#16 瑠衣のドキュメンタリー

 1週間なんてのは、本当に光の速さで過ぎていく。


 頭の弱そうな教授率いる必修基礎教養15のクラスは、もう2回目を迎えていた。今日は渡されたテキストの輪読。つまりまぁ、ただの朗読会。小学校の国語の授業かな。俺の中の大学の概念が、結構な速さでガラガラと崩壊している。もっとこう、さ、アカデミックというか、テキスト読んで資料にまとめて発表する、くらいはさ、すると思ってたんだよ。

 授業後に俺がこうした率直な感想をボソリと呟くと、大貴が切れ長の目を丸くして聞いてきた。


「ん? 京汰ってガチ勢なの?」

「違う違う大貴違うって」


 大貴は同じ学部出身の兄貴を見ているから、「大学ってこんなもん」というイメージが掴めているらしかった。「大学生って、思ったより大人じゃねぇぞ」と、大貴は軽ーく先輩風を吹かせながら俺に言う。まぁ、こいつの言い方は全然嫌味っぽくないから、「へぇ」って感じで普通に参考になるんだけどな。



 次の授業がない俺と大貴と元会長こと瑠衣と華音、それから悠馬は、授業が終わると誰からともなく学食へと歩いていく。近くの店でもいいんだけど、学食だと気兼ねなく長居できるんだよね。ってことをこの7日間で既に学んだ。


 ちなみに今朝は、きちんと起きることができまして。ちゃんとご飯を食べてから家を出られたので、先週のようにガッツリカツカレーではなく、今はシュークリームを頬張っている。輪読だけでも小腹は空くのよ。瑠衣は菓子パン、華音はフルーツゼリーをチョイス。悠馬は俺のシュークリームと華音のフルーツゼリーを、指を咥えながら見つめている気配を強く醸し出している。まぁ悠馬が我が家にいる時みたいに食ってたら、大貴や瑠衣から見たら食べ物が浮いてるように見えちゃうからな。華音は悠馬の“気”がある方をチラチラ見ながら、申し訳なさそうに食べていた。いやいや華音様、こんなバケモンごときにそこまで気を遣わなくていいってば。


 みんなでしばらくもぐもぐした後、大貴が口を開いた。こいつが食べてたエクレアも美味しそうだったなぁ。


「なぁ、気になってたんだけど、なんで元会長って見た目チャラいの?」

「それ、私も気になってた。元会長って、会長だった時はきっと真面目だったんだよね?」

「生徒会長やってた奴って、今チャラいとダメなのか?……まぁ色々あったんだってば」


 てかさ、元会長元会長って長くない? 瑠衣って呼んだ方が早くない? それかせめて会長で良くない? 元ってわざわざいらなくない? とブツブツ言いながら、瑠衣は学生証をテーブルに出した。

 ……わーお。黒髪。七三しちさん。底の厚そうなメガネ。きっと制服だって、着崩したことなんかないんだろうな。鞄だって俺みたいにボロボロに使い古す的なことしてこなかったんだろうな。高校時代に彼を見つけ、仲良くしようとは正直、思わなかったかもしれない。ここまでの見事なガリ勉ルックスには近寄れねえわ。

 大貴が学生証を食い入るように見つめ、今の瑠衣と交互に見やる。華音もちょっと覗き込んで、目を丸くしていた。うっわぁ、至近距離の華音ちゃん可愛い。


「絵に描いたような真面目くんじゃないか……絵に描いたようなビフォーアフターじゃないか……180度違うじゃないか……」

「俺ね、父親も祖父も伯父も東大なの。だからママに東大行け行けってめっちゃ言われてて、生徒会長もママにやりなさいって言われたから立候補して。ママのルールなんて校則より厳しくてさ。外見もガリ勉スタイル強制されて。でも本当の俺はこうなわけ」


 こう、と明るいオレンジのシャツを着た自身を瑠衣は指差す。

 東大、という言葉が俺の胸にちくん、と刺さる。元カノの莉央ちゃん今元気かしら。莉央みたいに東大受験に超前向きな子もいれば、きっと実力はありそうなのに超後ろ向きな、瑠衣みたいな奴もいるらしい。瑠衣は続ける。


「んで、勉強して東大入ったら入ったで、ママはきっと弁護士か検事になれって言いそうだからさ。さすがにそこまで指図されたくなかったし、だったら大学受験の時点で反抗すればいいじゃん、って気づいて。だから模試ではママを安心させるために良い結果出してたけど、東大の本番は問題解いてないんだよね。併願なんてママはめっちゃ嫌がったけど、無理やりここ併願にして。センターの結果使えるからさ。センターは本気出したから、ここの合格をいただけたわけですよ」


 さっきから“ママ”の連呼が気になって仕方ないけれど、彼なりに一生懸命反旗を翻したらしい。今、俺の脳内にはレ・ミゼラブルの世界観が広がっている。会長にそんな過去があったとは。


「まぁ、東大落っこってママは悲鳴あげてたけどね。でも当の父親達は俺が落ちたことなんてさほど気にしてなくて、元々俺より賢い弟に期待してるっぽい。てなわけで俺は今、やっと自由にさせてもらってるわけですよ」


 大学受験を機に、親に反旗を翻して見事革命を成功させ、ありのままを表現し始めた元会長。いや、工藤瑠衣……。

 え、何このサクセスストーリー。カッコ良くない?!


「か、会長……よく頑張ったな……!」


 瑠衣の注文通り“元”を外してちゃんと呼び始めた大貴は、ちゃっかり瑠衣の肩を抱いている。瑠衣の顔は嬉しそうだ。良かったな、本当に。

 俺も泣きそうだよ。感動した。1時間枠の番組にしていいんじゃないかこれ。華音も、「大変だったんだね」と労っている。「うん、実は大変だった。何か、今言えてスッキリしたわ。ありがとな」と瑠衣。


 と、その時。


<かっ、会長……っ! そんな過去を抱えていたなんて……! ヒック>


 俺は突如聞こえた嗚咽にギョッとする。

 え。待って、お前ももらい泣き?!

 ……感受性豊かな式神だよなぁ、ほんと。

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