閉幕『ヴァンパイア・ブラッド・キラー』 第11巻 抜粋


 ――スヴェンさん。


 暗闇の中で、ある少女の声が聴こえる。

 その声は、ずっとスヴェンが追い求めてきた少女の声だった。

 そして、彼女は今、スヴェンの目の前に立っていた。


 修道服を着た、金色の髪の少女。


 やっと、会うことができた。

 スヴェンは手を伸ばして彼女に触れようとするが、届かない。

 足を動かそうとしても、誰かに掴まれてしまったかのように、その場から動けない。

 そんな自分を、彼女は優しく微笑みながら、少しずつ遠くなっていく。


 待ってくれ。

 俺もお前と、一緒に行かせてくれ。


 そう告げたスヴェンだったが、彼女はゆっくりと首を横に振った。


 ――いいえ、スヴェンさんは、こっちに来てはいけません。

 ――スヴェンさんはまだ、やらなければいけないことがあるんですから。


 彼女の姿が、徐々に薄れていってしまう。

 スヴェンは咄嗟に、口を開いた。


 ならば、教えてくれ。

 お前は、俺を憎んでいるか?


 すると、彼女は口に手を添えて、優しく笑った。


 ――ふふっ、そんなこと、あるわけないじゃないですか。

 ――スヴェンさん、私は。



 ――あなたと出会えて、幸せでした。



  〇 〇 〇


「…………」


 スヴェンが目を覚ますと、仄かに橙色に光るランプが天井につり下がっているのが見えた。

 そして、自分の顔を覗き込む女性と目が合う。


「やっと、目を覚ましましたね」


 ぼんやりとする頭で、なんとかスヴェンは彼女に返事をする。


「……カメリア」

「久しぶりね。随分と痩せこけたから、最初は、誰だか分からなかったわ」


 カメリアは、冗談交じりにそう口にした。

 カメリアの言う通り、確かに今のスヴェンにかつての覇気は感じられず、弱り切った身体は、まるで何十年も時が経ったように衰えていた。

 しかし、姿が変わったのはスヴェンだけでなく、カメリアには以前なかったはずの眼帯が左眼に付けられていた。


「また、あなたを助けることになったわね。感謝しなさいよ」

「助けた……? ああ、そうか……俺は……」


 スヴェンの中で、今までの記憶が再生される。

 この2年間、スヴェンは政府から用意された研究施設で、ジャンヌを蘇らせる研究を続けていた。

 だが、どれも失敗に終わり、彼女の姿をしただけの肉の塊が増えていくだけで、スヴェンにとっては地獄の日々だった。


 もう、死んでしまいたいとさえ、何度も思った。

 そうすれば、また彼女と会えると思ったから。


 だが、そんな思考は、小屋の扉が開く音で遮られる。


「……あっ。お兄ちゃん、起きたんだ」


 そう言いながら入ってきた女性は、長い白髪に、白衣を着ていた。

 そして、スヴェンの怪訝そうな顔を見て、ため息を吐きながら話し始める。


「……その顔、ボクのこと分かってないでしょ? 酷いなぁ、お兄ちゃんは」

「お前……シルか?」


 半信半疑でそう尋ねたスヴェンに対して、シルは得意げな笑みを浮かべて答える。


「そうだよ。どう? もう子供扱いできないでしょ?」


 ふんっ、と鼻を鳴らしてこちらを見てくる仕草は、確かにスヴェンの知っている負けず嫌いな少女を彷彿とさせた。

 しかし、スヴェンが知っていた頃のシルとは見違え、身長もカメリアと遜色がないほど伸びている。


「カメリア。もうすぐジェルベラが来る時間じゃなかったっけ?」

「そうね。ありがとう、シル。すぐに合流地点に向かうわ。あなたはどうするの?」

「ボクはいいよ。他に調べておきたいこともあるし、あいつと会うのは嫌だから」

「あら? ジェルベラのほうは、あなたに会えなくてガッカリするんじゃない?」

「冗談でしょ? あいつだって、ボクのこと嫌いでしょ? 未だにチビチビ言ってくるんだよ?」

「はぁ……本当に、あなたたちは変わらないわね」


 やれやれ、といった感じで、カメリアは首を振る。

 スヴェンには、2人が話している内容に全くついていけなかった。

 しかし、それを読み取ったのか、カメリアがスヴェンに話しかける。


「スヴェン、少し歩けるかしら? あなたがいなくなってからの2年間、私たちが何をしていたのか、村を見ながら話すわ」


 そう言われて、スヴェンはベッドから起こされる。

 歩くことすら、随分と久しぶりのように感じた。

 だが、しっかりと自分の足で立って、スヴェンはカメリアたちと共に小屋を出て行く。


 すると、外は夜の闇に包まれ、空には満月が浮かび上がっていた。

 しかし、周りにはスヴェンたちがいたような小屋がいくつも並んでいた。

 そして、その小屋の中からは、人……ではなく、吸血鬼たちの気配を感じる。


「ここは、私とシルたちで作り上げた吸血鬼たちの村です」

「吸血鬼たちの……村?」

「うん。お兄ちゃんも、政府が吸血鬼を捕獲していることは知っているでしょ? だから、隠れ蓑として、こういう拠点をいくつかボクたちが作ってるんだ」


 それから、カメリアとシルの口から現状をスヴェンは聞くことになる。

 彼女たちが、この国の吸血鬼たちを守るために戦っていること。

 そして、あのジェルベラさえも、今は彼女たちに協力していること。

 スヴェンの知っている世界が、あの日から大きく変化していた。


「なぜ……」


 話を聞き終えたスヴェンは、2人に問いかける。


「なぜ……お前たちはこんなことをしているんだ?」


 すると、さも当然のように、シルは答えた。


「ボクは、お姉ちゃんが信じる世界が見たかった。人間も吸血鬼も差別なく生きていける世界にできるんだって、言ってくれたから……」


 しかし、シルは俯きながら、ぽつりと呟く。


「だけど、現実はそんなに甘くない。こうやって、ボクたちは今もこうして、隠れながら生きてる」


 それは、スヴェンも痛感していることだった。


 いつだって、吸血鬼たちは存在を否定され続けてきた。

 たとえ、ローズ=マリィが死んでしまったとしても、その認識が変わることはなかった。


 だが、シルは力強く、言葉を紡ぐ。


「だけど、ボクは諦めない。だって、お姉ちゃんがくれた希望を、ボクが費やすわけにはいかないから……」

「シル……」


 そして、シルに続くように、カメリアもスヴェンに告げる。


「ええ。私たちの力など、ちっぽけなものかもしれません。ですが、私もこれが正しい選択だと思っています。スヴェン、あなたも……」


 しかし、カメリアの言葉は、そこで不自然に途切れてしまう。

 だが、その理由は、すぐにスヴェンも分かってしまった。


 幼い少女が、こちらに向かって歩いて来ていたからだ。

 それを見つけたカメリアは、その子に話しかける。


「……ジャネット。どうしたの?」


 ジャネット、と呼ばれた少女は、赤い瞳をした、金色の髪を結わえた子供だった。

 そして、その少女はスヴェンを一瞥して、口を開く。


「……これ、お兄ちゃんに渡そうと思って」


 少女が差し出してきたものは、白と黄色の花を咲かせた花束だった。


「俺に……?」

「うん……。お兄ちゃん、凄く大変なことがあったって……シル先生たちから聞いたから……だから、このお花を摘みに行ってたの」


 スヴェンは、言われるがままに、その花を手に取る。

 夜だというのに、その花は意思を持っているかのように、わずかに光っているようだった。


「……珍しいでしょ。それ、この辺りにしか咲かない花みたいなんだ。文献にも載ってなかったから、ボクたちが勝手に名前を付けたんだけどね」


 シルはそう付け加えて、少女に言った。


「ジャネット。このお兄ちゃんに、この花の名前を教えてあげて」

「うん。えっとね、この花はね……」


 そして、少女はスヴェンに笑顔を向けながら、花の名前を告げる。



「ジャンヌ・ダルクっていうんだよ」



「ジャンヌ……ダルク」

「私たちは、『希望の花』とも呼んでいるわ。暗い夜の中でも、光を放つその不思議な花の名前としては、ぴったりでしょ?」


 スヴェンは、受け取った花をもう一度見つめる。

 すると、自然と彼女の顔が浮かび上がってきた。



 本当に、わずかな時間しか、一緒に過ごすことができなかった。


 もう、あの時間には戻ることはできないのかもしれない。


 だが、スヴェンの中には、今もジャンヌの姿が鮮明に浮かび上がってくる。



「そうか……」


 そして、スヴェンはその花を抱きかかえるようにして、嗚咽を漏らす。


「お前はずっと、ここにいたんだな……」


 スヴェンは苦しくなる胸を押さえながら、そう呟く。

 だが、その痛みは、どこか心地よくて、温かいものだった。


「……どうしたの、お兄ちゃん?」


 ジャネットと呼ばれる少女が、膝をつくスヴェンを心配そうに見つめる。

 しかし、スヴェンは何も答えずに、ただ泣き続けた。



 だが、それは悲しみの涙なのではなく。


 彼がまた、新しい一歩を踏み出すための、別れの涙だった。



〈了〉



 オリポス文庫 著:七色咲月

『ヴァンパイア・ブラッド・キラー』 11巻収録「最終話:新たな始まり」より抜粋


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