忍び寄る影


「ごきげんよう、マックさん」

「…ファーナム様?……あれ。ここ一般塔の図書館…」

「あなたがよくここにいるとフレッカー様に聞いたの。入場許可は頂いてるから大丈夫よ」


 えぇ…そんな軽く一般塔に入れるの? それっていいことなの…?

 一般塔の図書館で勉強していたらファーナム嬢が現れた。私の頭は一瞬疑問に固まったが、なんとか挨拶を返せた。彼女はといえば、私の教科書や開いていた本を覗き込み、目を瞬かせる。


「…あら、だいぶ先まで進んでるのね。噂通りの勤勉家ね」


 長期休暇中の遅れを取り戻し、3年の範囲を予習中の私はほぼ毎日図書館通いをしている。

 とはいえ、学年が上がったことによって内容も難しくなったのでスムーズに…とは行かないが。しかも一般塔の図書館の本はそこまで潤沢じゃない。だって利用者が少ない上に平民専用だからだ。


 ファーナム嬢は私の前の席に座ると、目が合った私にニコリと微笑みかけてきた。

 …なんだろう、この間の交流会の件で言いたいことでも出来たのかな…。

 私は困惑していたが、彼女はどこからか持ってきた本を広げて読書をし始めてしまった。…私の邪魔にならないように極力話しかけないで、閉館時間ギリギリまで。用があれば話しかけてくるかなと待ってたんだけどなーにも言わないから、私も何も聞かなかった。


 片付けを終えて図書館の外に出ると、そこにはメイド服を来た女性が立っていた。彼女はファーナム嬢の姿を認めると、頭を下げている。

 そうよね、貴族の娘が一人でフラフラするわけじゃないもんね。


「それではまたね、マックさん」

「…お気をつけて」


 …一体何だったの? ガリ勉クイーンの二つ名を持つ私は勉強だけは得意だが、おしゃべりは得意じゃない。彼女の目的が分からず困惑しっぱなしであった。

 それ以降も何かと気にかけられた。

 特別塔の図書館から持ち出し許可を取って借りてきてくれたという本を見せてくれたり、彼女が3年の時に使っていた教科書とノートをお借りしたり……私は助かるけど、ファーナム嬢には何の得もない。

 ますます彼女の目的がわからない。


 そして今日は一般塔と特別塔の境目になる中庭に席を設けた、優雅なティータイムに誘われた。おかげで私は一般塔の生徒たちに羨ましそうな視線を向けられて落ち着かない。

 優雅にティーカップを傾ける彼女に対して、私はぎくしゃくとお茶を飲む。高そうな茶器だ。割らぬようにしなくては。お菓子をすすめられるも、緊張で味がよくわからない。


「ごめんなさいね。あなたにも都合ってものがあるのにこうして押しかけてきて」


 紅茶を眺めていた私はパッと視線を上げた。その先にはファーナム嬢。先程まで笑顔を浮かべていたはずの彼女の表情は曇っていた。


「…理由を聞いてもよろしいですか? 一庶民と関わり合いになっても何の得もしないと思うのですが…」


 パトロンにでもなってくれるとでも言うのか。私は教科書とか本を貸してくれるだけで十分なんだけど。そういうパトロンとかって見返り求められそうで怖いので遠慮しておきたい。


「校内の地位争いで疲れたの。あなたはそれとは無縁でしょう? あなたの興味は勉学だけ。私に興味がないから楽なのよ」


 興味ないのバレバレだったか。

 いや、だって貴族様に興味持っても仕方ないじゃない。

 でもそうか、なるほど。お姫様の気まぐれ…息抜きね。

 

「あなたのそばだと息がしやすい気がするの。利権や嫉妬とは何の関係もないから」


 まぁ庶民ですし。お貴族様に対抗意識持っても勝てるわけじゃないでしょう。

 なんて返せばいいのか分からないので、微妙な笑顔を作っておいた。


「それにマックさんは自分というものを強く持っていて、とても好感が持てるの…だからあなたと親しくしたいの、迷惑かしら?」


 そう言う彼女はなんだか……彼女の顔を正面から見つめて私は違和感を覚えた。

 ……なんか、おかしい。

 ざわざわ、と彼女の身体に忍び寄る影。この間解呪したはずの呪いが再び彼女の身体に這い寄っている。


「…私は殿下の妻となるため、王妃になるため必死に頑張ってきたの。そんな私を、殿下は優しく見守ってくださったのに……彼は段々様子がおかしくなってしまわれたの」


 黒いモヤがブワッと大きく広がった気がした。ファーナム嬢の沈んだ心に共鳴するかのように。


「前はあんな不誠実な方じゃなかった。おかしくなってしまわれたのはあの男爵令嬢が編入してきてから…!」


 私が相槌せずとも、ファーナム嬢は一人で勝手にぺらぺら話してきた。

 あの時殿下にべったりくっついていた令嬢は庶子育ちで、去年途中編入してきた男爵令嬢らしい。殿下は気を遣って彼女の面倒を見てあげていたそうなのだが、それから彼らは急接近するようになったとか。


「私の忠言にも、側近候補からの諌め言にも耳を貸さなくなって…人目はばからず逢瀬されるようになられた」


 恋に溺れ、頭花畑になってしまった殿下は周りなど見えない状況らしいが、堂々と不貞をされたファーナム嬢は婚約者としての立場がない。

 エスメラルダ王国は一夫一妻制だ。王族も例外ではない。愛人を設けることは出来るが、国を乱す原因になるのであまりいい顔はされない。イメージも最悪だ。


「殿下のことは同盟相手のように思っているの。私達の結婚は好いた惚れたの恋愛結婚とは違うけれど、真面目で誠実な彼を信頼して、好ましく思っていたのに、それが一気に裏切られた気分になって……少し疲れてしまったわ」


 だけど弱いところを見せたら周りの貴族にナメられる。足を引っ張られる。なので彼女は気を張って、普段どおり過ごしてきたけど我慢の糸が切れてしまったのだそうだ。

 彼女ははぁ、と息を吐き出すと、笑顔を作って「ごめんなさいね、今のはここだけの話にしておいて」と言った。私は黙って頷いておく。ていうかそんなことよりも彼女の身体にまとわりつくその黒いモヤが気になって仕方がないのですが。ファーナム嬢、誰かに恨まれたり、命を狙われていない…?

 これを放置していたらこの間みたいに大きなモヤに変わって、いずれ命を吸い取ってしまう恐れがある。


「…私は、フレッカー卿は信頼できる先生だと思っているんですが、ファーナム様はいかがでしょうか」

「え…? えぇ、まぁそうね、彼は権力争いから離れているし、そういった事に興味もない方だから、足を引っ張ることも無いでしょう…」


 そういう意味で聞いたんじゃないけどまぁいいや。私一人では判断つかないから彼に相談したい。

 王太子云々はそちらでやってもらわなきゃならない案件だが、この黒呪術らしき呪いは早々に解決しておいたほうがいいと思うんだな。フレッカー卿は特別塔の教師なので、簡単に呼び出せないのがあれなんだけど…


 その日のお茶会は不完全燃焼と言うか、微妙な空気で終わった。私はなんと言葉をかけていいか分からず、ただ彼女の弱音を聞いていただけだ。

 パーティ会場で令嬢の群れに囲まれて優雅に笑っていたファーナム嬢が寂しく笑う姿はまるで別人のようであった。


 彼女には心許せる友人はいないのだろうか。親兄弟は? こんなそのへんに居る村娘にしか吐き出せないって相当だぞ。

 …お貴族様も、大変だな。


 それにしても、ファーナム嬢に降りかかる呪いと、王太子殿下の心変わり…人格も別人みたいな言い方をしていたしどうにも引っかかるぞ…?

 私は王太子殿下の人柄を知らんのでなんとも言えん。ファーナム嬢が大げさに語ってる可能性もあるが……それでも、あの交流会の時の態度はあまりに非礼だし、一国の王子がやっていい態度ではない。いくら権力者でも礼儀は大事だ。


 ──恋とか愛というものは、人格まで変わってしまうものなのだろうか?


 王太子と未来の王太子妃。そのふたりを陥れようとする、何らかの力が影で暗躍している…なんて私の考えすぎだろうか。

 ともかくフレッカー卿を見かけたら相談しなきゃ。

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