未来の王太子妃


 ごちそう食いだめしていると、水分の取り過ぎで催してきた。ここのトイレを借りるのはちょっと気が引けるが生理現象なので致し方ない。隅で待機している人にトイレの位置を聞いてそそくさと会場を後にする。


 知ってたけど特別塔は広い。トイレまで結構な距離があったぞ。トイレもキレイだし…これって貴族階級が学校に寄付してるから特別扱いなんだよね? そうじゃなきゃ納得できないぞ。

 やたら豪勢で落ち着かないお手洗いで用を済ませて手を洗っていると、がたん、と物音が聞こえた。私と同じく用済ませに来た人かな…と首を動かすと、どうやら違ったようだ。

 彼女は先ほど見かけたときよりも顔色を更に悪くさせていた。額には脂汗。近くで見ると病的なまでに痩せていて……明らかに体調が悪いのが見て取れた。


「だ、大丈夫、ですか?」


 積極的にお貴族様と関わりたくない私でも流石に声を掛けてしまう。声に反応して億劫そうに顔を上げた彼女の視線はうつろで、私のことがちゃんと見えているか自体怪しかった。


「だ、大丈夫…おねがい。事を荒げたくないの。誰も呼ばないで」


 そうしたいなら別にいいけど……

 ……んん?


 フラフラとよろけており、壁にすがらないとまともに立っていられない状態の彼女……未来の王太子妃こと、公爵令嬢のエリーゼ・ファーナム嬢を間近で直視した私は違和感を覚えた。

 なぜなら、彼女の周りに禍々しい影があるように見えたのだ。


 はじめは私の目の錯覚かなと思って目をこすったけど、やっぱりモヤが掛かっている。それに何か嫌な感じがするのだ。そのモヤに触ると棘が刺さるような悪意を感じる。

 彼女に手を貸して、化粧直し専用のパウダーコーナーに設置されているふかふかソファに彼女を誘導する。ソファに腰掛けた彼女は安心した様子でふぅ、と息を吐き出したが、状態は未だに悪そうだ。


 私は彼女を見てしばし考えた。

 先日習った黒呪術についてだ。

 人を害するような呪いは授業で習った以外にもたくさんあるので、どの呪いかはわからない。しかし、だ。彼女は明らかに悪意を持った人間にかけられた呪いに苛まれている。

 ……あんなに周りに同じ魔術師の卵がいるのに気づかないの? 取り巻き沢山従えて和気あいあいとしていたのに誰もこの禍々しい呪いに気づかなかったの?

 考えたくないけど見て見ぬ振りとか? それともお貴族様の中では日常茶飯事とか?


 あんまり出しゃばるのはよろしくないけど、ここで見捨てるのは気分が悪いな。

 私はファーナム嬢が気づかないよう、小さな声で反対呪文を唱えた。呪いを打ち消す呪文だ。この間習ったばかりである。


「…我を取り巻く光の元素たちよ、この者に取り憑く闇を取り払い、慈愛の光を与え給え」


 白呪術の扱いは簡単だけど、黒呪術に対抗する際はかなり魔力を使うと先生が言っていた。だけどまぁ、なんとかなるだろう。

 ファーナム嬢の周りにあるもやもやした黒い影を睨みつけ、私の魔力を流し込む。


「この者を苛む闇よ、今すぐ去ね」


 光の元素たちは快く力を貸してくれた。その代償としてごっそり魔力体力は削がれたが、先程まで見えていた黒いモヤはすっかり晴れていた。

 黒いモヤから解放されたファーナム嬢はうなだれた顔をゆっくり上げた。


「…今、白呪術を使った?」


 こっそりやったつもりだけど、わかっちゃうか。なんか恩着せがましいからばれないように使ったつもりなんだけど。

 だけどここで使ってませんと嘘ついてもあやしいので、素直に認める。


「お辛そうでしたので。今、お加減はいかがですか?」

「…身体が軽くなったわ。ありがとう」


 私はお貴族様という存在は高慢であると思っていた。たとえ恩を売られてもそれが当然とばかりに胸を張っているものだと思っていたのだが、彼女は笑顔をみせてお礼を告げてきた。私はビックリしすぎて、小さく「とんでもない」と返すだけであった。


 具体的に何の白呪術を使ったか、ファーナム嬢は聞いてこなかった。

 私も「あなた、悪意のある呪いをかけられてましたよ」とか言えなかった。具体的にどの呪いかは断定できないし。

 白呪術には体調不良を楽にするための回復魔法も含まれている。それだと思われていても別に構わなかった。だって私と彼女は相容れない存在、今日会話したのは偶然。それ以降は何の関わりもないからである。


「あなた、私よりも年下よね、それなのに白呪術の扱いがとても上手だわ」


 慌てて下手くそな礼をすると「いいのよ、今日は無礼講だもの」と手で制された。恐らく建前だろうが、私はその言葉に甘えて居住まいを正す。


「一般塔3年のデイジー・マックと申します」

「…あなたがデイジー・マックなのね」


 返ってきたのは好奇心を含んだ声であった。…なんだか私を知っている風である。彼女は目を丸くして、こちらをまじまじ見つめると、目元を緩めた。先程取り巻きの貴族令嬢たちに囲まれていた時に見せていた笑顔とはまるで違う。


「うちの講師がべた褒めしてた平民クラスの優等生よね? 飛び抜けて優秀で飛び級したって聞いたわ。フレッカー様が平民クラスでは勿体ないと嘆いていらしたわ」


 なるほど、フレッカー卿か。あっちでぺらぺら喋ってんのかな。

 フレッカー卿は貴族の中でも少々変わり者扱いなのだそうだ。貴族の長男だと言うのに学問に没頭しすぎて、跡継ぎ候補から外れたとかどうとか。跡目は弟が継いだらしい。そのことを嘲笑されることもあるけど、彼は望んでいた教師という道に進めたので何ら不満はないらしい。

 彼がそういう人だから、親身になって私の飛び級試験に助力してくれたんだけどね。感謝してる。


「そういえば、去年実技場で膨大な魔力を発揮した新1年生がいたわ。顔は遠目で見えなかったけどあれ、あなたね?」


 覚えられていた。そうか、あの時殿下たちと共同利用していたんだったな。あの時は同級生並びにお貴族様たちをずぶ濡れにしてしまったので、退学を覚悟したけどそんな事なくてホッとした覚えがある。


「すみません…」

「いいのよ、1年生のうちは能力がうまく操れないものだもの。それで…あなたは中でも魔力がケタ違いだと聞いたわ。あなた、貴族と縁でもあるの?」


 その問いに私は目を瞬かせ、「わかりません」と答えた。


「私は捨て子で、獣人家族に拾われて育てられたんです」


 答えようがない。

 親はただの平民だったかもしれない、貴族の落胤だったのかもしれない……何もわからないのだ。


「まぁ…そうなの」


 ファーナム嬢のつぶやき。捨て子であることを馬鹿にされるかなと思ったのだが、私の瞳に映ったのは同情的な眼差しであった。


「…拾われた後、迷い子として役所に届けられたそうなんですけど…結局親はわからなくて。今の家族が養女として迎え入れてくれたんです」


 こう説明すると、大体の人から同情されるか、軽蔑されるかの二択なのだが、決して私は可哀想な人間ではないのだ。


「誤解しないでくださいね、私は恵まれてる方なのです。…乳児院に送られた娘の末路は…ご存知かと思いますが」


 仮にも未来の王太子妃になる人だ、知っているだろう。現在スラム街改革中とはいえ、そのへんの問題はまだ残っている。生まれでその後の人生は大きく変わる。底辺から人生が始まった子供の人生は底辺を這うようにして終わりへと向かうのが現状なのである。

 それに比べて私は血のつながらない、種族の異なる家族に迎え入れられ、愛されて大切に育てられたのだ。これを恵まれている以外に何がある?

 ファーナム嬢に私の言葉の意味が伝わったみたいで、彼女は表情を取り繕っていた。


「素敵なご家族に育てられたのね」


 彼女が考えた正解の言葉に私は自信満々に頷いてあげた。



■□■


 

 長居しすぎたので、会場に戻りましょうという話になった。てっきりばらばらで戻るのかなと思ったけど、ファーナム嬢は私の歩調に合わせて歩いている。

 庶民と一緒に歩いていたら、外野からなにか言われないのだろうか。


「交流会は楽しんでいるかしら?」

「ご飯が美味しいです」


 むしろご飯しか楽しみがありません。


「それはよかった」


 そうね、ご飯が美味しいのは幸せなことだから良いことなのだろう。

 だけど貴族様はその美味しいご飯に見向きもしないでおしゃべり三昧。権力にすり寄る…いや、腹のさぐりあい?

 楽しいのだろうか、それ。


 当たり障りのないおしゃべりをしながら会場に戻ると、まだまだ続く交流会。なんか横で使用人がパタパタ動いているのが見えたので、視線を送ると空になったお皿を下げて新しい料理を追加していた。着実に平民組がごちそうを侵食しているようだ。即座にお皿を持った平民たちが群がっている。…新しい料理もすぐに無くなるであろう。

 すみません、私達平民組が食い荒らしたせいですよね。反省しないけどすみません。


「──殿下!」


 怒りを抑えたようなその声に私はビクリと肩を揺らした。その声を上げた人がすぐ横にいたから尚更だ。ファーナム嬢は結構大きな声出せるんですね。貴族のお嬢様なので、あんまし声を荒らげないイメージだった。


「ここをどこだと思っておられるのです。今日は一般塔の生徒さんとの交流会の日。…婚約者でもない女子生徒と必要以上に密着する姿を民たちにお見せにならないでください」


 ファーナム嬢の視線を追うと、会場の隅っこの方に…いた。彼女から殿下と呼ばれたのは、クリフォード・エスメラルダ王太子殿下である。彼は素朴な小花のような垢抜けない少女の手を握っていた。

 ……誰だ?


 仮にもファーナム嬢という婚約者がいるのに、会場で堂々と軟派でもしているのであろうか。王太子殿下の人となりは知らないけど、女好きなのだろうか?

 殿下は世の女の子が見惚れるその端正な顔を鬱陶しげに歪めると、ファーナム嬢を冷たく睨みつけていた。


「…お前はいちいちうるさいな」

「殿下! 立場をお考えください。…その娘は男爵位の娘です。あなた様が気まぐれに手折ってしまったらその娘は…」

「私がリリスを貰い請ければいいだけの話だろう」


 その言葉にぎょっとしたのは誰か。

 少なくとも貴族間では好奇と顰蹙のどちらかの反応がみられた。

 ファーナム嬢はといえば、顔面蒼白にして震えていた。…婚約者の前で堂々と不貞宣言、愛人にすると言った発言をするとは……軽蔑するぞ、殿下。


「ここはやかましい、行こうかリリス」

「はい、殿下」


 彼らはピットリくっついたまま、棒立ちするファーナム嬢の横をスッと通り過ぎて、皆に注目されたまま会場を出ていった。おい、貞操観念どうした。

 音楽が流れ、おしゃべりの声でにぎやかだった会場内が、し…んと静まり返ったのはこの時である。


「…ファーナム様…?」


 ぴしりと固まったファーナム嬢の顔を覗き込むようにして、私が様子を伺うと、彼女は唇を噛み締め、今に泣きそうな顔をしていた。

 その直後にどよどよと周りの人が話し始め、口さがない噂話を始める。下世話なそれにビクリと彼女の肩が揺れたのがわかった。私は平民だけど、彼女の衝撃が如何ほどか想像は出来た。彼女は人形じゃない。いくら貴族でも人間なんだ、傷つくなって方がおかしいだろう。


 私は考えた。

 ここで他人のふりして逃げるのは簡単だ。だけどそれはあんまりに非情すぎるだろう。

 そもそも私は平民なので、貴族様のあれこれは一切関知できない。そう、私がここで何をしても羽虫がなにかしてるわ、で済まされる問題である。

 なので私は行動に移した。

 ファーナム嬢の手首を掴んで私は言う。


「えぇと、ケーキ食べませんか?」


 その言葉にファーナム嬢は目を丸くする。瞳に浮かんだ涙がキラリと目の端に浮いているのはわかっていたが、私はそこをあえて無視した。

 平民ごときが同情しても、義憤にかられても、彼女の心は癒やされないであろう。

 ならば、別のものに意識を向けようじゃないか。


「ここのケーキ、すごく美味しいですよね! 美味しさのあまりフォークが止まらず私たくさんいただいちゃいました」


 戸惑う気配はしたが、私は敢えて空気を読まずにずんずん進む。気の所為か周りの生徒が道を開けてくれる。


「ちょ、デイジー…」


 目ん玉が飛び出るくらい驚いた顔をしたカンナが止めようとするが、私は彼女を押しのけて、固まっているお料理取り分け係の使用人に注文した。


「そこの彼女と同じものを2つ、おねがいします!」


 ぶっちゃけ私はたくさん食べたのでもうお腹いっぱいなのだが、一人だけ食べるのは寂しいだろう。

 同じものを盛ってもらい、それをファーナム嬢に差し出す。彼女は少し迷っていたが、それを黙って受け取っていた。

 あ、今になって思ったんだけどこれって不敬扱いになるかな。退学扱いになったりして…。私が今更怖気づいているとは知らないファーナム嬢はケーキを一口食べた。

 小さく口を動かしていた彼女だったが、ぽろりと涙を一筋流した。泣かせてしまった…!? と私がギクリとしていると、彼女は泣き笑いのような表情を浮かべてこう言ったのだ。


「…本当ね、美味しいわ」


 すいません、私は人を慰めるというのがあまり得意ではなくて…

 甘いものを食べて少しだけ落ち着いた彼女は気を取り直して、周りにいた平民に声を掛けていた。貴族のお姫様に声を掛けられた彼らは緊張で声が裏返ったり、赤面して様子がおかしかったけど、めちゃくちゃ舞い上がっていたように思える。

 萎縮していた平民たちだが、貴族のお姫様とお話できたのが嬉しかったみたいで、ファーナム嬢への好感度は爆上がり。影でファンが出来ていたように思える。


 王太子殿下のことは…まぁ、あれだけど、ファーナム嬢が未来の王太子妃だというのは良かったかなと思えた。

 そんな交流会であった。

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