032 名前

―――あっ!



入口付近の柱を背にたたずむ女性。


白い柱に黒い制服のコントラスト。夕日に照らされ、どこか幻想的な雰囲気がある。このまま走り続けたいところだが、俺のちっぽけなプライドがブレーキをかけた。息を切らすほど走ってくるなんて、何かこう、恥ずかしい。



「…。」



あと数メートルというところで、必死に息をととのえる。こんなプライドにさよならできたら、どれだけ楽だろうか。



「桜井さん。」



さすがに「悠美ゆみさん」とは呼びづらい。前のめりになり過ぎると、遠ざかってしまう。仲良くなりたいときほど、節度せつどをもった距離感が大切。と、まあ、一般的な恋愛の方程式だけは良く知っているつもりだ。



―――それでも…ベストの答えがわからないから、難しいんだけどね…。



知識だけでうまくいくほど、人間関係は甘くない。十数年そこそこの人生経験から得た知識。…何か矛盾むじゅんしている気もするが…。



大樹だいきさん!優勝、おめでとうございます!」



「あ…ありがとうございます。」



ととのえたはずの鼓動こどうがとびあがる。一足飛びで距離をつめられたときの対処、残念ながら俺は知らない。


その後は、空回からまわりする俺と、それを優しく受け止めてくれる悠美さんという…大変に申し訳ない構図が続いた。ずいぶんと歩き出しだが、将来、そんなこともあったねと笑いあえる日が…来てほしい。





「おーい、しゅん。来たよー。」



特に約束をしていたわけではないのだが、来てしまった。この部屋、俊にとっては仕事場にあたるので、邪魔じゃまになるようならば退散しよう。



「あれ、大樹?うーん…今日、全国優勝したやつの表情じゃないな…あー、悠美ちゃん来てくれたけど、自分が空回りしすぎて、いたたまれなくなったん?」



なぜわかる。超能力のたぐいか。いや…そんなに顔に出ているだろうか。



「だって、いつものことじゃん。」



「…。」



見事なまでにバッサリときられてしまった。中学時代…まあ、いわゆる初恋もこんな感じだった。その時は見事にフラれ、俊に励まされた記憶がある。


あれから俺も成長したつもりではいる。同じてつは踏まないつもりだったが、今日の様子を見る限りはかなり怪しい。その場でフラれなかっただけ、ましだと思わなければ。



「まあ、良いんじゃない?よそおっても長く続かないよ。」



どうやら無理をして格好をつけていたのも、ばれていたらしい。さすがに俊の目はごまかせない。



―――嫌われたりしてないかな…。



不安でしかたがない。というか、今日一日、テンション乱高下。緊張感、開放感、達成感、不安感がジェットコースターの様相ようそう


まあ、さすがにこのテンションのままでは俊に申し訳ないので、そろそろ普段の感じに戻ろう。



「ところで、動画の編集はどんな感じ?」



「まあまあかな。もう少しで公開できそう…って、忘れるところだった!あずまのおっちゃんから手紙預かってるんだった。」



「おっちゃんから?」



優勝の報告にうかがおうと思っていたのだが、何かあったのだろうか。



「うん。ほら、世界大会の関係者登録。」



会場には当然ながら、関係者以外立入禁止スタッフオンリーというものがある。そのなかにもランクというか、制限のレベルがあって、例えば運営関係の人しか入れないエリアや、出場選手しか入れないエリアなどがある。


俊や東のおっちゃんは、規則上は、俺のスポンサーという立場になる。説明を受けた限りでは、一般のギャラリーさんとそれほど大差ないように思えたが、ルールはルール。しっかりと申請しておかなければならない。さっき登録用紙のデータをもらって、ひとまず二人にメールしておいたのだ。



「ああ、関係者パスのやつか。でもあれって、提出期限まで3週間くらいなかったっけ?」



「しばらくお店休んで、サーフィンの練習に行くんだって。」



「…。」



納得しすぎて声が出なかった。しかし、おっちゃん、本業の方は大丈夫なのだろうか。少々おせっかいな気もするが、FPSの筐体きょうたい、そんなに安いものではなかったと思う。あと、近所の子どもたちの健全な遊び場が…。



「あとは…あ、明日よろしく!」



「おう。何か台本的なものあったほうが良い?」



明日はシュンカンゲームズとワシさん、コラボ動画の撮影だ。一応、スペシャルゲストというかたちで、俺も呼ばれているのだ。



「取材受けてたときの感じで良いと思うよ。専門的なことはワシさんに丸投げだし。」



知識、ビギナー。戦術、ビギナー。反応無双むそうだけで勝ちとった全国優勝者という看板。解説要員としては、悲しいほどに不適なのだ。



「確かに。じゃあ、そういうことで。」



「うん。また。」



帰り道、わずか数メートルの距離。いつもなら何とも思わない「止まれ」の標識が、浮足立うきあしだっている俺に現実感を与えた。冷静に考えてみると、ここ数日の出来事、インパクトが大きすぎた。全国大会優勝に加えてひとめれ。


人生の転換点が訪れているらしい。

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