第46話 ある寒い日の冬の出来事④


 ――書いている途中の原稿を読ませてほしい。


 普通に考えたら、僕たちの間柄だとしても、抵抗されるだろうし、大口を叩いたすぐあとで、許可なんて貰えるわけがないと覚悟もしていた。


「……わかった」


 だから、叶実かなみさんがすんなりとパソコンの横から移動して、僕に原稿を見るように促してきたときは、正直ビックリした。

 そして、自分で言っておきながら、いざ原稿を前にしてしまうと、怖気づいてしまう。


 だが、今更「やっぱりいいです」なんて言えるわけもなく、僕はパソコンの画面をスクロールしながら、叶実さんが書いた『ヴァンラキ』を読み始めた。


  〇 〇 〇


 書き出しは、スヴェンたちがルアン城での決戦を終えた2年後の話から始まっていた。


 2年後の『ヴァンラキ』の世界では、聖女ローズ=マリィが死亡したことで、サザンクロス教会は瓦解し、実権は政府組織に握られてしまうことになる。

 だが、政府組織はローズ=マリィが最も恐れていた吸血鬼たちの捕獲をおこない、彼らを『商品』として、扱うようになってしまっていた。


 それを阻止すべく、カメリアは同じ聖神官であったジェルベラと、わずかながらの同志を集め、共に反乱組織を設立。

 シルも、かつて自分を拾ってくれたヴィザージュの研究メモを頼りに、吸血鬼の生体について研究を行いつつ、カメリアたちと同盟を組み、政府から吸血鬼たちを保護する活動を担い仲間を集めていた。


 だが、そこにスヴェンの描写は一切なく、彼が何をしているのか不明のまま物語は進んでいく。


 そして、物語の終盤で、カメリアは政府機関に所属していたスヴェンを発見する。

 だが、彼を見つけた場所でカメリアが見た光景は、想像を絶するものであった。


 スヴェンが身を潜めていたのは、研究所のような施設で、大量の培養カプセルが陳列している場所だった。

 そして、そのカプセルの中には、ジャンヌそっくりの人間が保管されていた。

 その数は、何十体と並び、彼女たちは皆、目を瞑ったまま動きもしない。


 これは一体、どういうことなのかと問いかけるカメリアに対して、スヴェンは何も答えない。

 その異変に気が付き、カメリアは自分に背中を向けて、座った状態のままのスヴェンに近づくと、強烈な腐敗臭が漂ってくる。



 そして、カメリアが見たスヴェンの姿は、やせ細ったまま、もう死んでしまっているスヴェンだった。



 彼の死体の近くには、大量の資料が散らばっており、そこには彼の日記のようなものも残っていた。


 ローズ=マリィが殺したあの日から、ジャンヌを生き返らせることだけに時間を費やし、自らの身体に残ったジャンヌの血を採取し、クローンとして蘇らせようとしたのだが、どれも失敗に終わってしまったことが記されている。

 その実験回数は、何千、何万回も行われており、その度にスヴェンの悲痛な想いが綴られてあった。


 そして、最後に書かれたと思われる文章には、こう記されてあった。



 俺も、お前のところへ行けば良かったのか……。

 そうすれば、また、お前と……



 その言葉をカメリアが読んだところで、叶実さんが書いた文章は途切れてしまっていた。



  〇 〇 〇



「…………」


 全て読み終わった僕は、絶句したまま、しばらくその場で呆然としてしまった。


 ヒロインに続き、主人公の死亡。


「……これで、『ヴァンラキ』は終わってしまうんですか?」

「そうだよ」


 やっと、そう問いかけることができた僕だったが、叶実さんはあっさりと肯定した。


「……これが、わたしの『ヴァンラキ』の最後だよ」


 その声色からは、どんな感情が混じっているのか、僕には分からない。

 だが、僕は叶実さんに聞かなければならない。


「叶実さんは、本当に……これでいいと思って書いたんですか?」

「……そうじゃなきゃ、わたしだって書かないよ」


 僕の質問に対して、今度は明らかに不満そうな声で返答した。


「いいよ。素直な感想を言ってくれて。大体、予想はできるけどさ……」


 僕から顔を背けながら、そう呟く叶実さん。

 多分、叶実さんは僕が不満の声を上げると思っていたのだろう。

 だからこそ、僕は正直に、彼女に感想を伝えた。


「……面白いと、思います」

「……えっ?」


 叶実さんは、鳩が豆鉄砲を喰らったときのような顔になっていた。

 まさか、僕から称賛の声が上がるとは思っていなかったのだろう。

 だが、僕がこの原稿を読んだ感想は、素直に『物語として、面白い』と感じたのだ。

 元々、『ヴァンラキ』がダークファンタジー作品ということもあって、こういった鬱々とした展開に耐性があったからかもしれないし、最後のスヴェンの死に到着するまでのストーリーラインもきっちりしていて、読むのが止まらなかった。

 間違いなく、これは七色咲月先生が書いた『ヴァンラキ』なのだということが分かるクオリティだった。


「やっぱり、叶実さんは凄いです。こんなに面白い作品が書けるんですから……」

津久志つくしくん……」


 でも、やっぱり僕は……。



「それでも、これは叶実さんが書きたかった『ヴァンラキ』ではないと思いました」



 僕はもう一度、叶実さんに自分が感じたことを伝えた。


「……どうして?」


 そして、叶実さんは僕に問いかける。


「どうして、津久志くんは、そんなことを言うの?」


 本当に分からないと、そう思っているのか、困惑した表情を僕に見せる。

 僕だって、多分何も知らなければ、これが七色咲月先生が書いた『ヴァンラキ』だと認めていただろう。

 だけど、僕が夢羽叶実さんという人と一緒に過ごして、ずっと傍にいたからこそ、叶実さんの本当に書きたかった『ヴァンラキ』の最後ではないと、そう思ってしまったのだ。


「……叶実さん。少し、僕のことを話してもいいですか?」


 だから、僕は僕なりに、叶実さんにこの感情を伝えようと思った。

 きっと、物語としてはとても酷くつまらないものになってしまうかもしれない。


 それでも、伝えるならば、今しかない。


「僕が、どうして『ヴァンラキ』を好きになったのか――」


 こうして、僕は叶実さんの許可も貰わないまま、自分語りを始めてしまった。

 これから話すことは、僕がずっと隠してきた、僕自身の物語だ。


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