第13話 きざし
午後になると、ルーチェとジュリアさんはどこかへ出かけた。
どこに行くのか聞いたら、ルーチェは「内緒だよ」といたずらっぽく笑っていた。
というわけで、わたしは家でお留守番。
ベッドでゴロゴロしながら外の雨の音に耳を傾けていた。
雨音自体は嫌というほど聞きなれたけど、この家で聞く雨音は、いつも聞くものと微妙に違っていた。
トントントン、と木の屋根を雨がたたく音が、より近くで聞こえる気がする。
草が生い茂る地面ではなく、土で固められた道に直接降りそそぐ雨音も、ちょっとだけ新鮮だった。
ふと、そんな音に混じって、地面を踏みしめる音が聞こえてきた。
どうやら、また誰か来たみたい。
玄関の扉を開けると、さっき訪ねてきた人がまた立っていた。
確か、アリーシアさんという人だったっけ。
「どうしたの?」
「丁度いい宿が見つかったから、そのお礼に来たんだ。こういうのはしておいた方がいいと、同僚から言われたものだからね」
「そうなんだ。でもね、今はふたりともいないんだ」
「……そうか。なら、また日を改めて伺うとしよう。幸い急ぎの旅ではないのだから」
振り返って帰ろうとするアリーシアさんを、わたしはとっさに呼び止めた。
「あ、あの!」
「ん? どうした?」
わたしアリーシアさんが何かの研究をしていると言っていたのを思い出した。
もしかしたら、力になってくれるかもしれない。
「相談したいことがあるんですけど、いいですか?」
「ああ、いいとも。何かな?」
わたしは自分について話した。
この体のこと。ニンゲンじゃないこと。それをルーチェに伝えるべきか悩んでいること。
アリーシアさんは、驚いた様子だった。
「なるほど、君は……」
アリーシアさんはしばらく考えたあと、口を開いた。
「人の心というのは千差万別であって面倒なのだが、世の中ではそういう隠し事は避けるべきらしい」
「そう、だよね……」
人から言われると、なおさら罪悪感を感じる。
「君の秘密を告げるべきか、私には分からない。しかし、ちょうどよかった。実は私は、君の種族について研究しているんだ」
「本当に!? じゃあ、もしかしたら雨も克服できるの?」
「方法は知っている」
まさか、こんなに早く解決策が見つかるとは思っていなかった。
「君は、どの程度知っている?」
「実は、全然知らないんだ。だから、本当にうれいいよ」
「そうか、それは良かった。確か詳しく書いてある本を持っているから、今とってくる」
そう言って、アリーシアさんは宿の方へ歩いていった。
わたしは期待に胸を膨らませながら待っていた。
しばらくして戻ってきたその手には、一冊の分厚い本があった。
「これがその本、『神編第三章 悪魔と神罰』だ」
「なんか物騒な名前」
「そういう内容だからな。まあ、読んで見ればわかる」
私はその本を受け取った。
ずしりと感じる重みは、なんだか心強かった。
「それと、一つ頼みがあるのだが」
「どんなの?」
「さっき私が君の種族について研究しているといったが、それに少し協力してほしいんだ」
「わかった、いいよ」
「助かる。なにせこんな機会は貴重だからな。……ちょうど『アレ』が不足していて助かった」
「『アレ』って何?」
「いや、なんでもない。気にするな」
アリーシアは帰り際、こちらを振り返ってなにか含むように言った。
「その本、早めに読んでおいた方がいいぞ」
アリーシアさん、もうすぐこの村から出発するんだ。
わたしはこの時そう解釈して、早く本を返そうと思っていた。
わたしはアリーシアさんが言った通りすぐに本を読もうとしたけど、それはルーチェが帰ってからすることにした。
いや、本当はルーチェにちゃんと伝えるべきことを伝えたあとだ。
気になって開こうとするのをこらえながら待っていると、二人が帰ってきた。
「ただいま~」
ルーチェの声は、ごきげんだった。
その手には、なにか袋を抱えている。
「おかえり。それは?」
ルーチェは中のものを取り出す。
その様子から、わたしは何なのか期待した。
「じゃーん!」
それは、2つの全く同じ銀色のネックレスだった。
よく見れば、一つずつ小さい輪が付いている。
「結婚した人同士は、同じアクセサリーを付けるんだって。だから、一つルーチェにあげるよ」
「……すごく嬉しい。ありがと……」
わたしはそれを受け取ろうとしたけど、出しかけた手を引っ込めた。
「アスール? どうしたの」
「受け取る前に、伝えなきゃいけないことがあるの」
「伝えること?」
ルーチェはキョトンとする。
まるでわたしに何も悪いところなんてないと思っている顔。
今からそれが歪んでしまいそうで、怖かった。
わたしはすぐ脇においてある、アリーシアさんからもらった本を見た。
いずれ旅に出るのなら、どうしてもルーチェは知ってしまうことになるだろう。
なら、今言ったほうがいい。
そう自分に言い聞かせて、わたしは口を開いた。
「実はわたし、人間じゃないんだ」
「……え?」
驚いたというよりは、何を言っているのかわからないという顔だった。
実際に見せたほうがわかりやすいと考えて、わたしは近くにあった机に手をかける。
人間の女の子なら、片手では到底持ち上がらない重さのものだ。
わたしはそれを、軽々と持ち上げてみせた。
「嘘でしょ……」
ルーチェが、信じられないと言った声を出した。
その言葉に胸が痛んだ。
わたしは机をおく。今は、少しでもルーチェ達と離れたところを見せたくなかった。
しばらく、沈黙が続く。
ルーチェの顔は、怖くて見れなかった。
「それじゃあ、アスールは何なの?」
「わからない」
わたしはニンゲンのことは知っていたけど、そういえば自分自身のことなんてまるで知らなかった。
「それが、この本に書いてあるんだよ」
「それは?」
「アリーシアさんからもらったの。これを読めば分かるって」
また黙り込むと、今度はジュリアさんが口を開いた。
「他には私達と違うとこはあるの?」
「水も食べ物もいらないのと、あとは寿命が何百倍もあること」
「それじゃ、わたしが死んでもルーチェはずっと生きてるの?」
ルーチェが不安そうに言った。
「うん、そういうことになる」
「嫌だよそんなの!」
ルーチェは必死に叫んだ。
「だって、アスールはまた一人になっちゃうんだよ!?」
ルーチェはまだわたしを気にかけてくれている。
そのことが嬉しかった。
「大丈夫だよ。わたしはずっと一人だったんだから。そんなの、慣れてる」
「そんなことないよ!」
ルーチェはわたしに近づいて髪をそっとかきあげた。
「だったらどうして、こんなにつらそうな顔してるの」
わたしは顔を背ける。
ルーチェがわたしに同情してしまうから。
そうして、正しい判断ができなくなるから。
わたしを拒絶するべきだという、そんな、当然の判断が。
「そんなことないよ。全然辛くなんてない」
「嘘だよ。自分の手を見てみて」
わたしは視線を下に向けた。
わたしの手は、ルーチェの手を掴んでいた。
「え……」
わたしは慌ててその手を離そうとした。
でも、なかなかできなかった。
「そんなので、一人でもいいなんて言える?」
わたしは口を開いて、でも何の言葉も出なかった。
ルーチェに拒絶されるのはすごく嫌だけど、でもルーチェがその選択を取るなら、潔く諦める覚悟をしていた。
どうやら、そんなことは全く出来ていなかったらしい。
「アスールが人間じゃないからって、私は見捨てないよ」
「……嘘じゃない?」
「もちろん。本当だよ」
自然と、涙がこぼれた。
ルーチェはそんなわたしを優しく包み込んだ。
わたしはそんなルーチェの胸に顔を埋めた。
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