恋愛の39 平和への架け橋
「いつから、気づいていたのだ」
「最初から。だって、ひまわりの香りがするんだもの」
「……別に、隠れていたわけではないよ」
そう言うと、尚もフードを被ったままで僕の隣に立ち、少し歩きたいと誘った。
「さっき、イスカの経済大臣とやらと話をしてきた」
アグロさんが組合の立場を使って呼び寄せた、本イベント最大のVIP客だ。
「いきなり、本丸に切り込んだんだね。サロメらしい」
「それでだな。この経済効果を目の当たりにして、次回からは是非国境を跨いで開催したいと言い出したのだ。まだ終わってもいないのに、早速次の目星を付けるとは、商人上がりの人間は本当に綿密なのだな」
確か、イスカの経済大臣は西の大陸の出身で、貧民の出でありながら一代にして成り上がった敏腕の商人だ。そんな彼だから、政治というシーンに移って市場を支える立場を買って出たのだろうけれど。
「それで、なんて答えたの?」
「……善処する、と」
「そっか。よく頑張ったね」
国民たちの笑顔を見た今のサロメにとって、本当ならばすぐにでも了承してしまいしたい提案だったはずだ。
「下手な事を言えば、相談する前に勝手に決まってしまいかねない。私は、交渉が苦手なのだ」
「知ってるよ。本当、不器用だもんね」
「だから、トモエ」
彼女は、何かお願いをする時、決まって僕の名前を呼んでから一度言葉を整える事に、僕は気づいていた。
「私に、交渉術を教えてくれないか」
「恐れ多いね。どうして僕なの?」
「当然の事を聞くな。……実は、先日の議会で妙案が出てな。それを、イスカの上院で取り上げてもらえるように動いているのだ。その為に、今日ここへ来ているクレオの政治家たちが、今も行動をしてくれている」
……そうか。もう、ここで終わるんだ。
「妙案って?」
「イスカと、対等な平和条約を結ぶというモノだ。いつだったか、お前はクレオが他国からどう恐れられているかを教えてくれただろう?」
「懐かしいですね」
忘れるはずがない。僕が、初めて城へ入った時の事だ。
「きっと、トモエを知らぬ諸外国の者たちは、今でも同じ想いを抱いているハズ。しかし、イスカとの良好な関係を知る事になれば、お前の言っていた外国企業の工業区域への参入障壁も格段に低くなるはずだと思ってな」
「……思ったって。ひょっとして、その案ってサロメが思いついたの?」
訊くと、彼女はハッとしたように口を
「凄いね。やっぱ、サロメって王様なんだ」
「誉めるなら、後でお願い。……じゃなくてだな」
こうして、悟られたり乗せられてしまうのがサロメらしくていいと思うのだけれど、きっとそれを直したいと思っているのだろう。
「みんな、どっちが上、ではなく。あくまで対等を望んでいる。私も、貴族との戦争を過去のモノにするには、それしかないと思っている。……だが、イスカは巨大な国家で、政治のシステムも圧倒的だ。そんな連中と並ぼうと思ったら、プリモネの力をチラつかせるのが手っ取り早いとは思うのだが」
「もちろん、そうはしないんでしょ?」
「うん。トモエがくれた、銀行とのパイプを使おうと思っている。ここでの儲けをうまく利用すれば、不可能ではないと思うのだが、どうだろう」
正直なところ、そこまで深く入り組んだ政治の話は、僕には分からない。何度だっていうけれど、僕は政治家じゃなくて、物を売るプロだからだ。
でも、それなら僕がやるべきことは一つだ。
「わかったよ。なら、今日は僕の傍を離れないで。全てを教えるから」
「流石、私の夫だ。頼りにしているよ」
表情は見えなかったけど、声は確かに笑っている。それが何より嬉しくて、だから僕は、その後の全ての取引を成功させることが出来たのだろう。
× × ×
ティーズ・カーニバルから一週間。僕は徹夜を繰り返し、ようやく会場での売り上げの集計表を完成させる事が出来た。思えば、僕が気が付いた時っていっつも朝だ。
……いや、それよりも。
「な、なんだこの金額は」
数えながら、目から何枚鱗が落ちただろうか。しかし、いくらやり直したって、その数字に偽りも間違いも無い。これが、正真正銘、僕の集大成なんだ。
僕はあまりお金に執着しないタイプだけど、いくら何でもこれには目がくらんでくる。口座は既に手放しているから見る事は出来ないけれど、果たして全部でいくらの収入があったのだろうか。それくらいは、知っておいてもよかったかもしれない。
「早く届けないと」
今日、サロメが言っていた経済大臣との会合が、エイバーで行われる事になっている。時間は、昼の三時。そろそろ出発しなければ間に合わないだろうから、僕も急がなければ。
グリーンエメラルド・アベニューを走り、ホワイトダイヤ・パレスの王城へと向かう。夏は、既に後ろ姿。ブルーサファイア・ガーデンからの風に乗って、ルーシーさんの紅茶の香りがここまで届いている。今年の茶葉は、どんな味なのだろう。
息を切らしながら坂を上り、城門へとたどり着く。……ゼノビアさんは、サロメと共にエイバーに行くわけではないのだろうか。彼女は、いつものように門の前に立っていた。
挨拶をして、中へと進んでいく。しかし、まだ眠たいのだろうか。僕が走り抜けても、少しの反応も見せなかった。随分と珍しい事もあると気になったけれど、城内に入ってその違和感は緩和された。何故なら、すれ違う人たちはみんな僕に目をくれず、浮足立ったようにサロメの事を心配していたからだ。
ひょっとして、本人の不安が伝わってしまっているのだろうか。そう考えると居ても立っても居られなくなったから、僕は急いで執務室へと向かった。
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