2-20 日輪牡丹と七色咲月


「今の話……本当?」


 三森みもりさんの背後からひょこっと出てきた叶実かなみさんは、じっと日輪ひのわさんの目を見ながら、そう尋ねる。


「い、いえ……あの……」


 だが、突然現れた叶実さんに、日輪さんはどう反応していいのかわからず、キョロキョロと目を泳がせていた。


「お嬢様」


 しかし、そんな日輪さんに助け舟を出したのは、猫耳メイドさんだった。


「ちゃんと言葉にしなくては、伝わらないことがあります。ですから、しっかりと、こちらのお嬢様にお伝えください」

「三森……」

「……はぁ。ですから、私は三森ではなく『みもりん』ですよ、お嬢様。では、ご注文が決まりましたら、またお呼びください」


 そう告げると、今度は気配を消すことなく、三森さんは僕たちのテーブルから離れていってしまった。


牡丹ぼたんちゃん……」


 そして、叶実さんは未だに呆然と立ち尽くしたまま、席に座ろうとはしない。

 ただ、じっと日輪さんのことを見つめるだけだった。


「あなた……どこから聞いていましたの?」


 ようやく、日輪さんが口を開くと、叶実さんは申し訳なさそうに答える。


「……私の作品が、『心』を動かせる作品だって、言ってくれたところから」

「……そう」


 日輪さんが、叶実さんからの返事に相槌を打つ。


「言っておきますけど、私がお世辞をいうような人間ではないことは、あなたも知っているでしょう?」


 そして、彼女は叶実さんに向けて、告げる。


「あなたは、私の目標です。ですから、これからも活躍してもらわなければ困りますわ」


 やっぱり、日輪さんらしい、少し婉曲した言葉だったけれど。


 きっと、その気持ちは、叶実さんにも届いたことだろう。


「……牡丹ちゃん」


 それを証明するように、頬っぺたが朱色に染まった叶実さんが笑顔で答えた。


「ありがとう……私、凄く嬉しい」


 叶実さんが浮かべた笑顔は、僕がいつも見ているものよりも、ちょっと大人びて見えた。


「……でもね、牡丹ちゃん」


 しかし、彼女はまた俯いたように視線を逸らして、ぼそりと呟く。


「謝らなきゃいけないのは、わたしのほうだよ……」

「えっ?」


 その言葉は、日輪さんにとって予想外のものだったらしく、ポカンと口を開けたままになってしまった。


「ねえ、牡丹ちゃんは覚えてる? わたしたちが、初めて会ったときのこと……」

「初めて会ったとき……。それって、私たちの授賞式のとき……ですわよね?」

「うん……。そのとき、牡丹ちゃん、ずっとわたしに話しかけてきてくれたよね? わたし、すっごく緊張していたから、牡丹ちゃんがずっと一緒にいてくれて、心強かったの……」


 当時のことを、僕が知るはずもないけれど。

 だけど、1人で不安そうにしている当時の叶実さんの姿は、すぐに頭に浮かんでしまった。


 というのも、今までのやり取りを見ていてもわかる通り、基本、叶実さんは仲の良い人でなければ、人見知りをしてしまう。

 だから、僕はもちろんのこと、姉さんともまだ知り合いではなかったと聞いているので、おそらく大勢の大人たちが集まっている授賞式の場に叶実さんだけという状況は、さぞ心細かったことだろう。


「別に……あのときは、ただ、私より評価された作品を書いた人が、どんな人なのか興味を持っただけですわ。しかも、受賞したのが私と同じ高校生だっていうから……今よりもずっと、嫉妬の気持ちが強かったような……」


 まるで、当時を思い出すかのように、日輪さんが気まずそうにしている。

 しかし、そんな様子の日輪さんに構うことなく、叶実さんは話を続けた。


「ううん。わたしは牡丹ちゃんがいてくれて、本当に嬉しかったよ」


 そして、叶実さんはまた目を逸らしながら、日輪さんに言った。


「だからね……この前のパーティーで、牡丹ちゃんに酷いこと言って、もう嫌われちゃったのかと思って、凄く……怖かったの……」

「あなた……」


 そして、ぐっ、と叶実さんは全身に力を入れたかと思うと、振り絞るように声を発して、日輪さんに尋ねた。


「でも、牡丹ちゃんは……わたしのこと、嫌いにならないでくれていたんだね……」


 震えた声で、そう告げる叶実さん。

 そして、叶実さんの気持ちを受け取った日輪さんは、いつもの得意げな笑みとは違う、柔らかい笑みを浮かべて、こう答えた。


「……馬鹿ね。当たり前ですわ。言ったでしょう? 七色なないろ咲月さつき、あなたは私の永遠のライバルであり、そして……同じ志を持った仲間なのですから」

「牡丹ちゃん……!」


 そして、日輪さんは大きなため息を吐くと、呆れたような口調で愚痴をこぼす。


「全く……こんな簡単なこと、どうしてずっとお互い、言えなかったのでしょうね」

「……うん、そうだね」


 すると、お互い見つめ合った2人は、ほぼ同時に息を吐き出して、笑い出した。

 その様子は、僕が学校の教室で見るような、クラスメイトたちが何気ない話で盛り上がっている光景にそっくりだった。


 ふと、僕は視線を感じて振り返ると、厨房の入り口の近くに待機していた三森さんと目が合った。

 彼女は、自分のスカート部分を少しだけつまんで、僕に対してお辞儀をする。


 もしかしたら、三森さんらしい、僕に対する感謝の印だったのかもしれない。

 だけど、正直、僕は何もやっていないし、むしろ、変に心配をしすぎていたかもしれないくらいだ。

 きっと、僕がいなくたって、日輪さんは叶実さんに自分の想いを伝えることができただろうし、その逆もまたしかりだ。


 だけど、もし、僕が何か報酬を得られたのだとしたら。

 それは、僕が日輪さんにお願いをしたことが、実現したことだ。



 ――日輪さん。もし、僕からお願いができることがあるなら、たった1つだけお願いしたいことがあります。


 ――どうか、叶実さんと、友達になってください。



 ……本当に、今でもお節介なお願いだと思う。

 だけど、叶実さんとは、僕や姉さんとは違う関係を築けるような人が近くにいてほしかったのだ。


 そして、その願いは、しっかりと実現した。


「それより、七色咲月。あなた、ここの常連なのでしょう? でしたら、この私にどのメニューがオススメなのか、教えなさい」

「うん! えっとね、わたしのオススメはオムライスなんだけど、オプションをつけることもできて……」

「オプション? なんですの、それは?」


 いつのまにか、隣に座って日輪さんと一緒にメニュー表を眺める叶実さんの様子を眺める。


 そこには、本当にどこにでもいる友達同士の2人が、楽しそうに会話を弾ませていたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る