転の章 【愛しています、女王さま】
恋愛の21 見送り
気が付けば、僕がこの世界へ来て二度目の夏となっていた。しかし、クレオの街は道が広いからか、あまりジメジメとした空気を感じる事はない。だからだろうか、僕は重たい箱を運んでいても、あまり汗をかくことはなかった。
「そういえば、スミレとはどこで合流するんだ?」
「途中、『チョークポイント』という港へ立ち寄る事になっています。そこからは、少し東へ戻って島を回り、今度は商業用の海路をなぞってニューケムランドに入ります。水夫さんが、季節風の関係でそのルートが一番早いと言ってました」
「了解だ。悪いな、鍵を持ってるのは俺なのに、段取りまで任せちまって」
「気にしないでください。アグロさんは、従業員を増やして忙しい時期ですから」
「助かるぜ。その分、他で埋め合わせをするよ」
「なら、楽しみにしておきますね。キャプテン」
話しながら、荷物をアグロさんの馬車に乗せ、旅の準備を完了した。出発は、相も変わらず静かな朝。この時間でなければ、アグロさんは安心して作業が出来ないと言うからだ。至極まっとうな意見だと、僕も思う。
「ところで、今日もホットドッグはあるんですか?」
僕は、あのとろけるような脂の味を、もう一度味わいたかった。
「がめつい奴め。ひょっとして、俺の妻の料理に惚れたな?」
「そりゃもう、完全に惚れました」
「はっはっは!あるぞ、トモエに食わせてやりたいと言ったら、小遣いを奮発してくれたんだ。きっちり、魔物ブタの肉だぞぉ!」
聞いて、僕のテンションは一気に上がってしまった。
「流石キャプテン。それに、とても素敵な奥様ですね」
「そうだろう。お前程ではないが、実は俺も若い頃に大恋愛を……」
僕の方に向き直ったアグロさんが、突然喋るのを止めてしまった。何故かと思い後ろを振り返ると、そこにはどういう訳か女王様の姿があった。歩いてきたからか、クラシカルな水色のブラウスと細身の白いスラックス姿で、髪を横に流している。
「ヴァレンタインハート国王、様」
「貴公が、アグロヴァル・ダットロードだな。トモエから話は聞いているぞ。
「か、感謝!?」
アグロさんは、手に持っていた鞄を地面に落として僕の方を見た。女王様の傍らに立つゼノビアさんとルーシーさんは、一歩身を引いて彼を見ている。
「おはようございます、女王様」
「おはよう。随分と荷物が多いのだな」
「何やら、色んなメーカーから次々にサンプルが送られてきましてね。しかし、時間が無く精査出来なかったので、それを旅の船内で行おうかと。今回は、この数と同じだけ商談がありますから」
「そうか。……まぁ、お前の事だ。特に心配などはしていないのだが」
止まってしまった言葉を待つ間に、一度だけ鳥が鳴いた。
「無事に帰るのだぞ、トモエ」
「えぇ、ありがとうございます。女王様」
言葉返すと、後ろからひょこひょことルーシーさんがやって来て、僕に黄色い缶を三つ手渡した。研究室で見慣れた、ワンピースにカーディガンを羽織っている。シニヨンは、解いたみたいだ。
「トモエさん、これ新しいブレンドです。一つは、味見してもいいですよ」
「おぉ、これは嬉しいですね。後程、いただきます」
「その代わり、美味しかったら宣伝もよろしくお願いします!」
「分かりました。任せてください」
礼を言うと、後ろでゼノビアさんが笑っていた。
「ゼノビアさん。何か良さそうな品物があれば、お土産に持ってきますよ」
「ふふっ、わかった。楽しみにしているよ」
鎧を着ていないゼノビアさんは、本当に三姉妹の長女と言った様子で、二人を優しく見守っているように見えた。黒いノースリーブのセーターも、落ち着いた雰囲気でよく似合っている。
最後に、僕は女王様へ向けて、手を差し伸べた。
「女王様、行ってまいります」
「……うん」
手を取られ、包むように握ると、彼女は僕の指に重ねるように、少しだけ力を込めた。
「……エイバーの第三ストリート。その二つ目の交差点の角に、あのシャンプーを売っている店、フレテリアがあります。一ヶ月空けますので、場所を教えておきますね」
「か、買いになど行けん。私は、執務で忙しいのだ」
「そうですか。ならば、帰りには必ずお持ちします。それでは」
女王様は、別れの挨拶が嫌いなのかもしれない。今日も、手を離して馬車に乗り込んでも、彼女が何かを言う事は無かった。
「……なぁ、トモエ」
「はい、何でしょうか」
道中、彼に温めて貰ったホットドッグに齧り付きながら問う。
「ヴァレンタインハート国王も、随分と大きくなられたんだな。時の流れは、本当に早い」
それが、ただ体の成長を差している言葉ではない事を、僕は何となく理解した。
「そう言えば、アグロさんは十年以上前に会ってるんでしたっけ」
「あぁ。……まぁ、頑張れよ」
「ありがとうございます。もしよかったら、アグロさんの大恋愛の話、聞かせて下さいよ」
そして、エイバーに着くまでの間、僕は彼の恋の
× × ×
「やはり、船はいいでありんすね」
ガレオン商船『ホークウッド号』は、現在南半球の列島地帯を越えて、ニューケムランドへ向けて大海原を駆けている。帆に受けた風を魔法の力で倍増させているため、時速は30ノット(約56キロメートル)と高速だ。それなのに平気で甲板に立つ事が出来るのが、この世界の法則の不思議なところだろう。
魔力エネルギーのお蔭で排気物質が無いからか、どの国の海を見ても綺麗に透き通っている。海底を見下ろすと、青よりも蒼い深い色が見えて、そこを優雅に泳ぐイルカたちがとても幻想的だ。吸い込まれそうなこの溝は、一体どこへ繋がっているのだろうか。
「今晩には到着するようです。メーカーの方は、既にウグイス・ハウスにチェックインしたと聞いています」
サンプルの精査を終わらせ、気分転換に船内を散歩していた時に彼女の部下から教えて貰ったのだ。今回の商談は、彼女のイメージとすり合わせる為に実際の客室で行う事になっている。
「承知しなんし。しかし、そんなに近くにおりんしたのに、気が付かないもんでありんすね」
「案外、そういうモノですよ。その為の、僕ら仲介業者です」
「なるほど。……そういえば、アグロヴァルさんはまだ操舵室におりんすか?」
「みたいですよ。水夫の皆さんにキャプテンと呼ばれて、すっかり気分がよくなってしまったようです」
「かわいいおじさまでござんすねぇ、あの人も」
言って、スミレさんはカラカラと笑い煙管を吹かす。僕は、その流れる煙を見ていたが、やがて思いついたかのように彼女が呟いた。
「……主さんは、故郷を思い出す事はありんせんか?」
その表情は、何故か少し儚げだった。彼女の目線の先には、ただ水平線が広がっている。
「ありますよ。今日も、昔の夢を見ました」
「そうで、ありんすか。……いえ、この世界に転移してきて、もう随分と長いでありんしょう?だから、親御様などはどういたしているのかと思いしんして」
その問いに、僕は端的に自分が天涯孤独である事を伝えた。すると、彼女はキレの長い目を細めて、僕の顔をじっと見た。
「どうしたんですか?」
「いいえ。……何でもありんせん。わっちも、一度は主さんの世界を見てみたいでござんすね」
ひょっとして、彼女は自分に流れる物怪の血に、今はもう見る事ができなくなってしまった、先祖への思いを馳せているのだろうか。
……そう感じたモノだから、港に着くまで僕の世界の事をスミレさんに話すことにした。頷くたびに笑って僕の頬を指でつつく彼女は、見た目よりも随分と幼く見えた。
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