第2話 君の物語になりたい(シリアスver.)

 家にはとお離れた弟がいる。


 弟が産まれるって聞いた時は、驚いたと共に、どことなくいたたまれなかった。まぁ、その頃には何となく、どうやって子供が出来るのかを知っていたから。正直に言うと、両親を見るのが少し恥ずかしくなってしまったんだ。そういった事の結果で自分も産まれたんだと解っていても、受け入れるのは複雑だ。そんな年頃だった。


 多感な年頃の息子の気持ちを察してくれない母さんは、大きくなっていくお腹に話しかけながら、僕を近くに呼んでは言っていた。


「お兄ちゃんになるんだからね。色々な事を教えてあげてね」


 僕の手を取り、母さんは自分のお腹に触らせて、少し寂しそうな顔をしていたっけ。


 その時には僕はもう知っていたんだ。もしかしたら、母さんの言うことは叶えられないかもしれないって。弟は産まれて来ないかもしれないって。


 夜中に父さんと母さんが話していたのを、トイレに起きた僕は聞いてしまったんだ。二人共、僕に隠れて泣いていたんだ。


 だから僕は母さんを励ますように力強く言ったんだ。


 絶対に、たくさんの事を教えてあげるよ! って。


 ※  ※  ※


 病院の一室。小児病棟は明るさと暗さ、生と死が同居している。本来は未来を託される子供たち。しかし、ここは、死を待たなければならない場所にもなり得る病棟だ。


 幸は死に親しい。辛うじてこの世に産まれた。産まれ出た小さな身体には多くの問題があった。特に心臓は大きな欠陥を持っていた。医師からはどのくらい生きられるのかは判らないと言われ、産まれてからは病院で暮らす方が多い日々を強いられている。


 幸せであるようにという願いを込めて、弟はさちと名付けられた。僕の名前はまもるだ。弟と対になっているように感じる名前は、そう悪くはなかった。しかし、実際には弟を衛るといった場面には殆ど出会えずに今に至っている。


 幸がいる病棟は六人部屋だ。いずれも長期入院している子供たちが集まっている。


 彼等の病状は一進一退。退院する子もいれば、ICUへ運ばれ帰って来ない子もいた。


 病んだ身は辛いだろうが、それでも入院している子供たちは、表面上は明るく過ごしていた。


「兄ちゃん!」


 僕を見つけた幸がベッドの上で手を振った。それに応えながら、ネクタイを緩め、早足でベッドへと向かう。


 幸の身体には多くの機械がつけられている。その機械が一部の臓器の肩代わりをしていた。自由を諦めなければ、今の幸は生きていけない身体だった。


 僕を見て、幸は屈託なく笑っている。僕は努めて明るく笑った。


「今日は何を教えてくれるの?」

「そうだなぁー」


 鞄の中から僕は一冊の本を取り出した。カラフルな鳥類図鑑だ。サイズは小さめだが、掲載されている鳥の種類は多い。軽い分、幸の身体には負担にならないと思い買ったものだ。


 幸が暮らす窓辺のベッドからは、広く大きな中庭が見える。広葉樹が多く、季節ごとに姿を変える。少し遠くの方には山も見た。幸のように長い時間をベッドで過ごす患者には、僅かだが救いになる物のひとつだ。


 この前の休日、昼間に来た時に幸が外を指差して「あの鳥は何て鳥?」と聞いてきたが、僕には答えられなかった。その詫びもあって鳥類図鑑を差し入れようと決めてきたのだった。


 本を手にした幸は目を輝かせた。


「この間の鳥、載ってると思う?」

「ああ、そう思って買ってきた」

「やった!」


 ページを繰ると間もなくして「あった」と幸が声を上げた。嬉しそうに笑い僕を手招きする。


四十雀しじゅうからだって。雀にしては黒っぽくて、ほっぺたが真っ白だったから目立ったんだよなぁ」

「お前、目がいいんだな。僕は全く見えなかった」

「兄ちゃん、メガネだもんね。あ、四十雀って、兄ちゃんみたいだぞ」

「メガネでも掛けてるのか」

「ネクタイしてる」

「ネクタイ?」


 近寄って幸の手元を覗き込む。幸が手で写真を指差した。


「ここ。黒い線があるでしょ。ネクタイみたいだから、この部分を黒ネクタイって呼んでるんだってよ」

「へぇー」

「あとね、仲間同士で人間みたいに文章を作って会話も出来るんだって」

「お前みたいに頭が良いんだな」

「へへへ」


 会社帰りの寄り道。面会時間終了までの間はこのようにして過ごすのが日課になっている。短い時間だが余程の事が無い限り欠かした事は無かった。


 身体が不自由な分、幸の心は自由だ。幼い頃は現実と空想の区別が付かず、幸の中の物語は現実にも現れた。


「兄ちゃん。昨日の続きをしようよ」

「続き? 何の?」

「冒険のだよ」

「どこへ行ったっけ?」

「地下の泥沼!」


 どうやら僕は幸の中では毎日色々な場所へ冒険に出掛けているらしい。ある時は鬱蒼と繁るジャングル。ある時は辺境の洞窟。時にはゲームの中の世界へも行っていた。僕はいつも旅の仲間でアドバイザーで幸を導く役だった。


 幸の中の僕は、いつでも頼れる存在。だから物語の僕は幸の憧れなんだと思う。本当の僕は憧れられるような者じゃないんだけれど。僕は努めて幸の前では頼れる兄の姿を演じている。


 幸の容態が急変したのは、鳥類図鑑を差し入れてから、幾日と経たない日だった。


 僕が病室へ到着すると、目の前で運び出される幸を目にした。血相を変え、慌ただしく搬送をする主治医と看護師達。


 嫌な予感がした。


 見失わないように、僕は必死になって幸を追った。ICUまで追ったが、看護師に止められ、状況を伝えられる。


 絶望的だった。談話室で携帯を手に取るが、震えて操作ミスが続く。ようやく母さんに連絡が取れても「幸がーー」としか言えなかった。察した母さんは「すぐ行く」とだけ言い通話は切れた。


「衛くん!」


 看護師の切羽詰まった声音で、僕は急いでICUへ走った。案内されてベッド前へ。周囲にも人はいるはずだが、全く目に入らない。近付くと幸が気付き、うっすらと目を開けた。不思議なことに、いつもよりも調子が良さそうにさえ見える。


 幸がゆっくりと顔を向ける。澄みきった目に違和感があり、僕はこれが最期なのだと思った。


「兄ちゃん、どこへ行こうか」


 こんな時まで幸は旅を続けるのか。抉れる程に胸が痛い。それでも僕は笑う。見ている前で幸の息がすぅと途絶えた。


「ーー宇宙に行きたい。だから、準備して待っていてくれ。いや、幸は身軽だから、先に調査を頼む。僕は、僕はーー」


 言葉が続かなかった。事切れた幸が心なしか笑ったように見えた。


 時間はどれくらい過ぎたのだろうか。間に合わなかった母の声が遠くに響く。父はいるのかどうかわからないくらいに静かだ。全てが嫌に遠くに感じる。ほんの今しがたまで話しをしていた幸が何処かへ行ってしまったのだけは理解出来た。


 重苦しさを払うため、僕は中庭へと出た。


 幸はきっとここから冒険に出掛けたんだ。幸がいつも見つめていた、外へと続く唯一の場所から。


 日がくれた暮れた空は雲ひとつ無く、街中にしては珍しく星が瞬いていた。宇宙へ冒険に行くには幸先が良い。


「僕は幸の最期の物語を紡ぐ事が出来ただろうか」


 吹く風に紛れて「最後なんかじゃないよ」と笑う幸の声が聞こえた気がした。 


 ふと、この間の四十雀の事が浮かんだ。名前の由来で「年月を経ても変化しないもの」とあった。きっと幸は変わらずに冒険を続けるよと教えてくれたんだ。


 そうであれば良いと僕は宇宙を目指すように空へ向かって大きく手を広げる。風が撫でるように、柔らかく吹き抜けて行った。

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きみの物語になりたい 芹沢 忍 @serishino

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