きみの物語になりたい

芹沢 忍

第1話 きみの物語になりたい(コメディver.)

 家にはとお離れた弟がいる。


 弟が産まれるって聞いた時は、何でいまさら弟なんて、と思った。


 俺は一人っ子で好き勝手やってきた。弟が産まれたら、きっと自由になんてなれない。泣いたら煩いだろうし、家族で遠くに遊びにだって行けなくなるに決まってる。


 正直に言うと、弟なんて欲しくなかったんだ。


 嫌々ながら弟を迎えた日。久し振りに会った母さんの腕に抱かれていたのは、思った以上に小さくてフニャフニャした得体の知れない生き物だった。


「さち。幸せって書くの。」


 ちなみに俺は衛と書いて「まもる」だ。だから言われた。弟を衛るようにと。


 兄という者はどんなことをしても「お兄ちゃんなんだから!」と言われる立場なのだ。しっかりと衛ろうが衛らなかろうが、大抵、我慢を強いられる定めなのだと、当時の俺は妙に悟っていたと思う。まぁ、回りの友達が散々と弟妹の事を愚痴っていたからというのもあったけど。


 という訳で、俺はどうしても幸が好きではなかった。


 だって当然だろう。何かあるとすぐに泣く。ハイハイを始めたら、危ない物にも平気で向かって行く。それで泣く。泣いたら何故か俺が怒られる。その理由が兄だという事。


 しっかりと弟を見てなきゃダメじゃないと良く言われた。とっても理不尽だ。俺が庇って怪我をしても弟は怒られない。俺は、しっかりと務めを果たしたと誉められるんだが、気分はすこぶる悪かった。


 それが変化したのはいつ頃だったか。幸が言葉を話し始め、俺が行く所どこにでもくっついて歩くようになってからなのは確かだ。


 身体を張って犬から幸を衛った時?

 道路に走り出た幸を引き止めた時?

 泣いた幸の涙を止めた時だったか?


 本当に些細な事だったと思う。それなのに幸が俺を見て言ったんだ。


「兄ちゃん、カッコイイ! ヒーローだ!」


 キラキラとした瞳で俺を見る。興奮して顔が火照っている。その姿が、物凄く俺に憧れていると物語っていた。


 痺れるような感覚に、俺は陶酔した。その時に初めて思ったんだ。


 幸の中でのヒーローに俺はなる! と。


 ※  ※  ※


「何なの、あの子。神だろう!」

「ーーお前、馬鹿なのか」


 幸について散々語り尽くしてから言った最後の感想に、ダチのかおるが心底呆れたように溜め息を吐いて言った。


「最近のお前、幸に避けられてるって自覚あるか」

「幸が俺を避けるなんてありえん!」

「何でそう思うんだ」

「幸の中では、俺は主役だからな!」

「ーーー」


 社会人になって一年目。幸はもう中学生になっていた。声変わりも始まり、色々とお年頃な弟は、勉強に部活にと忙しい日々を送っている。


 俺は幸のヒーローになるべく、勉学に励み、高校、大学、社会人と、常に高みを目指して生きている。幸の中では俺は物語の主人公で、完全無欠のヒーローなのだ。ーー多分、今でも、と思いたい。


 わかってはいる。


 現実の自分は情けない。仕事で悩み、幸の前では虚勢を張っている。馨はそんな俺を知っているのかいないのか、いつもこんな風にして俺に付き合ってくれているのだ。


「幸も気付いているだろう? お前はヒーローでもなんでもないんだって」


 居酒屋のカウンター。突き付けられる現実。それでも、俺は虚勢を張っていたいと思っていた。


「幸はさ、俺がこんな風に馨に諭されてるなんて知らない」


 不貞腐れてビールをあおる。最近はこんな憂さ晴らしが増えた。学生時代とは異なる世界は厳しい。それでも日々は過ぎて行く。


 そんな中で、幸は俺の憩いでもあった。中学時代の自分を見ているようで、どことなく微笑ましくもある。そして何より、俺のちょっかいに律儀に付き合ってくれるのだ。


 これが可愛いと言わずしてどうする!


 反抗期なのか、そっけない態度。それでも、チラリと俺を見るのも忘れない。声を掛けると、一瞬、メチャメチャ笑いそうになってるのを隠すもの可愛い!


 思い出し、顔が自然とニヤけてくる。


「おい、衛。お前、今、幸のこと考えてんだろ。ブラコンめ!」

「だって、本当に可愛い過ぎるんだって。聞かせてやろうか、俺の可愛い幸の話しを!」

「さっきまで散々話してただろうが! 馬鹿者!」


 結局、俺は幸の事を考えては癒されているんだと思う。


「で? 今日は何で俺を呼んだんだ?」

 

 唐揚げを口に運んだ手が止まる。


「いや、あのー」

「早く吐いた方が楽になるぞ」

「刑事さん、俺はやってない!」

「違うだろうが! どうせ、幸の事だろう? 相談したいってのは」


 しびれを切らしたのか、馨の口調にやや角が立つ。付き合いが長い分、俺を理解している馨だ。相談の内容なんて、とっくに解っているだろう。そう思いつつ、俺は促されるままに口を開いた。


「幸が何か隠してるんだけど、お前、心当たり無いか?」


 馨が珍しく視線を逸らして酒をあおる。そうして、深々と息を吐いた。


「ーお前がウザいってだけじゃないか? 言わないだけで」

「俺、ウザいか!」

「無自覚か。さっき、俺が言っただろう。幸に避けられてる自覚がないかって」

「ウソ、そんな事言ってたか」

「聞いてねぇなとは思ってた」


 馨がホッケの身をつまんで、手酌でぐい呑みに冷酒を注ぐ。嫌に冷静だ。それが不安を煽る。


「幸はお前を疎んじてるかもしれないぞ。少しは自覚しておけ」

「い、嫌だ。そんな事は無い! あってはならない!」

「あるから、そんな事は」

「認めたくない」

「認めろ。いい加減、認めろ」

「い~や~だぁ~」

「毎回、よく飽きずに足掻くなぁ、お前は」


 そう、ここ最近、俺はこんな風に足掻いているのだ。馨を付き合わせているのは悪いと思う。でも、認めたくないものは認められない。


 頭を抱えながら唸っている俺に、馨はいつでも救いの言葉をくれる。


「まぁ、嫌ってはいないと思うぞ」

「本当…?」

「まぁ、理由はどうあれ、嫌ってないと知ってるけどな」

「何で?」

「そこは聞かない方が良いと思うんだがー」


 馨が少し考え込むようにしてから、微かに口許を緩めた。嫌な予感しかしない。


「毎度同じような話しにも飽きたからなぁ」


 何、その台詞。俺の不安が増大する。まさか、見放されるのか、俺。反応出来ずに空のグラスを握り込んだ。


「お前は弟にどう思われてるか知りたいんだよな。だったら現実をしっかりと見た方がいいんだろうなぁ」


 言い方がわざとらしい。というか、大袈裟? 益々、嫌な感じが強まる。


 顔をしかめて、馨の態度をみやると、面白そうにニタニタと笑う。こういう時の馨は俺に対して悪い事を考えていると経験的に知っている。そして大抵が幸絡みだった。


「ちょっと待て。聞いちゃいけない気がするぞ。馨、後悔すると思うぞ」

「大丈夫だ。お前さえ約束を守れば被害は無い」

「俺がって、どういうー」

「まぁまぁ」


 そう言って、馨が俺のスマホを掠め取った。


「おい、何でスマホを!」


 勝手知ったるといった調子で、スマホのロックを解除すると、馨は何やら検索をして開いた画面を俺に見せるようにしてスマホを返してきた。疑問を持ちつつ画面を覗く俺に馨が言った。


「幸の中ではお前の物語が出来てるらしいぞ」


 画面には『兄ちゃんが過激でウザい』というタイトルのweb小説があった。予想の斜め上を行く状態で、俺は幸の物語に貢献していたらしい。


 後日、作品を読んだ事を幸にうっかりバラしてしまった。何で知ってるのかと詰め寄られた俺は、素直に情報の出所をバラした。馨が幸にこっぴどく𠮟られたのは言うまでもない。


 それでも作品は日々更新されているので、幸は案外と楽しいでいるのではないかと、俺は密かに満足をしているのであった。

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