第48話 この物語がフィクションだとしても
「い、家出?
今まで特に何も言わずに聞いてくれていた
「えっと……そんなに意外でした?」
「う、うん……だって、津久志くんから一番遠いイメージというか……」
少し困ったような表情を見ると、本当に僕は『家出』というワードからかけ離れた人間のようだ。
実際、あのときは母さんも相当驚いたようで、父さんが止めなければ警察にまで連絡をしようとしていたらしい。
「えっと、でも、津久志くん、家出したあとはどうしたの? 誰かのお家に泊めてもらった、とか?」
「いえ……少し話しましたけど、僕にそんな友達はいませんでした」
「だったら……」
どうしたの? と、叶実さんが問いかえす前に、僕は正解を口にした。
「姉さんに電話したんです。僕にだけ、姉さんは携帯の番号を教えてくれてたんです」
姉さんが家を出て行くその日に、僕は姉さんから口頭で11ケタの番号を教えてもらっていたのだ。
もちろん、父さんたちが知っている姉さんの連絡先は、スマホごと置いていったので2人はずっと姉さんと連絡が取れない状態になっていたし、姉さんを探すつもりもなかったのだろう。
「……成程、それを津久志くんがメモとして残してたってことなんだね」
「いえ? メモは残してないですけど……」
メモなどは姉さんから止められていたので、しっかりと忘れないように頭の中で覚えていたのだ。
「……えっ? じゃあ、ずっとその11ケタの数字を覚えていたってこと? えっと、
「でも、多分僕がメモとか残してたら、母さんたちにバレると思ったんでしょうね」
「き、霧子ちゃん……。昔からそんな滅茶苦茶だったんだ……」
何やら、僕が思ってる別のところで叶実さんが驚いているようだった。
「でも、それからどうなったの、津久志くんは?」
だが、叶実さん自身で話を軌道修正してくれたので、僕もそのまま話を続ける。
「姉さんは、電話を掛けたら、すぐに迎えに来てくれました。それで、1日だけ姉さんの家で過ごしたんです」
そのとき、姉さんには事情を殆ど話さなかった。
だけど、「家に帰りたくない」と言った僕を、姉さんは何も聞かずに一緒にいてくれた。
僕の中では、うっすらとした記憶しか残っていなかった姉さんだったけど、やっぱり彼女は僕の知っている姉さんだった。
そして、次の日の朝に、姉さんはもう一度「お前、家に帰りたくねえの?」と問いかけてきた。
だから、僕は「うん」と、はっきりと姉さんに告げた。
「そしたら、姉さん。あれだけ会おうとしなかった僕の父さんたちに会って、僕を預かるって言ってくれたんです」
そのとき、母さんは姉さんのことを、まるで疫病神が何かを見ているような嫌悪感で見ていたし、父さんも無表情のまま、何も言わなかった。
ただ、母さんは最後まで僕が姉さんのところに行くことを反対し続けた。
それでも、僕はそのとき、もう自分の中で決めていたのだ。
「僕は……自分のことは自分で決めようって、思ったんです。自分が何をやりたいのか? 自分が将来どうなりたいのか、そういうのを、自分で責任を持って、選択したかったんです」
今までとは、違う生き方をしてみたかった。
ただ誰かが望むままの『
僕は、僕自身がやりたいことをやっていきたい。
そして、そのキッカケを与えてくれたのが――。
「叶実さんが書いた、『ヴァンラキ』だったんです。僕も、スヴェンはジャンヌみたいに、自分で選んで生きていこうと思ったんです」
こうして、僕は中学を卒業してから、姉さんの家へと転がり込むことになった。
「だから、僕が変われたのは、『ヴァンラキ』の……叶実さんのおかげなんです」
きっと、そんな人は僕だけじゃない。
物語はフィクションだ。
物語の中に出てきた登場人物たちは、この世に存在もしていなければ、起こった出来事も全て嘘である。
でも、僕たちがその子たちから励まされ、勇気を貰い、明日を生きていく為の力を貰っているのは、決して嘘なんかじゃない。
そして、僕が出会ったあの子だって同じはずだ。
もう、あれから僕が連絡をしても、返事は来ない。
最後に返ってきたメッセージは「迷惑をかけて、ごめんなさい」というものだった。
だけど、彼女もきっと『ヴァンラキ』の続きを待っている。
だから――。
「叶実さん。僕は『ヴァンラキ』がどんな結末になろうと、好きだという気持ちは変わりません。けど、叶実さんが後悔するような最後にだけは、しないでください」
僕は、はっきりと彼女に、そう告げた。
「……駄目、だよ」
しかし、彼女は僕から顔を逸らして、ぽつりと呟く。
「……わたしには、書けないよ」
揺れた声で、叶実さんはなんとか言葉を紡ぐ。
「……わたしだって、こんな終わり方は悲しいって分かってる。だけど、書けないんだよ……」
彼女は肩を震わせて、僕に告げる。
「だって……スヴェンは、ずっと傍にいる人が死んじゃったんだよ……。自分だけまた独りぼっちになっちゃうなら……」
そして、彼女はまた、口を噤んでしまった。
……やっぱり、叶実さんは僕が思っていた通り、苦しんでいた。
それは、小説を書けないからじゃない。
書きたい小説が、書けなくなってしまっていたのだ。
きっと、僕なんかが想像できないくらい、この2年間、ずっと叶実さんは苦しんでいて、何度も現実と向き合おうとしてきたのだろう。
誰もいなくなってしまったこの部屋で、たった1人で現実と戦い続けてきた。
だから、僕に出来ることは、1つしかない。
「叶実さん。叶実さんは、今も独りなんですか?」
「……えっ?」
「……僕は、違うと思います。叶実さんの周りには、沢山の人がいるじゃないですか。姉さんや、廻さん。それに、『Colette』の店長さんや……僕だっています」
「津久志くん……」
「叶実さんは、1人なんかじゃないです」
僕がこうして、叶実さんと一緒になったのも、ただの偶然なのだろう。
だけど、その偶然は、やっぱりただの偶然ではない。
僕が彼女の書く物語が好きだったから、僕たちは出会うことができたんだと思う。
僕が『ヴァンラキ』を通して、沢山の人に出会えたように。
叶実さん自身も、沢山の人と出会えたはずだから。
「叶実さん。僕は、叶実さんの笑顔が大好きでした。いつも楽しそうで、ちょっとだらしないところもあるんですけど、それでも、僕は叶実さんのあの笑顔が『嘘』だなんて、思えないんです」
今まで、一緒にいた僕だから証明できることがある。
叶実さんの悲しみは、多分、これから消えることはないんだと思う。
だけど、それはイコールで、未来の出来事を否定することではない。
もし、お父さんを亡くしてしまった今の叶実さん自身を、ジャンヌを失ってしまったスヴェンと重ね合わせているのなら。
書くべき物語は、今のバッドエンドのようなものじゃない。
「叶実さん。どんなに苦しくて、寂しくなっても、それで未来のことを否定しないでください」
きっと、生きていれば、新しい出会いが待っている。
現実と戦う力を、彼女はちゃんと持っている。
「だって、叶実さんは、僕を変えてくれた人なんですから」
僕は、堂々と、自分の気持ちを彼女に告げた。
これが、果たして正解なのかどうかは、正直分からない。
僕と一緒にいることで、叶実さんの悲しみを癒すことはできないのかもしれない。
だけど、ほんの少しでも、叶実さんがこれからの未来に希望を見出してくれるのなら。
僕は彼女のファンとして、これからもずっと、支えていきたい。
「……り、が、とう……」
そして、彼女は嗚咽を漏らしながら、途切れ途切れの声を発する。
けど、次の言葉は、ちゃんと僕にも聞き取れた。
「ありがとう……津久志くんっ!」
我慢できなくなったのか、叶実さんは、子供のように、僕の前で泣き続ける。
「わたし……書けるかな……? ちゃんと、あの子たちを幸せにできるかな……?」
そして、そんな疑問をぶつける叶実さんに、僕は当然のように答える。
「はい、もちろんです。だって、叶実さんの物語なんですから」
そういって、僕は力強く、彼女の言葉に相槌を打つ。
すると、叶実さんは小さな声で、もう一度「ありがとう」と言った。
お礼を言いたのは僕のほうで、まだまだ僕が彼女から貰った恩を返せてはいないだろう。
だけど、今だけは、僕が与えられた使命を全うするために、これまで何度も言ってきた台詞を彼女に告げる。
「叶実さん。原稿、書けそうですか?」
すると、彼女は溜まってしまった涙を全て拭ったのちに、こう宣言した。
「……うんっ! 任せてっ!」
それは、今までで1番、頼りになる返事だった。
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