第47話 僕が知らなかったこと
僕、
なので、まずは父親と母親について話さなくてはならないだろう。
僕の両親。
父親は『瀬和総合病院』の理事長であるお爺さんの一人息子で、今はその病院の外科医として働いている。
世間から見れば、父さんは立派な人だろうし、実際、僕も立派な人だと思う。
だけど、僕は小さい頃から父さんと会った記憶があまりない。
たまに帰って来て食事を一緒にするくらいで、あとは病院に行ったり、自室にこもって何かをしているくらいしかなかった。
ただ、強烈に記憶に残っているのは、姉さんが家を出て行った日のことだ。
ずっと物静かだった父さんが、初めて声を荒げて言い争いをしている場面をみたのだ。
もちろん、姉さんも言い返していて、内容は全然覚えていないけど、僕はそれを見ているのが怖くなって、ずっと部屋に隠れていたような気がする。
そして、姉さんはいなくなって、父さんたちは姉さんの話を一切しなくなり、姉さんの話は家庭内のタブーとなってしまっていた。
だけど、父さんはそれから僕によく声をかけてくれるようになった。
特に、学校の成績を話すと、父さんが喜んでくれる。
幼い心ながら、そう読み取った僕は、ひたすら勉学に勤しんだ。
その結果、小学校は公立の学校だったけど、中学校は地元の有名私立を受験して、合格することができた。
そのときも、父さんは僕を褒めてくれて、母さんも「よく頑張ったわね」と言ってくれた。
母さんは、ずっと僕に優しかった。
専業主婦として、家のことは全て任されていた母さんは、僕の育児にも献身的な立派な母親だった。
だけど、いつも口癖のように言っていたことがある。
――津久志は、
何故、こんなに優しい母さんが、姉さんのことだけをそんな風に言うのか、幼い僕はずっと不思議だったけれど、姉さんが出て行ったことで、母さんはますます僕に優しくなっていくと同時に、姉さんの話を全くしなくなった。
――津久志。あなただけは、ちゃんとお父さんみたいな立派な人になってね。
それは、まるで呪いのようになっていき、僕は父さんや母さんを悲しませない為に『良い子』でいるようになっていった。
僕の『良い子』というのは、大人の話を聞いて、学校の成績が良くなることだった。
何でも言うことを聞いて「はい」と頷く子供。
それが、中学校に進学するまでの僕だった。
先生の言う通りにすれば。
父さんや母さんの言う通りにすれば。
みんなが笑顔になって、僕を褒めてくれる。
そうやって、いつしか家を出て行った姉さんのことも、僕の記憶から徐々に薄れていった。
そんな僕の学校生活は、酷く退屈なものだった。
親や教師から見れば、僕は優等生だったけれど、同級生たちから見たら、酷くつまらない人間に見えていたのだろう。
休み時間も、誰かと話すくらいなら読書をしていたほういいと思っていたし、誰かと遊ぶような時間があれば、家に帰って自習をするような子供だった。
当然、そんな僕に友達ができるはずもない。
中学生になってからも、僕はずっと1人で過ごしていた。
しかし、そんな僕に、ある転機が訪れる。
それは、中学3年生になった冬の出来事だった。
高校への受験も追い込みの時期だったので、参考書を買いに行こうと立ち寄った大型書店で、1人の女の子に出会った。
その子は、僕が受験しなければ通っていた公立の中学校の生徒で、どうやら僕と小学校が同じだったらしく、何故か僕のことをよく覚えていたようで、話の流れで連絡先を交換してしまったのだ。
それから、僕と彼女の不思議な交流が始まる。
最初の頃は、彼女から一方的に連絡が来て、色々と勉強のことについて連絡が来たので、僕も何故自分が彼女に声を掛けられたのか、なんとなく察することができた。
自慢じゃないが、僕が通っていた中学はそれなりの有名な進学校だったので、彼女は受験に向けて、僕からアドバイスを貰いたかったようなのだ。
その証拠に、休日には図書館などに呼び出されて一緒に勉強をすることもあった。
彼女は真面目な性格で、正直、僕なんかのアドバイスがなくても、聞いていた志望校には問題なく受かるんじゃないかと思ったくらいだ。
それなのに、彼女は僕と一緒に勉強をすることを止めず、メッセージなどでも自分の話をするようになった。
今日はこんなことがあったとか、友達の○○ちゃんは部活動の推薦で他県に行くらしい とか、僕には何にも関係がない話だった。
それでも、彼女は僕に話を聞いて欲しいから連絡を送ってきているのだから、僕も無下にすることはなく、ちゃんと返信をするように心がけていた。
だけど、いつしか僕は、そんな彼女からのメッセージを楽しみにするようになっていた。
そして、そこで知ったのが『ヴァンラキ』だった。
当時はライトノベルというものすら知らなかった僕だが、彼女は嬉しそうに『ヴァンラキ』のことを話してくれる。
別に、気を遣ったわけじゃないけれど、僕が「面白そうだね」と言うと、彼女はその日に『ヴァンラキ』を全巻持ってきて、僕に渡してくれた。
とにかく、読んでみて! という彼女の熱意は相当なもので、借りた以上、そのままというわけにもいかないし、小説なら勉強の合間のいい休憩になるだろうと思って、少しずつ読んでいこうと思ったのだが――。
一言でいえば、衝撃的だった。
僕もそれなりに小説を読んできたけれど、『ヴァンラキ』は僕が今まで読んできた、どの作品とも違うと感じてしまった。
話を合わせるために、1巻だけ読めばいいかと軽い気持ちで読み始めたはずだったのに、僕は夢中になって、気が付けば、彼女から借りた10巻分を全て読み終えていた。
当時は、どうしてそこまで夢中になったのか分からなかったけれど、今なら、その理由がなんとなく分かる。
きっと僕は、スヴェンの姿を自分と重ね合わせていたのだ。
親の言うことしか聞かず、自分の意思なんて持たずに育ってきた少年。
それが、僕とスヴェンの共通点だった。
こうして、僕はすっかり『ヴァンラキ』に嵌ってしまい、休日の勉強会では彼女とよく『ヴァンラキ』の話をするようになった。
そして、『ヴァンラキ』の話をしていた最後には、彼女は必ずこう言っていた。
――早く、次の話が読みたいね。
そんな彼女の気持ちに、僕も同意する。
次の巻が発売すれば、またいっぱい『ヴァンラキ』の話ができる。
それが、僕には待ち遠しかった。
しかし、そんな僕たちの関係は、突然終わってしまう。
ある日、僕が家に帰ると、彼女から借りていたはずの『ヴァンラキ』が無くなってしまっていたのだ。
焦った僕は、部屋中を探したけれど、どこにも見つからない。
あったのは、僕がたまたまその日に学校に持っていっていた1巻だけだった。
そして、部屋の中で呆然と立ち尽くしているところに、母さんが入って来たかと思うと、冷たい声で僕に言い放つ。
――津久志。あなたは霧子みたいになっちゃ駄目だって、あれほど言ったのに……。
そのときの母さんは、酷く悲しい表情を浮かべていた。
何がなんだか分からない僕だったが、母さんはそんな僕に、嫌味なくらい丁寧に説明を始める。
僕が、最近休日に出かけるようになったことを不審に思っていたこと。
心配になって部屋を捜索していると、今までの僕なら絶対に読まないような本が出てきたこと。
僕の後を追って、彼女の存在を知ったこと。
そして、彼女に僕と二度と関わらないようにと、言ったらしい。
一瞬で、僕は頭の中が真っ白になった。
自分が何を言われているのか、全く分からない。
――あの本は、その子に返しておいたから。津久志も、そんな変な子と関わらないでしっかり勉強しなさい。あなたも、大切な時期なんだから……。
その瞬間、僕の中でプツンと、何かが切れてしまった。
気が付いたら僕は、人生で初めて母さんと喧嘩をした。
母さんに対して、何を言ったのかは、殆ど覚えていない。
そして、僕はその日、家出をしたのだった。
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