2-19 日輪牡丹は彼女に本音を伝えたい


「それでは、お客様。メニューが決まりましたら、この『みもりん』をいつでもお呼びください」


 そう言って、猫耳メイドと化した三森みもりさんが、恭しくお辞儀をしたのちテーブルから離れていく。


 僕と叶実かなみさん、そして正面には日輪さんという形で席についている。

 しかし、先ほどから、叶実さんはずっと下を向いているし、日輪さんも険しい表情をして腕を組んで何も話さない。


 はっきり言ってしまえば……超気まずい空気が流れてしまっていた。


「あ、あの……日輪ひのわさんとは、パーティーで会ったとき以来、ですね?」


 というわけで、僕がなんとか話を繋げようと試みる。


「そ、そうですわね! ええ、あなたとお会いしたのもパーティー会場でしたわ」


 日輪さんも、僕の意図を汲み取ってくれたのか、話に乗っかってきてくれる。


「あのときは本当に大変でしたわ。あなたたちが帰ったあと、私も担当の者にこっぴどく叱られてしまいましたから」


 しかし、話の広げ方は、あまりよくない方向へと進んでいってしまう。


「私は、ただ七色なないろ咲月さつきと話をしていただけなのに、皆が大騒ぎするものですから、私もとんだ迷惑でした」


 すると、僕の横に座っていた叶実さんの身体が、ビクッ、と震えるのがわかった。


「ご、ごめんなさい……」


 そして、叶実さんの口から謝罪の言葉が出てしまう。


「えっ!? あ、いや……」


 日輪さんも、わざとではないのだろうが、彼女は色々と相手にとっては怒っているような言動になってしまうときがある。

 僕は、それが日輪さんなりの照れ隠しだということはもう分かるようになってきたのだが、叶実さんにとってはそうではない。

 きっと、叶実さんは日輪さんが自分に対してまだ怒っているのだと勘違いをしてしまっている。


「七色咲月! べ、別に私は謝ってほしいわけではありませんわ! 私は、あなたと……」

「……ううん。いいの。あのときは、私のせいで色々な人に迷惑をかけちゃったから……」


 叶実さんは、いつもの元気はどこへやら、沈んだような顔をみせる。

 場を和ませようとしたのに、逆にさらに不穏な空気にさせてしまった。


「……わたし、ちょっとトイレ行ってくるね」


 すると、叶実さんはこの場にいることが耐えられなくなってしまったのか、席から立ち上がって、トイレへ行ってしまった。


「あっ、叶実さん……」


 彼女の名前を呼んだものの、当然引き止める権利など僕にあるはずもなく、彼女がトイレに逃げていくのを、ただ黙って見送ることしかできなかった。


 そして、正面に座る日輪さんはというと、先ほどの叶実さん以上に落ち込んでいる表情を浮かべていた。


「だ、大丈夫ですよ、日輪さん。ちゃんと話せば、叶実さんも分かってくれますから」


 このまま、日輪さんまで元気をなくしてもらっては困ると思い、フォローするような言葉を投げかけるものの、それが逆に日輪さんにとっては追い打ちのようになってしまった。


「いいえ……私、昔からそうですの」


 日輪さんは、はぁ、と大きなため息を吐いたのちに、僕に言った。


「自分で余計なことを言ってしまって、相手に嫌われる。本当に言いたいことは何も言えずに、強がってばかりの私の傍にいてくれる人なんて、三森くらいだったわ」

「日輪さん……」

「ごめんなさい。せっかく、あなたにまで協力して頂いているのに、これでは、ますます七色咲月に嫌われてしまうだけですわね……」


 日輪さんは、悔しがるように奥歯を噛みしめる。

 そして、僕だけしかいないテーブルで、彼女は自分の心情を吐露する。


「私、ずっとあの人に憧れていましたの。七色咲月は、私にとって憧れであり、目標だったのよ。確か、あなたも『ヴァンラキ』が好きだと仰っていましたわね? でしたら、その理由はお分かりになるでしょう?」


 そう尋ねてきた日輪さんだったけれど、僕が返事をする前に、彼女は言った。


「『ヴァンラキ』は、読んだ人たちに勇気や希望を与えてくれる作品でした。少し大げさに聞こえるかもしれませんが、きっと、あの作品を読んで、私のように感じた読者は多いと思います」

「……そう、ですね」


 僕は、日輪さんの意見を肯定する。

 何故なら、その勇気や希望を貰った読者の1人こそが、僕だからだ。


「七色咲月は、人の『心』を動かせる作品を生み出すことができる作家です。悔しいですが、私の作品には、まだそこまでの力はありません。その証拠に、私のデビュー作は『ヴァンラキ』と違って、すぐに打ち切りになりました」


 それは、日輪さんが僕の前で始めてみせた、弱音だった。


「だからこそ、私はあの人にずっと作品を書いてほしいと思っていました。それなのに、全然作品を書かなくなって……それで、パーティーで姿を見たときについカッとなって、あんなことを言ってしまったんです……」


 日輪さんは、その日のことを後悔するように、自分の心情を僕に全部伝えてくれた。



「私はこれからもずっと、七色咲月には目標であり、ライバルであって欲しい……。今日は、それだけは、ちゃんと伝えようと思ったんです……」



 それは、日輪牡丹という作家にとっての、願いだった。



 その気持ちは、僕にも十分に伝わってきたし、彼女がどれだけ、叶実さんのことを想ってくれているのかも理解できた。



 だけど、それを伝える相手は、僕ではない。



「日輪さん……今のことを、叶実さんに伝えましょう。そしたら、叶実さんも日輪さんのことをわかってくれると思います」

「そう……ですわね。ありがとう、瀬和せわ津久志つくし。私、頑張りますわ」


 彼女は、目に溜まってしまっていた涙を拭い、決意を固めた表情に戻る。


 そうだ。

 今の彼女の気持ちを、叶実さんに届ければ――。



「いえ、その必要はありません」



「「!?」」


 僕と日輪さんが、同時に反応して、声のしたほうを振りむく。

 すると、まるで最初からそこにいたかのように、三森さんが立っていた。


「み、三森!?」

「三森? 誰ですか、それは? 私は『みもりん』だとご紹介したはずですが、お嬢様?」


 慌てる僕たちとは対照的に、三森さんはいつもの無表情のまま、そう答える。


「僭越ながら、私、長年のメイド修行の末に、気配を消す能力を身に付けまして。お嬢様と旦那様には、私の姿はお見えになっていなかったことでしょう」

「な、なによ、それ……」


 自分の専属メイドに、とんでもない能力が備わっていることを知った主である日輪さんは、驚きというより、恐怖に近い顔を浮かべていた。


 しかし、驚くべきことは、三森さんの特殊能力だけではなかった。


「ただ、この能力には欠点がありまして、私と同行をした場合、その人物の気配も一緒に消えてしまうのですよ」

「…………は?」


 三森さんの言動に、全く理解が追い付いていない日輪さんだったが、僕はその説明を聞いた瞬間、気づいてしまった。



 ――彼女の背中に隠れるように、人影が存在していたことを。



「…………あの、牡丹ぼたんちゃん」


 そして、三森さんの影から出てきた人物は、日輪さんに向かって告げる。



「今の話……本当?」



 そこには、僕たちなんかより、ずっと驚いた顔を浮かべた叶実さんの姿があったのだった。

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