恋愛の23 交渉の極意
彼のリゾート地での生活を聞いていると、やがて砂が落ち切った。それを見てから、先日決まったばかりのクロックコレクションのカップに紅茶を淹れて、二つをテーブルの上に置く。すると、二人はカップを手に持ち、社長、リヒターさんの順に口に含んだ。
「どうです?既存の商品に劣らない、素晴らしい香りでしょう?」
「そうだね。この少しビターな風味は、私の好みだ」
「なら、よかったです。実は、これはコーヒー好きな社長のような方の為に、新たに開発したんですよ」
嘘だ。そんな話は、一切出ていない。
「ほう、素晴らしい企業努力だ。気に入ったよ、匂いもとてもいい」
「お褒めいただき、ありがとうございます。……匂いと言えば、C・ファニングさんのアネモネの花のソープフラワーは、本当にいい香りですよね」
ソープフラワーとは、石鹸で作られた造花の事。いつもひまわりのシャンプーを仕入れている、フレテリアの主人に教えて貰った知識だ。
「当然だよ。何せ、アネモネの香りは、我々が世界に広めたと言っても過言ではないのだから。知ってるかね?アネモネには、本来香りが無いと言われていたんだよ?」
「本当ですか?それは初耳です」
「そうだろう。しかし、私はある日異変に気が付いたんだ。確か、寒い冬の夜の事だったかな」
言って、社長は如何にしてアネモネの香りを手に入れたかを、長い時間を掛けて僕らに話した。
「あの商品の影には、そんなに深い歴史があったんですね」
「そうだよ。だからこそのロングセラーなんだ。……ただ、実は今年の冬は例年に比べて不作でね。話した通り、あのソープフラワーには大量のアネモネの花弁が必要だから、どうしても品薄になってしまう。そこで、その穴を埋める為に別の商品を開発しようという事になったんだよ」
「なるほど、そう言う事でしたか。本当に苦労されていますね。……ところで、リヒターさん」
「は、はい。何でしょうか?」
突然話を振ったモノだから、彼の声は少しだけ
「私に贈ってくださったサンプルには、とても沢山の種類の花がありましたよね」
「はい、我々の商品は、やはり花がメインですから」
「なるほど。見たところ、どれもとても質のいい花でしたが、中には今の季節あまり見ない花も含まれていたように思えます。どうやって、あの状態で保存していたのでしょうか」
「企業秘密になってしまうので、詳しくは。しかし、あれらはいずれも、古代花の培養実験のサンプルとして適切な花なのです。なので、研究所では大量に……、あっ」
リヒターさんの声に、社長も思わず瞼をピクリと動かした。後は、流れに任せればいいだろう。
相手に物を売る為の極意は、買ってもらう理由をアピールするのではなく、買わない理由を一つずつ潰していくことだと、僕は思っている。欲しくもない商品を見た時、人は自然とデメリットに目を向けてしまうからだ。
しかし、結び目を一つずつ解いていくと、不思議な事にお客は「買わされている」から「買っている」と言う意識に変わっていく。僕が時に、相手にイニシアチブを持たせるのはそれが理由だ。
特殊なスキルなんてモノは、一切必要ない。調査を重ね、順を追って本音を聞き出す。誰にでも出来る事を、ただやるだけ。それが、僕が生きる為に身に着けた力だ。
……そして、社長が二杯目の紅茶を飲み終わった頃、リヒターさんはほっと胸を撫でおろして僕を見た。
「それでは、アネモネと古代花。こちらの価格でよろしいですね?」
「そうだね。私も、それならむしろ大安上がりだ」
「あ、ありがとうございます!」
結局、実験の役目を終えて余ってしまったアネモネを格安で提供する代わりに、C・ファニングは古代花を試験運用する事となった。この後僕に出来るのは、古代花の魅力が社長に伝わる事を願う事くらいだ。
商談が終わり、社長は満足げな表情でコテージへと戻って行った。大きく息を吐いたリヒターさんは、緊張を緩めて深くソファに腰かける。
「ありがとうございました、トモエさん。いや、本当に助かりました」
「いえいえ、うまく軌道に乗るといいですね」
これが最後の仕事だったから、僕はさっきまで社長が座っていたソファに座って、残った紅茶を自分のカップに淹れた。本当は、飲みたくてずっとうずうずしていたのだ。
「ところで、フラーナップさんの培養技術とはどんなモノなのでしょうか。あまり、情報が出回っていないようで」
「そうですね。トモエさんだからこっそり教えますけど、やはり古代花と同様に、絶滅してしまった花の再生が主でしょうか。我々は、細胞を採取して、進化元を辿り別の花々へ成長させる技術を発明したのです」
言われ、僕はカップを傾けるのをピタりと止めた。
「……リヒターさん、ひょっとしてモアナのひまわりをご存じですか?」
「もちろんですよ。現在では、私どもの研究所で育てていますから」
「本当ですか!?」
僕は、思わず立ち上がってしまった。
「え、えぇ。あれも、滅んでしまう寸前でしたから。ここから更に南にある、『ファジー』という島に畑が……。あれ、トモエさん?」
ファジー。そうか、そんなところに。
「トモエさん、どうし……」
「ありがとうございます!リヒターさん!」
ずっと、探していた。女王様との繋がりになったあの瞬間から、僕はずっとあのひまわりの畑を探していたんだ。
しかし、フレテリアの主人からルートを辿ってメーカーを尋ねても、どういう訳かか誰も出処を知らず、内心少し諦めかけていたところだった。それが、まさかこんなめぐり合わせで知る事が出来るだなんて。
「落ち着いてください。ファジーは特別保護区域です。供給量を保たなければ絶滅してしまうからの措置ですので、一般人は入る事を禁じられています。だからこそ、ファジー産の花は高価格なのです。そして、その為の我々フラーナップ、特殊魔法培養機構なんですよ?」
へぇ。
「じゃあ、渡航の為のチケットを二枚下さい」
「いや、ですからそれは……」
「嫌です。じゃないと、C・ファニングの社長に競合他社の名前を聞いちゃいますよ?」
「ちょっと!そんなバカげた話はないでしょう!?やめてくださいよ!」
「じゃあ、チケットを二枚譲ってください。お願いします」
因みにもう一つ、今度は売ってもらう為の極意がある。それは。
「お願いしますよ!リヒターさん!お願いしますよ!お願いしますお願いお願いおね……」
「ちょ……、わか……っ。分かりましたから!もう、他の人には絶対内緒にしてくださいよ!」
相手が折れるまで、みっともなく
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