恋愛の29 ひまわり

「どうやら、乗客は僕たちだけのようですね」

「ならば、何故同じ部屋なのだ。それに、ベッドが一つしかないではないか」

「チケットを譲ってくれた方も、これが限界だと言う事だったんです。安心してください、明日の朝には目的地へ着くようなので、僕は外で眠りますよ」

「……まぁ、別に部屋の中に居るくらいは構わない、けど」



 苦し紛れな取り繕いに、僕は思わずはにかんでしまった。抱きしめたあの日以来、女王様はよく目線を逸らして伺うような態度を取るようになった。それがどこか、叱られた子犬のようで可愛らしい。



「それでは、ごゆっくり。昨日までよりも揺れるとは思いますが、ちゃんと眠るんですよ」

「う、うん。おやすみ」

「おやすみなさい、女王様」



 言って、僕は財布と書類の入った鞄を持つと、客室のフロアから階段を上り、甲板へ出て空を見上げた。どういう訳か、この世界の月はいつも綺麗な三日月だ。



 置いてあった椅子に腰かけ、僕はこの世界で恐らく最後になるであろう仕事に取り掛かった。灯りは、紐につるされたランタンの火のみだけど、それが返って集中力を高めてくれる。

 企画書をまとめ、プランの洗い出しを行い、僕の声に応えてくれる企業をピックアップする。そして、忘れてはいけないペーパームーン雑貨店の後継者決め。もちろん、僕の中では既に決まっている。



「最後、か……」



 そんな事をしているうちに、空はすっかりと明るくなっていた。昇って行く太陽に向かって進んでいるからか、いつもより一日が始まるのが早かったような気がする。まぁ、地理や天文は僕の専門外だから、あまり詳しい事は分からないけど。



 水夫たちが動き始めたのを見て、そろそろ女王様を迎えに行こうと階段を下りていくと、ちょうどその途中で鉢合わせた。シャワーを浴びたようで、髪の毛がしっとりと纏まっている。



「おはようございます。そろそろ、到着するみたいですよ」

「……ばか」



 そう口にした女王様は、何故か眠たげだった。やはり、揺れが気になって眠れなかったのだろうか。それとも……。



 考えた時、突然かぐわしい温かな香りが、潮風に乗って僕の鼻孔に届いた。だから、振り返って戻り、船首の向こう側の景色を眺めると、そこには全貌を確認出来るほどの小さな島。中に広がっていたのは。



「……凄い」



 思わず呟くと、僕は女王様の手を取り、早く階段を駆け上がる。ゆっくりと寄せて港に着いた船の、タラップが下りるのを今か今かと待ちわびて、岸に降りればすぐに丘へ向けて歩いた。



「夕方には出ますよ~」



 水夫の声に挨拶をして、島の一番高いところまで登っていく。その間、女王様は何も言わず、ただ僕の後を着いてきてくれた。じんわりと汗をかいても、期待で足が止まらない。そして、遂に辿り着いて上から島を見渡した。



「凄いですよ、女王様」



 全てのひまわりは、背を高く太陽に顔を向けて真っすぐと咲いていて、黄色とオレンジの特別な花と、緑の葉が規則正しく交差する隙間を、鮮やかな茶色いあぜ道が通っていて。明るい四色は、心地よいモザイク模様を織りなしていた。

 白い砂浜との境界線には、古い赤色の風車小屋。三角の帽子を被った景色のアクセントは、どこか懐かしさを覚えるファンタジックな造形をしている。きっと、あれがフラーナップの研究所なのだろう。

 この異観を形容するならば、正しく天国という言葉がふさわしい。



「……これが、お母様の故郷の風景か」



 ひまわりの香りが、僕らを包む。風が吹いて、攫うように海へ吹き抜けていった瞬間、女王様がいつの間にか、僕の手を強く握っている事に気が付いた。



「綺麗ですね」

「うん……」



 呟いた女王様は、僕の手を離してゆっくりと斜面を下り、あぜ道の途中で立ち止まると、ひまわりの葉を手に乗せて目を閉じた。その時、僕には彼女の背中に、誰かが降りてきたような気がした。

 透明な影、とでも言えばよいだろうか。吹き抜ける風が、そこだけを避けるように流れている。そして、俯いて思いを巡らせる女王様の頭を、そっと撫でたのが分かった。



「お母様……」



 ただ、優しかった。



 見えていないモノに、そこにあるような気がしているだの気配に、どうしてそんな感覚を覚えたのかは分からない。しかし、シャーロット様を呼んだ女王様が、あまりにも幼い、幸せそうな泣き顔を浮かべたのも事実だった。

 頬をつたう涙は、地面へ落ちる前にどこかへ消える。その不思議に、僕は息を呑んで意識を集中させると、影が笑って僕を見た。

 そして、頭の中に声が届く。言葉は、たった一つだったけれど。



「……こちらこそ」



 聞こえた声は、確かに二つだった。



 × × ×



 夕方、僕たちは船へ戻り、客室で出航を待っていた。静かな波で船がユラユラと揺れて、何とも言えない浮遊感を感じる。



 汽笛が鳴った。外輪が回って、船が方向を変えている。燃料を魔法とするモーターが振動を伴い、客室の壁を揺らす。僕らの隙間を漂う沈黙を、埋めるように低い音が響いた。



「……と、トモエ」

「なんですか?女王様」



 呼んだはいいモノの、次に言う言葉を考えてはいなかったようだ。しかし、僕はやはり何も言わず、ただ待ち続けた。



「……ありがとう。本当に、感謝している」

「そう感じてくれたなら、何よりです」

「その、今日はきっと、一生忘れることのない思い出になるだろう。だから、連れてきてくれたお前には、なにか褒美を与えてやらなければならないと思って……な」



 最後は、波の揺れる音にすら負けてしまいそうな、小さな声だった。



「褒美、ですか?しかし、この旅は女王様が僕の店を手伝ってくれたお礼のハズですので、そこまで気を遣って頂く必要はないかと。それに、実はそうでなくても、女王様にプレゼントしようと思っていたのですよ」



 ちょっとばかしの種明かしをして、僕はおどけるように笑った。こんな冗談を言っても許してくれるという事実を、確かめたかったからだ。



 しかし、女王様は僕を見ると、少し切ない表情を浮かべて腕を抱いた。



「……今日は、一生忘れることのない日なのだ、トモエ。だから、そこにお前がいた事を、忘れたくない」



 ……その、弱い誘いを受けた時、彼女への愛しさが爆発して、僕の中にある想いを留めていた何かが、音をたてて崩れたような気がした。



「……五分だけの、無礼ですか?」

「そ、そうだな。まぁ、お前は私を愛しているというのだから、それくらいが妥当……」

「いいえ、女王様。僕は、そんな褒美はいりません」



 言うと、彼女は顔を赤くして、小窓の外に目を逸らした。景色は、少しずつ動いている。



「……そうか。あ、いや。そういう訳ではなくてだな。ただ、その。私は……」



 ベッドの上に座る女王様は、組んでいた脚を崩して、拳を握り膝の上に置いた。



「違う。私は、ただ……」

「いいえ、女王様。そうではありません」



 言って、僕は彼女の隣に座り、逸らす目を真っ直ぐに見た。



「僕が欲しいのは、あなたです。あなたの、全てを僕に下さい」

「はぇ?それは、どういう……」

「言葉通りです、女王様。あなたの全てが、欲しいのです」



 言って、理由を求めて言い訳をするその口を、僕は抱き寄せて封じて。



 強く、深く、激しく、彼女との夜を求めた。

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