#63 バモス!【篠塚華音】

・・・・・・・・・

「…………はよ。…………のん……?」

「んんっ……?」

「おはよ、華音。起きて」

「んっ……むっ……えと……」


 香水と柔軟剤が混じったような匂いのする、柔らかいお布団の感触で、意識が少しずつはっきりとしていく。自分の体温を逃したくなくて、キュッとお布団を掴む。


 隣に可愛い女の子がいる。私を覗き込む彼女の、ブロンズの輝かしい髪が時々私の頬に触れてくすぐったい。

 あぁ、何か今、すっごい幸せ——


「華音! 起きてっ!」

「ひゃっ」


 お布団をガバッと剥がされて、私はやっと記憶を取り戻した。

 そうだそうだ。昨晩たまたまカレンと会って、互いに家に帰りたくないからってラブホ女子会して、愚痴聞いたり恋バナしたりして……寝落ちした?!


「華音、急がないとヤバいかも」

「え」

「今日スペ語」

「……あっ!!」


 次のスペ語は小テストですよ〜と言われたのが一昨日の授業。今日のスペ語は2限、つまり10時40分からで、このラブホの最寄駅・梅沢中央駅から大学までは約25分。ラブホから駅まで徒歩5分。現在時刻、午前9時57分。その前に着替えとか洗顔とかメイクとかがあるって考えると……?


「わぁーっ?!」

「えーっ、華音でもそんな声出すのね。とにかく着替えて、スモークチーズといかくんを朝ごはんにしよ」

「う、うん」


 慌てて着替えて、昨日の石鹸で顔を洗って、歯磨きは時間ないから備え付けのマウスウォッシュで済ませて、髪型とアイブロウとリップだけ軽く整えて、カレンから渡された個包装のスモークチーズを口に突っ込む。こんな寝坊、人生初めてだよ。

 ドア付近の精算機でカレンが精算を済ませてくれた。全額出すと譲らないカレンに甘えて、部屋を出ようとする。


「華音! バッグ!」

「ああああっ」

「ほんと、華音にも、こんなとこあるんだ……」


 教科書どころかペンケースもギリギリ入るか、って感じのミニバッグで大学に行くなんて恥ずかしい。こんなのも人生初。アメリカでもこんな経験ないや。


「¡Vamos行くよ!」


 カレンの綺麗なスペイン語にいざなわれて、今度こそラブホを後にした。

 電車の中でカレンに教科書を見せてもらって、試験直前のミニ講座も開いてもらって。本当にありがとう……。


 ◇


 テスト開始30秒前に教室に滑り込んで、カレンにシャーペンを借りて、何とか事なきを得た。良かった……。しかも直前にカレンが教えてくれた所が集中的に出て、助かった……。

 カレンはお昼からバイトなので、スペ語が終わった後すぐに別れた。(お腹空いたな)と思いながら学食に向かって何となく歩いていたら、充電してないスマホが震えた。


(学食で充電しなきゃ……んっ?)


『華音、おはよう』

『昨日は力になれなくてごめん、なるべくすぐに対策を考えるよ』


 会長の活動休止宣言以降、こうして連絡を取れてるのはカレンと京汰くんだけ。全員に会えない寂しさと、その中でも2人が変わらず接してくれる安心感で、何か変な感じがする。

 京汰くんに返信しようとしたら、充電が完全に切れてしまった。学食のカウンター席ならコンセントがあるから、空いてるカウンター席を探す。


「あ、華音?」

「あっ!」


 バスケサークルの同期も充電難民だったみたいで、私は既読をつけた京汰くんからのLINEのことをすっかり忘れて、その子とお昼を買いに行っちゃったんだ。


 ◇


 スペ語テストの2日後。きちんと充電されたスマホが震えた。


「あっ」


『またまたごめん。対策を考えたから、今日華音の家行ってもいいかな』

『突然で申し訳ないけど、、』


 完全に既読無視しちゃってたのに、それでも連絡してくれた京汰くんに本気で「ごめんね」って思いが湧き上がる。

 今日は午後に2コマだけだから、夕方以降なら大丈夫だな。


『私こそ、既読スルーしちゃっててごめんね。悪気はなかったの』

『今日は17時以降なら大丈夫だよ』


 そしたら、『了解!』と即レスが。すると不思議なことに、どこかワクワクしてる自分がいた。


——もうちょっと、華音がアピールしてみたら? 京汰も鈍感だし


——深夜にラブホに泊まることに比べれば、大胆じゃないってこれくらい! 私応援してるから!


 不意にカレンの言葉が蘇る。


「もしかして、これはチャンス……?」


 そう思い始めたら、頭から京汰くんが離れなくなっちゃって、全く授業どころではなくなってしまったのでした。

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