恋愛の40.5 遺言状(サロメ視点)

 × × ×



 立ち上がり、扉へ向かったちょうどその時、三度のノックが響いた。恐らく、ゼノビアとルーシーが迎えに来てくれたのだろう。

 ただ、約束の時間まではもう少しだけ余裕がある。やはり、私を心配しているのだろうか。ならば、その不安は解消してやらなければなるまい。



「そうだ、トモエ。お前も、お茶の一杯くらいは……」



 ……。



「どうしたのですか?サロメ様」



 扉が開かれて、ゼノビアとルーシーが部屋の中へ入って来た。しかし、迎え入れるはずの人間が後ろを向いていたから、不思議に思ったのだろう。二人は、私を見てから互いに顔を合わせると、一様に首を傾げた。



「……ん。今、ここに誰かいなかったか?」

「何をおっしゃっているのですか。一人になりたいと言ったのは、サロメ様ではありませんか。私たち兵士は、誰一人としてこの城には入れておりません」

「……そうか」



 何か、違和感があった。今日という日を、あれだけ恐れて怯えていたのに、どういうわけか、今ではじんわりと心が温かくて。何か大切な約束を交わしたような。そんな、幸福感に包まれている。

 それに、残り香、と言うにはあまりにも新鮮な感覚だ。本当に、この瞬間までずっとあったような気がするのだが。これは、一体なんだ?



「ゼノビア、ルーシー。変な事を聞くが、私は今、なんて名前を呟いたんだったか」

「……申し訳ございません。不覚にも、聞きそびれておりました」

「ごめんね、お姉ちゃん。私も、ちょっとわかんないや」

「そうか。なら、いいんだ」



 あれ、今、私は彼女たちに何を聞いたのだろう。えっと。



「サロメ様」



 ……ゼノビアのその声で、微かにあったは、綺麗さっぱりかき消された。



「部屋に籠る前とは打って変わって、随分と明るい表情をされていますね。何か、シャーロット様からお言葉を頂いたのですか?」

「……ふふ、そうかもしれないな」



 言いながら、ふと手にティーズ・カーニバルの集計表が握られている事に気が付いた、収入の欄には、きっとイスカの経済大臣も納得せざるを得ないだろう金額が記されている。



「この集計表、誰が持って来たのだったか」

「アグロさんが作ってくれたモノを、今朝私が持って来たんじゃない。ひょっとして、寝ぼけてるの?」

「いいや、そんな事は無いのだが。……そうだ、ティーズ・カーニバルの主催者は、今日の会合に出席するのか?」

「……主催者は、サロメ様です。本当に、どうなされたのですか?」



 私が……。



「あ、あぁ、そうだったな」



 そうだ。段々と思い出してきた。確か、モルガン氏がルーシー・ブレンドにひどく感動して、ぜひ自分のホテルのティータイムに使わせて欲しいという提案から全ては始まったんだった。



 ……じゃあ、どうして私は、モルガン氏と出会ったのだ?



「サロメ様、やはり今日は一度待って頂きましょう。不利になるやもしれませんが、その状態で出られるよりは余程マシかと」

「いいや、大丈夫だ。それに、どういう訳か心の底から次々と勇気が湧いてくるのだ。好機は、今しかないというくらいにね」

「そ、そこまで言うのであれば、私は止めませんが」

「大丈夫。私たちなら、きっと出来るよ」

「……なんか、お姉ちゃんじゃないみたい」



 私も、ネガティブな自分からそんな言葉が出てくるとは思ってもいなかった。それなのに、妙に耳触りがよくて、まるで言ってもらったかのように、心地よい。絶対に失敗するはずなんてないって、そう信じられた。



 さぁ、いこうか。



 × × ×



 クレオとイスカが条約を結んでから五年後。この国は、素晴らしい発展を遂げた。

 ここが嘗て、女の国と呼ばれていたとは思えないほどに人口は急増し、それに伴って国土は北へ拡大。イスカのセカンドシティと揶揄された時期もあったが、今では『紅茶の王国』という、キャッチーで親しみやすい呼び名で諸外国から評価を受けている。



 そして、さらにもう一つ、クレオが注目を集める理由がある。それは、この世界で唯一、賢者が商売を営んでいる。ということだ。

 どういうわけか、ある日プリモネ様はレッドルビー・マウンテンを捨てて、テレサ・フィリアノートが抱えていた、商品の在庫を残したままのテナントに、居抜きで住み着いたのだ。

 店の名前は、『ペーパームーン雑貨店』。名前の通り、どこにでもあるようなただの雑貨屋だ。



 始めた理由を聞くと、彼女は「ティーズ・カーニバルで雑貨に惚れたから」と言っていたが、あの老婆がそんな理由で地表に住むことがありえないのを、この国の全ての民が知っている。しかし、賢者の思考の裏を読む事が不可能である事も、また国民全員が知っている。だから、誰一人として、それ以上の話はしていない。

 それに、おかしな点も、最初から二号店のオープンを決めていた事くらいだ。まあ、それくらいならば、言及するほどの不思議という事でもないだろう。



 ……さて、片付けようか。



 机の上に広げられているのは、私宛に届いた手紙の数々。中は、見なくてもわかる。政治に対するコメントの依頼、諸外国からのパーティの招待状、モアナのひまわりの栽培プロジェクトに関するすり合わせ。そして、何件かの見合いの申し込みだ。



「まったく、私はもう30をとっくに過ぎていると言うのに」



 近隣諸国の王子や貴族たちは、一体どういう了見で私をこんなにからかうのだろうか。

 彼らは若く、地位だってあるというのに。こんなおばさんに構っている暇があるのなら、もう少しマシな時間の使い方を覚えた方がいいはずだ。後学のために、ホワイトダイヤ・パレスのアカデミーに招待してみるのもいいかもしれない。



 そんな手紙たちを、仕事に関する物だけに仕分けして先に処理をしようかと考えていると、手が滑ってその中の一通が床に落ちてしまった。だから、拾い上げ、手に取ってみると、ふと便箋の違和感に気づいた。



「……どういうことだ?」


 

 消印の住所は、ニューケムランドのとある街のモノ。しかし、私が気になったのはそこではない。日付だ。日付が、5年前のモノだったのだ。

 恐らく、当時は外国とのやり取りを解禁していなかったから、郵便局のどこかで塩漬けにされていたのだろう。それが今になってようやく届くなんて、まるでタイムカプセルのようだな。



「ママギ、トモエ……」



 それは、まるで初めて書いたかのような、理路整然とした形の文字。宛名も、嘗ての私の、クレオラインを継承していない頃の名前だ。五年前に、外国の男でそれを知っている者がいたという事なのだろうか。……あり得ない。

 それだから、無性に惹き付けられる魅力を感じて、私はその中を見ずにはいられなかった。



「……ふふっ、なんだこれは」



 それは、文脈やスペルがめちゃくちゃな、愛の言葉らしき文字列を書き連ねただけの紙だった。ひょっとして、ニューケムランドのどこかの少年が、練習がてらにでも書いたのだろうか。

 めちゃくちゃだ。こんなモノを読んでいても、ただ時間が過ぎていくだけ。それなのに。



 どうしてか、私は手紙から手を離すことが出来なかった。



「……失礼します、女王様」



 部屋に訪れたのは、秘書を任せているメーテルだった。



「申し訳ございません。ノックをしたのですが、反応が無かったものですから」

「構わないよ」

「それが、ですね……」



 歯切れ悪く呟くと、彼女は私の顔を見て。



「女王様、涙が」



 言われ、自分の目に触れると、確かに濡れていた。拭っても、それは止めどなく溢れてくる。しかし、私はそれを、少しも恥ずかしく思わなかった。どれだけ泣いたって、許されるんじゃないかって、不思議とそう思ったのだ。



「あぁ、すまないな。みっともない姿を見せてしまって」

「滅相もありません。その、いつものように女王様にお客様が来ているとお伝えに来たのです。ですが、日を改めるように伝えておきましょう」



 移民が増えてから、私は出来る限り民の言葉を聞く様に心がけている。何故なら、時々こうして交渉術を学びに、若い商人が私を尋ねてくるからだ。

 いつ学んだのかは覚えていないが、私にはどうやら交渉の才能があったらしい。幼い頃の爺の教育も、こんな形で才能を開花させるとは。一言くらい、礼を言ってもいいのかもしれないな。



「そうしてくれ、後で必ず。……その者の名前は?」

「ママギ、トモエ、と」

「な……っ」



 言われ、私は思わず立ち上がってしまった。今まさに、ここにある手紙の送り主の名前だったからだ。

 しかし、そんな偶然があると言うのか?



「今、どこにいる!?」

「城門に。ただ、彼は……」



 しかし、私はメーテルの言葉を待つことは出来なかった。手紙を握りしめたまま部屋を出ると、一目散に城門へ向かったのだった。

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