第2話ありきたりな悲劇は(2)

 裁判は粛々と進む。 

 事故を起こした男は、時折曖昧な供述をするものの、罪状については一切の否認をしなかった。

 そのためスムーズな結審へと繋がった。


「自動車運転過失致死罪の適応が相当し、被告人に、懲役3年2か月を言い渡す」


 速報のテロップは「危険運転致死傷罪適応ならず」「懲役3年2か月」の文字。

 そして事件のおさらいをするように、1年半ほど前にあった悲惨な事故の全容を繰り返した。



 私は流れていく速報を眺めながら、事故を起こした男のことをおもいだしていた。


 それは事故の取材の最中だった。


 運転手の男はどこのだれなのか。こんな事故をおこすような男だ。まともな人間であるはずがない。


 そんな想いは、当事者の名前を知ったことで霧散することになった。


 すぐに思い出されるのは、年相応の皺をはしらせた穏やか表情のうらで、悲しみを乗り越えようとしている男の姿であった。


「まさか……、どうして」


 そう思わずにはいられなかった。


「そんなひとじゃなかったのに」


 わたしはその想いに突き動かされるように、方々を駆け回り男の取材を続けた。

 けれど、どれほどに取材を重ねても、彼はわたしがかねてから知り得た様子と変わりはなかった。

 どこで話を聞いても一様に否定の言葉しかきかれなかった。


「あんな運転をするようなひとではないはずだ」


「なぜ。こんなことになってしまったのか」


「あの人だって同じなはずなのに、どうしてなの……」


 その世論とはあまりにもかけ離れた人物像は、それが当たり前のことのように報道されることはなかった。

 ただ無職の男が引き起こした愚かな事故であったと市民感情を煽るばかりであった。


 わからない。彼にいったいなにがあったというの。


 彼は裁判において、こう供述した。


「前をよく見てなかった」「速度が速すぎるとは思わなかった」「ハンドル操作を誤った」

 反省しているのかいないのかわからないありきたりな言葉をならべるだけで、事故を起こしたことは認めるものの、事件に至るまでの経緯については、かたくなに口を閉ざした。


 ただ、裁判が続く中で弁護側に立った一人の少女の言葉に反応をしめして一瞬悲痛な表情を浮かべたようにもみえたけれど、その後はどこか遠くを胡乱気な視線を纏ったままな姿が印象的であった。



 そうして裁判は結審した。


「事故は常識の観点からみて、高速度であったと言わざるを得ない。しかしながら、危険を予知できたとは言い切れず、また、進行における制御が不能な状態であったと認定するには合理的な疑いが残る」


と述べ、過失運転致死が相当であると結論づけた。


 結審後、あまたのニュースやSNS上では、交通死亡事故における刑罰の在り方にむけて憤懣が溢れるように数多の言葉が行き交うことになった。


「そんな馬鹿な話があるか」「亡くなった方に申し訳ない」「危険運転致死傷罪はなんのためにあるのか!」


 その大きさは事件に対する一般市民の関心の高さを示していた。

 そして、このおおきく高まる国民感情を前にした与党は重い腰をあげると、法の運用方法から法改正を含めて検討すると談話を発表した。


 そんな世間が騒がしいく動いていた時分のことであった。


 ブーーンッブーーンッブーーンッ。

 

 そう振動するスマホをカバンから取り出し画面をみると「母」の文字が浮かんでいた。

 

 私は「なんだろう」と疑問に思いながらも画面をタップした。


「ひとみ?ひとみかい?」

 いつもと変わらない母の声に、一先ず安堵した。

「おかあさん、どうしたの?」

 どうやら緊急な話ではないらしい。

「ひさしぶりだねぇ、いろいろあるだろうけど、たまには帰ってきなよ」

そういえば、ここ数年は実家に寄ってないな。

「わかってるよ、そのうちね。それで今日はどうしたの?」

 

私の問いに母は、用件をおもいだしたように口した。


「そうそう、あのね。今日なんだけどねぇ、お前宛に封筒が届いたんだよ」

「封筒……」

「そう、封筒」

「……私宛のものは全部こっち届くはずなんだけど。誰からなの」

「それなんだけどねぇ。ほら、少し前に大きな事故があったじゃない。ニュースに流れてる。あの、最近やたらと話題になってる裁判。あるじゃない」

「大きな事故ってこのあいだ判決がでたやつのこと言ってるの」

「そうそうそれよ」

「それがどうしたのよ」

「宛先がね、その事故のほら。亡くなった女性いるでしょう。その人の名前なのよ」

「はい? えっ、と……」

 私の頭に疑問符が浮かぶ。

「ちょっと良くわからないけど、私宛なんだよね」

「そうよ。あなた宛て」 

 どうやら件の封筒は間違いなく私宛であるらしい。 


 誰かのいたずらだろうか。とはいってもそんな心当たりがあるわけでもない。それにいたずらにしては悪趣味すぎる。


「何かは分からないけど変なものだったら困るから開けずにこっちに送ってもらっていいかな」

「そうだよねぇ。そうするわ」

 

 そのあと母と久方ぶりの会話を重ねてから通話を切った。

 

 しかし、誰なんだろう。私に事故で亡くなった女性の名前を騙ってまで郵便物を送り付ける非常識な知り合いはいないと信じたいところだけど……。

 それに私は彼女のことはニュースでしか知らないし、意図がわからないのも少し怖い。

 当然だけど亡くなった方が封筒を郵送できるはずもなく……。


 「封筒ねぇ。いったいなにが入っているのやら」


 さまざまな考えが浮かんでは消えて、少しだけ憂鬱に悶々と過ごしているうちにそれは届いた。


 A4サイズの封筒は薄くて、数枚の書類のようなものと、SDカードが一つ入っていた。

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