恋愛の15 ご褒美

 × × ×



 定休日の早朝、僕はレッドルビー・マウンテンへ向かうバスを待っていた。いつも郊外へ行くバス停からは直接ふもとまで行ける便が出ていないため、現在はホワイトダイヤ・パレスのロータリーに居る。

 この街には、王城の他にもあらゆる行政施設が置かれていた為、どのエリアへもアクセス出来るようになっているのだ。



 昨日、書き言葉を知らないと思ったよりも不便だと感じた僕は、ポケットサイズの単語集を借りた。それを眺めながら指で形を確認していると、そう言えば女子は直筆の手紙が意外と嬉しい、的な情報をどこかで読んだのを思い出した。果たして、女王様もそんな事を思ったりするのだろうか。



 などと考えていると、どこからともなく僕の耳に馬の蹄鉄ていてつが石の地面を鳴らす音が聞こえてきた。思わずその方向を見てみると、何と運命的な事か、あのキャスケット姿の女王様が、王城からこちらへ向かってくるではないか。



「女王様、おはようございます」



 すかさず立ち上がって挨拶をすると、彼女は引き連れていた警護の兵に止まるよう指示を出し、自分もまた僕の頭上に停止した。



「トモエか。こんな所で何をしている」

「バスを待っているのです。レッドルビー・マウンテンへ行こうと思っていまして。女王様はどちらへ?」

「お前と同じだ。昨日、カテリーナに缶の生産状況を確認したところ、既にオーバーフロー気味になっていると報告を受けてな。ならばと、山のふもとに新たに工業区域をもうけて、生産効率と雇用率を向上させる計画が持ち上がったのだ」



 ひょっとして、これから先に人口が増える可能性を見越しているのだろうか。



「女王様、みずからですか?」

「地質学はメーテルが詳しいのだが、今日は体調不良と言う事でな。私の執務も落ち着いたところであるし、趣味の乗馬を兼ねた気分転換というところだ」

「流石、お詳しいのですね」



 メーテルさんとは誰かと尋ねると、マーガレットさんと一緒に部屋へやって来た丸眼鏡の方だと女王様は言った。



 その時、またも僕は閃いた。



「……そう言えば、女王様」

「なんだ?」

「以前、何か褒美を取らせなければ気分が悪い、とおっしゃっておりましたよね?」

「あぁ、そうだな。なんだ、欲しい物でも出来たのか。言ってみろ」

「はい。女王様の後ろに乗せて、あの山の麓まで連れていって頂けないでしょうか?」



 それを聞くと、彼女はキャスケットのつばを掴んで、少し深く被り直した。



「トモエ、それはあまりにも無礼では」



 後ろの兵士が言う。しかし、僕は真っ直ぐに女王様を見て、視線を逸らさなかった。



「なにとぞ、ご了承を」



 言って頭を下げると、深い女王様の吐息が聞こえた。



「……仕方あるまい、自分で言い出したことだ」

「ありがとうございます。それでは」



 しかし、考えてみれば足を掛ける部分も無く、助走をつけて昔遊んだの要領で乗り込もうか、などと探っていると。



「何をぼさっとしているのだ」



 そう言って、女王様が手を差し伸べてくれた。僕はそれを見て、鞄に単語集をしまうと手を掴んだ。皮の手袋は、滑らかで柔らかい。



「持ち上げるから、お前もそれに合わせて跳ね乗るのだ。それくらい、出来るだろう?」

「えぇ、よろしくお願いします」



 タイミングを合わせ、何とか女王様の後ろに乗り込んだ。馬の上は思ったよりも揺れが激しく、動きに合わせた重心を掴むのがかなり難しい。



「しっかりと掴まっておけ。落馬して蹴られれば、首の骨くらいは軽く折れるぞ」

「……はい、それでは失礼します」



 本当は肩に掴まる程度に思っていたのだが、そんな脅され方をすれば万が一の可能性を思い浮かべてしまう。だから、僕は彼女の腰に手を回すと、落ちないようにしっかりと掴んで体を寄せた。



「飛ばすんですか?」

「一人ならな。だが、二人で乗れば馬も。それなりのスピードで充分だろう」



 言うと、女王様は足で馬の腹を挟んで合図をし、手綱を引いて動き出した。僕らに続いて後ろの二人の兵士も動き出すと、一人は先行し、もう一人は後ろに続いて陣形を整えた。すれ違いざま、前の兵士は少し笑っていた気がするけど、首の骨を折られたくないのだからこの情けない姿を許して欲しい。



 女王様の体は、思っていたよりもずっと細かった。いつも見下ろされているから、勝手に大きく錯覚していたのだろう。そんな事を言えば、どちらにせよ失礼だから黙っておくことにした。



 段々とスピードにも慣れてきて、僕はゆるりと掴む力を緩める。すると、女王様は僕の右手を掴んで、元の掴んでいた位置へ戻した。



「蹴られると言っただろう。大人しく掴まっておけ」

「あ、ありがとうございます」



 不覚にも、言葉を言い淀んでしまった。僕自身、大抵の事には平常心でのぞめると自負しているし、実際そうだったからこれまでの商談を乗り越えてこれたと思っていたのだが、今のはあまりにも……。



「……訊いてもよいか?」

「はい、何でしょうか」

「お前、モルガン氏とは、その……、どうなのだ?」

「そうですね、関係はおおむね良好です。ラ・ロゼ・サファイアの見学の後、現在ウグイス・ハウスで使用する食器類を探していると相談を受けました。ちょうど、仲介を希望する食器メーカーの方が何社かおりますので、次回ヘイアンステイツへ渡った際に商談を取り決める算段を立てております」



 考えてみれば当たり前の話だが、僕が売っていたのは紅茶なのだから、それに伴う商売をする人が僕の周りには集まっている。スミレさんも、その辺は織り込み済みでの話だったのだろう。



「……そ、そうか。よくやってくれたな。ウグイス・ハウスとの関係、良好で何よりだ」



 何やら歯切れの悪い回答は、僕の胸を心地よく押し付けた。



「女王様」

「……ん」

「愛してますよ、忘れないで下さい」



 そう言って、抱きしめる力をほんの少しだけ強めた。

 耳元で囁いたのは、あまりにナルシズムが過ぎるだろうか。しかし、掴まって喋っている以上は仕方ないと見逃してもらえることを願って、今は訪れた沈黙に身を任せる事にしよう。



「……うむ」



 女王様が呟いたのは、それからしばらく走って視界に山の全貌を捉えきれなくなった、間もなく目的地へたどり着く直前の事だった。

 馬を降り、キャスケットを深く被った背中が見えくなるまで僕は立ち尽くしていたのだが、女王様がこっちを振り返る事は、一度も無かった。


―――――――――――――――――――――――――――――

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