出したということか。
また知らぬ間に。
それにしても、熱がまだあるのか、ずっと寝ていたせいか、全身が怠くて仕方ない。
今日も横になっているかと、布団をかけ直した。その時、いつもとは違う服になっていることに気づいた。
まただ。また勝手にヒュウガが着替えさせたのだろう。
余計なことを。
自分のことなど世話をせずに勝手にすればいいものを。
そのヒュウガがなかなか来ない。
そういう時は、人間界に行っていることが多い。
もちろん、クロサキは行ったことがないので、人間界はどんな世界なのかは全く想像が出来ないが、ヒュウガが勝手に話していた内容から、一応は想像することが出来た。
─人間界ってのは、オレらより遥かに寿命が短いが、多種多様の髪色や瞳の色がいるが、それで差別されねーし、争いもしねーから、平和みたいだ。それを聞いてっと、死神の世界のヤツらは、バカげたことを言ってると思わね?死にぁしねーのに、呪われるだの。アホくせーよな…………。
ふと、ヒュウガはクロサキのことを見て、口をつぐんだ。
─いや、なんでもねー。とにかく、そんな世界もあるんだ。行ってみてぇとか思わね?
何故か誤魔化すかのように、そう言って終わらした。
今さら気を使っても無意味だし、こんな体じゃ、"血の湖"まで行くのが精一杯だ。
いや、何度も倒れたことがあるから、ベッドの上で起き上がることが精一杯かもしれない。
この先も、この呪われた体と永遠に付き合わないといけない。
まさに生き地獄だ。
「……………………」
寝るのは嫌だが、寝ることしか何も無い為、目を閉じたが、全く寝れる気配が無かった。
いつもなら嫌っていうぐらいすぐに寝入るというのに。
仕方なしに部屋全体が見回せる方へ体を向けた。
部屋はベッドとその横にある、サイドチェストしか無く、暇を潰せる程は無かった。
唯一潰せそうなサイドチェスト側にある窓は、クロサキからは全く外の景色は見れなかった。
いよいよ何も無くなってしまったクロサキは、意味もなく再び壁側に体を向けていた時。
玄関の扉が開く音がした。
ヒュウガが帰って来たのだろう。
そう思っていると、部屋の扉がコンコンと叩く音がした後、開かれる。
「クロサキ、起きていたのか。どうだ、調子は。まだ熱があるか?」
と言いながら、こちらに近づいていき、額に手が置かれた。
その瞬間、クロサキは強張らせた。
無意識に布団を掴んでいた。
そんな事を知ってか知らずか、ヒュウガは、「…………まだ、熱があるみたいだな」と呟いて、額から手を離した。
その同時にクロサキは小さく息を吐き、掴んでいた手を緩めた。
「クロサキ。まだ安静してないとダメみてぇだから、寝ていろよな。そうだ。何か喉を通しておくか?水ぐらいは飲めるか?」
それでもなにも返事をしないクロサキに、少々怒りを覚えてしまった。
「オイ。何か返事をしろよっいるのかいらないのか。どうすんだ」
火照った体を少しでも冷やしたいと、返事代わりにクロサキは起き上がろうとしたが、腕に力が入らなく、大きく揺れたかと思うと、そのまま突っ伏してしまう。けれども、再び起き上がろうとするさまを見て、ヒュウガは「オイ、大丈夫か………?」と今度は心配そうな声が聞こえた。
いくらか時間が掛かりながらも、何とか起き上がることが出来たクロサキは、壁に寄りかかり、呼吸を整えていた。
あれだけで体力を使ったのだろう。額から汗が滴り落ち、どことなく疲労の顔を浮かべているように見えた。
呆然としかけていたヒュウガはふと我に返り、
「今、水を持ってくるからなっ!」
と、足早に部屋から出ていったかと思えば、手に水を入れたコップを持って、再び部屋に訪れ、クロサキにそれを差し出す。
クロサキは横目でそれを見、無言で受け取ると、ちびちびと飲み始めていた。
それを見てひとまず安心したヒュウガはベッド横の椅子に座り、勝手に話し始めていた。
「他のヤツらがどこで聞いたか知らないが、天界で歌がすげぇ上手いヤツがいるんだってさ。聞いたヤツによると、そりゃあもう聴き惚れて、いつの間にか寝入ってしまうぐらい、と言っていたな。死神は寝なくてもいいのに、そうなっちまうの、面白くねーか?…………って、」
水を半分程残したコップを持ったまま寝ているクロサキが目に映った。
よっぽど疲れたのか何なのか知らないが、知らない間に寝てしまうとは。
マジかよ、と少々驚いた声を上げながらも、持っているコップを取り上げ、サイドチェストに置き、クロサキを起こさないようにゆっくりと横に置いて、布団掛けてやる。
そうして、置いていたコップを再び持ち、部屋に去り際、ちらりとクロサキの方を見る。
「…………おやすみ」
一日が経った。
今日こそは熱が下がっているだろう。
"血の湖"でも行ってこーい!と告げようと、部屋に訪れたのだが。
「クロサキーはよー!今日こそは、大丈夫…………だ、ろ…………──は?」
ベッドにいるはずの人物が、いない。
全く持って意味が分からない。昨日は少しの熱であるのにも関わらず、起き上がることさえ大変だったというのに、今日もそんなに動けないと思っていた。
「どこに行ったんだーー!!」
家中に響き渡る程叫んだ。
───…………。
何かが聞こえる。
話している、というより、これは…………。
目をうっすらと開ける。
眩しい。感じたことがない眩しさだ。
そのまま閉じてしまいたいぐらいだ。
そんな時、ぼんやりとした視界で気になるものを見かけた。
はっきりとは見えないが、人らしき者が上から覗いているように見えた。
ヒュウガ、では無さそうだ。髪色が違う。
見たことがない髪色。
こっちが目を開けたことに気づいたようだ。声を掛けられる。
「あ。目を覚まされたようですね。歌を歌っていましたら、ここで寝ているのを見かけまして。こうして、起きるのを歌って待ってました」
聞いたことがない、高くて、聞き心地が良い声。
さっきのは、"歌"というのか。その時の声は思わず聴き惚れてしまいそうで、それに気持ちよく寝てしまいそうになるような。
「起きれますか?」
段々と意識がはっきりとしてくる。
その言葉に返事するかのように、起き上がろうとした。が、やはり、力が入らない。倒れかけたが─。
「大丈夫ですか?」
と、支えるかのように背中を触っていた。
"触れられている"
直後、体が大きく震わす。さすがに相手も気づいたのだろう、「どうしたのですか?」と、どこか心配そうな声で訊いてきた。
この相手から触れない距離に行こうと思っていても、なかなか体を動かすことが出来ず、そのままの状態でいた。
恐らく相手はそんな状態を見て、不思議そうにしていることだろう。相手も何も言えずいた。
「だーーー!!こんなところにいたのか!捜したぞ、クロサキっ!!」
よく聞き慣れたうるさい声が聞こえた。
それを横目で見ていた。
こちらに来たかと思えば、今にも苦しそうな激しい息を吐いていて、とても話せそうな雰囲気ではなかった。
「大丈夫ですか…………?」
ヒュウガはそれに答えるかのように、手を上げた。
しばらくて落ち着いてきたのか、ゆっくりと呼吸し始め、そして、大きく息を吐いた。
「…………んでよー!朝見に行ったら、ベッドにいねーから捜し回っていたら、昨日のことを思い出して、まさかと思って行ってみたらよ…………なんでどうしてここにいるんだしオマエここまで行ける体力あんのかよ」
多少のイラつきもあるのか、早口混じりに訊いてくるが、いつものようにクロサキからは何も言葉を発しない。
「はぁー………いっつもそうなのは分かりきっているが、単語でもいいから何か言ったらどうなんだと──」
ふいにクロサキの隣にいる人物を見て、はたと口を閉じた。
見つめられている蒼い瞳の色は、今の青空のようで、その色を閉じ込めたかのような、綺麗でその瞳に吸い込まれそうだった。
「どうしました?」
急に黙ってしまったヒュウガに小首を傾げている相手の発した言葉で、ヒュウガは一気に現実に引き戻された。
「い、いや、なんでもねぇ。それよりも、コイツが急に来たみてーで迷惑したな。悪かったな」
オイ、帰るぞとクロサキの腕を取って、自分の肩に回す。
と、何かを思い出したかのように再び振り返る。
「オレは、ヒュウガってんだ。オマエは?」
すると、相手はふわっと笑って、緩くカーブした金髪を揺らした。
「シロアンと言います。この辺りに咲く花と同じ名前です」
シロアンと名乗った女性が脇を見やる先をヒュウガも見てみると、そこには白い百合のような花が辺り一面に咲いており、穏やかな心地よい風に静かに揺れていた。
その初めて見る光景に目を奪われそうになっていた。
「…………と、見ている場合じゃねえ。帰るわ。邪魔したな」
「いえ。ずっとひとりでしたし、それに他にも人がいるということを初めて知りました。お話が出来て、楽しかったですよ」
シロアンは微笑みかける。
それに対しても思わず見惚れてしまいそうになりそうだったが、シロアンの言葉が引っかかる。
「そ、そうか」
首を傾げつつも、クロサキを引き連れて死神の世界へと足を向ける。
シロアンは笑みを浮かべたまま、
「さようなら」
と、二人の姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
「─はあーっ!つっかれたー!」
やっとの思いでクロサキの部屋まで行き、ベッドに寝かせるとその勢いでヒュウガは、ベッドの端に思いきり座る。その反動でベッドは揺れた。
「全く、何がどうして天界なんかに行ったんだよ。行き方なんて知らなかったはずだろう。てか、あそこまで行く体力なんて無いだろ。なんでだ」
ぶつくさ文句言いながら振り返ると、クロサキはヒュウガに背中を向ける格好で目を閉じていた。
「はぁ?もう寝てるわけ?」
盛大にため息を吐いて、膝上に肘を付いた。
「やっぱ、体力がねえじゃん」
クロサキに背を向け、窓の景色を何となく見ていると、ふいにシロアンのことを思い出す。
男女という概念は無いと聞いたが、死神の世界は見た目は男、天界は女と区別されていたとは。
それにシロアンの、特に、笑顔を見ると、落ち着かない気持ちになってくる。
「…………何なんだろうな…………」
と、急にシロアンの言葉を思い出す。
─ずっとひとりでしたし、それに他にも人がいるということを初めて知りました。
違和感のある言葉だった。
というのも、あの場所に行くまでにシロアンに似たような容姿で、背中に羽を生やした者が何人か見かけたからだ。
そんな人達がいる場所からはそんなに離れてない距離なのに、それでも、シロアンはあの場所に一歩も動かずに一人でいるということなのか。
それに、シロアンは背中に羽を生やしていない。
「どういうことなんだ…?」
ヒュウガは一人、考え込んでいた。
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