Epilogue 甘えたがりのぐうたら彼女とこれから
それから、
年末年始といえば、世間的にも華やかな恒例行事があったりするものだが、叶実さんは1日も無駄にせず、原稿を仕上げていた。
「うう~! 疲れたよ~、津久志くん~! お腹すいたよぉぉぉ~!!」
と、まぁ、こんな感じで弱音を吐くこともあったりしたけれど、ちゃんとご飯を用意してあげたり、一緒に遊んであげたりすれば、元通りまた原稿へと向かってくれることが多かった。
特に、クリスマスに予約していた『オルレアン』のホールケーキは、6分の1に切り分けたショートケーキを僕が貰い、残りの6分の5を全て叶実さんが1日で食べてしまった時は、流石に言葉が出なかった。
もちろん、飾り付けのチョコレートで作られたお家やプレートも全部叶実さんのものだ。
ただ、そのときに僕は叶実さんから、こんな話を聞いた。
「ありがとう、
叶実さんは、満面の笑みを向けながらそう教えてくれた。
この話で、1つ合点がいったことがある。
初めて『オルレアン』のケーキを買ってきたときに、叶実さんは少し戸惑ったような反応をしていたのは、お父さんのことを思い出したからだった。
偶然、なのかもしれないけれど、僕はなんとなく、叶実さんのお父さんがそう導いてくれたような気がする。
きっと、叶実さんのお父さんも、叶実さんのことを応援してくれているのだろう。
そして、お正月も叶実さんは原稿をしており、姉さんは折角の休みだからと家でのんびりしたいという要望だったので、僕は叶実さんをサポートしながら、のんびり炬燵の中で過ごそうかと思っていたところに、
もちろん、二つ返事でオッケーをして、僕は小榎さんとの初詣へと向かった。
その道中、僕が七色咲月先生が『ヴァンラキ』の続きを書いていることを伝えると、興奮した様子で喜んでくれた。
そして、またいつものように僕たちは『ヴァンラキ』の話をしながら、初詣を終えたあとに、小榎さんからこんな話を聞くことになった。
「私、今年からもっとオーディションを受けようと思っています。色々な役をやって、いつか誰かに応援してもらえるような、そんな声優になりたいです」
そう宣言した小榎さんに「僕はずっと応援してるよ」と伝える。
すると、小榎さんは照れくさそうに頬を掻きながら「あ、ありがとうございます」と言ってくれた。
みんな、自分の夢に向かって頑張っている。
いつか僕も、自分の夢を叶えよう。
そう願いながら、僕は神社の神様に向かって「みんなの夢が叶いますように」と願う元日になったのだった。
そして、3学期を迎えようとする前日の朝。
「できたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
という、叶実さんの声と共に僕は目を覚ますことになる。
急いで叶実さんがいる和室へと向かうと、彼女はパソコンに倒れこむようにして座っていた。
「……へへっ、やっとできたよ、津久志くん……」
ぐっ、と親指を立てて歯をみせる叶実さんは、まるで戦場から帰ってきたパイロットのようだった。
そんな叶実さんに、僕も「お疲れ様です」と労いの言葉をかけると、彼女はまたニコっと笑顔を浮かべる。
「ねーねー、津久志くん。頑張ったご褒美に、何か食べたいよぉ」
「ええ、それくらいならお安い御用ですよ」
時計を確認すると、丁度、朝ご飯を用意する時間だった。
「えっと、簡単なものなら……パンケーキミックスとか残ってましたけど……」
「パンケーキ!!」
こうして、すっかり元気を取り戻した叶実さんは、朝からパンケーキを10枚以上食べるという(しかも生クリームとハチミツましましのスペシャルメニュー)偉業を達成して、幸せそうにソファですやすやと眠っていた。
しかし、昼過ぎになると、叶実さんのスマホに着信音が鳴り響く。
「むむっ……むぅ~。はぁい、もしもし~」
布団から這いずり出てきた叶実さんは、寝ぼけ眼をこすりながら、スマホに手を伸ばした。
「……ふえっ? あ~、霧子ちゃん? うん、うん……。わかったぁ。ちょっと待っててね~」
そして、布団を被ったままスマホを前に出すと、スピーカーに切り替えたようで、僕にも姉さんの声が聴こえてくる。
『おう、津久志。お前もご苦労だったな。原稿、ちゃんと受け取ったぞ』
姉さんは僕に対しても労いの言葉を向けたのち、再び叶実さんに話しかける。
『叶実、さっき読ませてもらったけど……』
姉さんは一息ついたのち、彼女に告げる。
『すげえ良かったよ。よく頑張ったな』
「
『こっからはあたしたちの仕事だ。お前の原稿は責任を持って、あたしたちが読者に届ける。ひとまず、お疲れ様』
姉さんの声は、僕に話しかけてくるような、優しい声だった。
そして、姉さんは大切なことを確認するように、叶実さんに告げる。
『これで、ヴァンラキは完結でいいんだな?』
その言葉を聞いて、叶実さんはひと呼吸おいたのち、はっきりと頷く。
「……いいよ。これが、あの子たちにとって1番だと思うから」
『そっか……』
姉さんは、特に何かを言うことなく、噛みしめるように返事をした。
なんとなく、僕も予想はしていたことだ。
これで、『ヴァンラキ』の物語は終わりを迎える。
だけど、今の叶実さんが、それが1番なのだというのなら、間違いないはずだ。
『んじゃ、誰かさんのお陰であたしも忙しくなるし、仕事するわ』
そういって、姉さんはあっさりと通話を終了させる。
いつも通りといえば、いつも通りの姉さんの対応だったけど、
「……へへっ」
叶実さんは、スマホを見つめたまま、嬉しそうに微笑んだ。
「良かったですね、叶実さん」
「……うん」
素直にそう頷いた叶実さんだったが、スマホを手に取った瞬間、「あっ!」と声をあげる。
「うそっ! 限定クエスト発生してる!? すっかり忘れてたっ!」
あわわ! と叶実さんが物凄い速さで指を動かし始めたので、僕は邪魔をしないように自分の部屋へと戻る。
そして、今度は自分のスマホを手に取って、ある人に連絡を入れる。
『あ? なんだよ、津久志。さっき話したばっかだろ?』
怪訝そうに対応したのは、もちろん姉さんだった。
「ごめん、ちょっと確認したいことがあってさ」
『手短に済ませろよ。社会人は忙しいんだ』
それならば、と、僕は単刀直入に姉さんに問いかける。
「姉さん。本当は叶実さんの『ヴァンラキ』の原稿、1回受け取ってたんじゃないの?」
ほんの数十秒、僕たちの間に沈黙が生まれる。
『…………あいつが言ったのか?』
しかし、姉さんはすぐに問い返してきたので、僕の考えを伝えた。
「ううん。叶実さんからは聞いてないよ。だけど、なんとなく、そうなんじゃないかと思って」
本当のことをいえば、確信を持ったのは、僕が叶実さんの最初に書いた『ヴァンラキ』を読ませて貰ったときに、彼女の発言を聞いたときだ。
――なんでみんな……わたしの好きにさせてくれないの
――津久志くんも霧子ちゃんも……ファンのみんなだって
あのとき、僕だけじゃなく、姉さんの名前も一緒に出てきた。
ファンの人の意見は、叶実さんが自分で調べたことだろうけど、姉さんが担当になったのは叶実さんのお父さんが亡くなったあとの話だ。
ならば、時系列的に姉さんは叶実さんが書いた『ヴァンラキ』を一度も見たことがないはずなのだ。
まぁ、これは状況証拠でしかないので、いくらでも否定できそうなものだけど、姉さんは否定しなかった。
『津久志。大事なことだから言っとくけどな、あたしたちは作家の最初の読者なんだ。だから、責任を持って駄目なものは駄目だって言って、原稿は受け取らねえ。それがあたしたちのプライドだ』
ただ、姉さんは僕にそれだけを伝えた。
もしかしたら、姉さんは全部分かってて、僕を叶実さんに会わせたのかもしれない。
叶実さんを、決して1人にしない為に。
彼女の物語に救われた、僕みたいな人間がいることを教える為に。
でも、もしそうなのだとすれば。
僕の役割は、これでお終いだ。
「姉さん……。僕、いつくらいにそっちに戻ればいいかな?」
僕が叶実さんの家にいた理由は、彼女が『ヴァンラキ』の原稿を書くためだ。
そして、叶実さんは無事に原稿を書き終え、『ヴァンラキ』は完結する。
だから、僕はもう……。
『はぁ? 何言ってんだよ?』
しかし、姉さんからは不満どころか、怒りにも似た返事がきた。
『お前な……。ヴァンラキが終わっても、あいつの作家人生が終わったわけじゃねえんだぞ。気に喰わねえが、あいつはウチの看板作家だからな。なら、新作書かすに決まってんだろ』
「し、新作……?」
いや、確かにそうかもしれないけど……今の叶実さんなら、僕がいなくても……。
『バーカ。あいつを舐めんなよ。あたしの予想じゃ、この仕事が終わったら、またぐうたらモードに戻るぞ。そんな奴を1人にさせるわけねえだろ』
つ、つまり……?
『だーかーら。まだまだお前にはあいつの面倒を見てもらわなきゃ困るんだよ。そんで、ヴァンラキに負けねえくらいの作品書かせろ。いいな?』
姉さんの有無を言わせぬ口調に、僕は黙ってしまう。
『もういいか? んじゃ、あいつの世話宜しくな~』
しかし、姉さんはそれだけ言って電話を切ってしまった。
「…………ええー」
そして、僕から出てきた台詞は、そんな呆気に取られた言葉だった。
だけど、何故か僕の心は、弾んでいた。
その気持ちのまま、僕は自分のパソコンの電源を入れる。
叶実さんが、また新しい作品を書き始める。
そう思ったら、僕も自分の手を動かさずにはいられなかった。
そして、自分の原稿を進めようとしたところで、
「……あれ?」
つい、いつも通り投稿サイトのブラウザを立ち上げたところで、マイページに通知が届いていることに気が付いた。
『新着コメントが届いています』
僕は慌てて、その通知をクリックする。
すると、僕が投稿していた作品に、誰かからのコメントが追加されていた。
『凄く面白いです! 更新、楽しみに待っています!』
僕はそのコメントを見た瞬間、目の奥が熱くなって、思わず声を漏らしてしまいそうになる。
今まで、僕の作品なんて誰にも読んでもらってないと思っていた。
だけど、僕の作品を待ってくれる人がいる。
それだけで、僕がこうして作品を書き続ける意味があったのだ。
「津久志く~んっ!」
すると、突然扉が開いて、叶実さんが入ってくる。
「ねえねえ! これ見てよ! 超Sレアキャラ!! ずっと欲しかったやつ!!」
僕の肩に手をまわしながら、スマホで画面を僕に見せて、キャッキャと騒ぐ叶実さん。
「あれ、津久志くん? パソコンで何か見てたの……?」
「い、いえ! 別に何も!」
別に隠すことはなかったかもしれないけれど、僕はノートパソコンを勢いよく閉じたあと、誤魔化すように叶実さんの話に乗っかる。
「そ、それより! 欲しいキャラがゲットできて良かったですね、叶実さん!」
「うん! もうね、●万円突っ込んだときは駄目かと思ったけど、本当に良かったよ~! 2回連続天井も覚悟してたんだけど……あっ」
さっきまで嬉々として話していた叶実さんだったが、何かに気付いたように顔が膠着する。
だが、もう遅い。
「……叶実さん。今なんて言いました?」
「え、ええー。なんて言ったかなぁ~。あはは~……」
「課金のしすぎは駄目だって、この前も言ったじゃないですかっ!!」
「ご、ごめんなさいっ! で、でもねっ! このキャラ期間限定で……」
「言い訳は聞きませんっ! 課金した分は、お菓子代から差し引きますからね」
「ええっ!? 酷いよっ、津久志くん!!」
叶実さんは、子供のようにワンワンと泣きながら、僕に抱き着いてくる。
ほのかに香る甘い匂いのせいで、全てを許してしまいそうになるが、なんとか理性を踏み留める。
「いえ! 姉さんから任されている以上、叶実さんには限度を守ってもらいます!」
「そ、そんなぁ~」
叶実さんは、とても年上とは思えない甘えた声を上げながら、しばらく僕への抗議を辞めなかった。
だけど、僕は甘えたがりの彼女を、決して甘やかしたりはしない。
そして、これからもそんな僕たちの関係は続いていくのだろう。
だけど、いつか僕も。
彼女の隣にいられるような、そんな人間になろうと思う。
それが、僕が選んだ、自分自身の物語だ。
(追記)
この日から3ヶ月後。
七色咲月先生の作品、『ヴァンパイア・ブラッド・キラー』の11巻が発売される。
堂々完結、という謳い文句と共に、待ちわびたファンからは最新刊が無事発売されたことへの喜びと、作品が終わってしまう悲しみの声が飛び交った。
そして、読んだ読者たちからは、ネットや編集部宛てに多くのメッセージが届いたそうだ。
果たして、それがどんな内容だったのか。
それが分かるのは、もう少し先の、未来の話だった。
【第2部へ続く】
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