恋愛の38 ティーズ・カーニバル
「スミレさん、アグロさん。今夜は、一生分のお酒を飲みましょう」
「酒って、お前自分で弱いって言ってただろう。いいのか?」
以前、ニューケムランドのウグイス・ハウスに泊まった時、僕はそう言って一度しか口を付けなかった。
「いいんですよ。それに、僕の生まれた日本には、血よりも固い縁を盃で結ぶ風習があるんです」
「……なら、そこで思う存分文句を言ってやろうか。スミレ、お前はどうする?」
「もちろん、ご一緒に。今日は、二人とも帰さないでありんすよ」
そう言って、二人は顔を突き合わせると、悪そうに笑った。
「それでは、例のイベントの最終調整をしましょうか」
これが、僕が二人を引っ張る事の出来る、最後の機会になるだろう。夜は、野となれ山となれ。その時には、僕は年下らしく思う存分に甘えようと思っている。
何故なら、そうすれば、きっといつまでも僕を忘れないで居てくれるって、そう思ったから。
× × ×
あの日の記憶は無いけれど、どうやら僕は、聞いている二人が恥ずかしくなるくらいにサロメへの愛の言葉を語っていたらしい。
挙句、過去をギリギリまでを話してボロボロと涙を流して(転移した理由は守り通した)、それに釣られたスミレさんはもらい泣きし、ついでに過去の恋愛を暴露。最後には、そんな僕たちを、アグロさんがあの手この手を尽くして慰めてくれたようだ。因みに、目を覚ましたのは、彼の家のリビングだった。
閑話休題。
現在は、あれから一ヶ月後の例のイベント、『ティーズ・カーニバル』の真っただ中。開会の言葉をアグロさんが終えて、会場は早くも熱狂の渦に包まれている。
どこの企業も、まずは一緒に訪れた自分の得意先の営業と話をしたり、隣の企業と挨拶をしたりして、親睦会と言う名の偵察を互いに繰り広げているようだ。
「凄いです。この人たち、全員トモエさんの知り合いなんですか?」
「はい。つまり、この中には一人も、ルーシー・ブレンドを飲んでいない人はいない、と言うことですよ」
「え、えへへ。しゅごい……」
言って、彼女はツンツンと僕の肩をつついた。
ルーシー・ブレンドの企業ブースには、当然の如くルーシーさんがいる。僕は、自分の出番まではまだ少しだけ余裕があるから、こうして彼女の手伝いをしているという訳だ。
「私、クレオにこんなにたくさんの男の人が来る日が再び訪れるだなんて、思ってもいませんでした」
「やはり、恐いですか?」
「ううん、そんな事無いですよ。トモエさんが、教えてくれたんじゃないですか」
「そう言ってくれると、僕も働き甲斐があったと思えます」
会話は、そこで一度終わった。ルーシーさんが、僕の服の裾を掴んで黙ってしまったからだ。
「……その、トモエお兄ちゃん」
「なんでしょうか」
その名で呼ばれたのは、一体いつ以来の事だろうか。
「ありがとうね」
言うと、彼女は前を向いたまま目線だけを動かして、僕の顔を見上げた。本当に、前向きな人だ。
「僕の方こそ。ルーシーさんが居なければ、こんな日は絶対に来なかったでしょう。あなたがひた向きに努力を続けたから、今日があるんです」
「そっか。お兄ちゃんは、お姉ちゃんの事を嫌いになっちゃったわけじゃないんだよね?」
「もちろん、愛しています。それに、ルーシーさんの事だって、僕は一生忘れませんよ」
「よかった。じゃあ、私も絶対に忘れないね」
成功とは、育てた木になる赤い果実に似ている。その果実である今日を生んだのは、紛れもなく根っこの部分にあった紅茶だ。
ルーシーさん、あなたは二度、この世界を救ったんですよ。
「これからも、サロメとゼノビアさんを支えてあげて下さい」
聞いて、彼女はいつものように笑顔を浮かべ、「任せて」と言ったのだった。
そして、会話が終わったのを見計らったかのように、ブースにお客が訪れた。タイミングがいいのか悪いのか、ちょうどクレオの女性たちと企業の営業マンがブッキングしてしている。そして、その中には陶器メーカーの社長、クロックさんが居て、僕に無言で「頼む」と言っているのが分かった。
さて、やろうか。
「クロックさん。彼女たちは、ペーパームーン雑貨店のお得意様たちです。あなたのカップと出会った事を、とても喜んでいたんですよ」
「本当!?いやぁ、それは嬉しいですね!ありがとうございます!」
前へ出て互いの紹介をすると、全身で表すように喜ぶ彼を見て、彼女たちはクスクスと笑った。
彼の人当たりの良さは、営業マンならば誰もが羨む程だ。そんな彼がまずここへ来てくれたのは、最早追い風が吹いていると言う他にない。
「実は、このティーズ・カーニバルを目指して開発した、新しい商品があるんですよ。お客様たちも、よかったら行きませんか!?」
クロックさんが言うと、彼女たちは少しだけ困ったように相談してから、「わかったわ」と言って一歩前へ踏み出す。それに続いて、僕は彼はクロックさんに目配せをすると、小さくお辞儀をしてから自分のブースを指さした。
「それじゃ、行ってきますね」
「うん。頑張ってね」
ルーシーさんに見送られてからと言うモノの、僕はひたすらにクレオの女性と企業の関係を取り持つ事に尽力した。売って、売って、これ以上は無いと言えるくらいに売りつくした頃。気が付けば、彼女たちは僕の元を離れて、自分の意志で買い物をするようになっていた。
……彼らに、あなたたちは僕とサロメの恋に巻き込まれただけだと告げたら、どんな反応をするだろうか。
「まぁ、きっと笑って許してくれるよね」
独り言ではない。話しかけたのは、ずっと僕の後ろをつけて商談を眺めていた、フードを深く被ったサロメにだった。
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