恋愛の16 賢者

「さぁ、登ろう」



 頂上には雲が掛かっているが、どうやら山道は整えられているようなので、思っていたよりも時間はかからないかもしれない。

 ……そう思って、気が付けば三時間。道中には、まばらではあるけれど家屋が見えてきた。きっと、この辺の家に住んでる人が魔人なんだろう。時々すれ違う人たちも、みんな眠そうにしているのが少しだけおかしくて、思わず笑ってしまいそうだ。



「……ふぅ、やっと着いた」



 集落(と言えるほど家は無かったけど)を抜けて更に三時間。息も絶え絶えに歩き続けると、ようやく頂上が見えてきた。



「あれ、見間違いか?」



 確かに、景色が途切れて空になる境界線に建物が見えるのだけれど、僕の気のせいでなければあれはまさしく。



「やっぱり、お菓子の家だ」



 それは、外壁をウエハース、庭の道をカスタードプリン、家の壁ををバニラクッキーで創った、甘くて、甘すぎる見た目の家だった。

 全体的に真っ白で、ここがヘンゼルとグレーテルの世界だったのかと錯覚してしまったが、カテリーナさんの言った言葉が真実だったと確信すると、ホワイトチョコレートの扉をノックして反応を待った。



「……誰じゃ~」



 呟きながら、小さな足音がこちらへ近づいてくる。それに対して「クレオの商人です」と言葉を返すと、今度は「なんでじゃ~」と言う返事の後に、ガチャリと扉が開かれた。



「……男じゃな、珍しい」



 その姿は、先の垂れた三角のナイトキャップを被り、ピンク色のパジャマに身を包んで枕を引きずる、ピンク色の髪の推定9歳程度の小さな女の子だった。初めて賢者と聞いた時は、もっととんでもない威厳を放つおばあさんを想像していたのだけれど、お菓子の家を見てみれば、彼女の風体はむしろベストマッチだった。



「初めまして、僕は真々木巴と申します。以後、お見知りおきを」

「あぁ、異世界から来たとか言う奴じゃな。何の用じゃ?」

「本日は、賢者様にお伺いしたいことがありまして、これはほんのお近づきの印です」



 そう言って手渡したのは、三色のマカロンのチャームがついたキーリングだ。



「おぉ!これはこれは、いい物じゃのう!トモエ、中に入るがよいぞ!」



 目をキラキラと輝かせて、彼女はそれを天井のシャンデリアのライトに照らした。どうやら、好みはカテリーナさんと似ているらしく(カテリーナさんが似てるのか)、お気に召してくれたようだ。

 ……一応確認なんだけど、この人600年生きてるんだよね?



「600年生きようが、好きなモノは好きなんじゃ。別に良いじゃろう」



 僕の心の声を聞いたのか、賢者様は枕を僕に当ててそっぽを向いてしまった。



「いえ、僕の取り扱っている品物を気に入ってくれて嬉しいです。それでは、お邪魔します」



 それに、いつだって悪いイメージを払拭する為の行動から始めなければならなかったクレオの女性たちの中で、最初から話を聞いてくれる事が僕は嬉しかった。



 部屋の中は、どういう訳か純洋風のモダンな内装で、重厚な木の戸棚には水晶とハードカバーの本が所狭しと並んでいる。それに心なしか、いや、確実に外から見た時よりも部屋が広い。火の焚かれた暖炉の前の、ピンク色の大きなソファとテーブルの上の大量のお菓子が、ここが余計に異常な場所である事を強調していた。



「それじゃあ、改めて。わしはプリモネ・フラッシュラビッツ。賢者じゃ」



 ちょこんとソファに座ったかと思えば、名乗った瞬間の目は不思議なくらいに妖艶ようえんで、まるで僕の心の中を全て覗かれているような気がして、だから手のひらには、じんわりと嫌な汗をかいてしまっていた。



「それで、何が聞きたいんじゃ?三年前のあの日の事じゃろうか」

「えぇ、そうです。お見通しみたいですね。……しかし、僕が言うのもなんですが、そんなに簡単お答えいただけるのでしょうか」

「まぁの。別に、誰も知らないだけで口止めされている訳でもないからな。それに、わしはマカロンが好きなんじゃ~」

「気に入って頂けたようで何よりですが、それは食べられませんよ」

「わかっとるわ!わしゃ賢者じゃぞ!」



 立ったまま「すいません」と答えると、プリモネ様は僕の隣に椅子を作り出して、そこに座るように指示した。……今、何から錬金したんだ?



「お主のサロメへの愛の告白は、既にここまで届いておるからのう。そうかそうか、あのサロメに、こんな男がのう」

「女王様の事、よくご存じなんですね」

「そうじゃのう。あれはとにかく泣き虫でな、小さい頃はいっつもシャーロットのかたわらで指を咥えておったの」

「想像も付きませんね、あの女王様が」



 言われて、つい彼女の幼い姿を妄想してしまう。あの力強いまなこは、もっと丸い形をしていたのだろうか。



「あぁ、話が逸れてしまったな。何しろ、弟子が出て行って寂しくての。えぇと、三年前のあの日、サロメが王になった日の事じゃったな。あれは確か……」



 ゴクリ、緊張の間に、僕は思わず生唾を飲み込んだ。プリモネ様は、こめかみに人差し指をあてて、天井を見上げながら考え込んでいる。



「……すまん、忘れてしもうた」



 その言葉を聞いて、僕はアグロさんよろしく椅子から転げ落ちてしまった。一体、今の間は何だったんだ。



「プ、プリモネ様。それはあんまりでは」

「嘘じゃよ。トモエのその、演技くさい笑顔をがしてやりたくなっての。ちょっとした賢者ジョークじゃ」



 まんまと賢者ジョークに嵌められた僕は、咳払いをしてから再び彼女に向き合う。……この表情を演技だと言われたのは、実は前の世界から数えても初めての事だった。この人、たった数舜で一体どこまで……。



「ふむ。……クレオには、元々貴族がおった事は知っておるな?」

「はい。医療協会や郵便局、それに新聞社など、主に国のインフラを取り仕切っていたとか」



 しかし、今ではその痕跡もほとんどなく、ホワイトダイヤ・パレスにはもぬけの殻となった館や施設が幾つか並んでいるだけだ。



「その通りじゃ。ヴァレンタインハート家は、初代国王であるクレオラインが将校の出だった事もあり、代々戦争と人望に長けた家系じゃった。しかし、そちらに極端に長けていたせいで、外交や内務に関する技能がとんと低くてな。そこで、クレオラインは王政国家の王でありながら、法務を共に国を立ち上げたカルチェラタン家の初代当主、エドワード・カルチェラタンに託したのじゃ。それが、クレオの貴族制度の始まりじゃった」



 言うと、プリモネ様はテーブルの上のチョコレートを舐めた。そして、どこからともなくティーセットを召喚して広げると、二つのカップに紅茶を注いで、その一つを僕に渡したのだった。


―――――――――――――――――――――――――――――

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